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おでん屋奇譚10

そして
年明け

正月はどうしていつも晴れているのだろう。
人間が勝手に決めた、尺度なのに
どうしてすがすがしい気分になるんだろう。
テレビも見ない、パンだけのことを考えて
暮らしている彼も。さすがに年始は
どこかいつもと違う気分になっていた。

しかし

勤勉というより 性質となってしまっている
彼の仕事に対する姿勢

早朝 いつものように
白いエプロンをして、生地をこねていた。
サブローベーカリーは開店していないが
三郎はもう去年と同じだ。

こうしていると、なんだろう
瞑想している気分になる。
今年もいいパンを作ろう。

祈りのような作業に
波紋を投じる音
ごくかすかな音だったが
三郎の耳には確かに届いた。

チャリン



裏口のコインの謎が俊足でかけぬける。
今日こそ小銭の正体を掴もう
お金などいらないと そいつに言ってやろう

しのび足で裏口に近づく。

そして扉を素早く開けると

クロ?
にしては大きいな。クロの親猫か?
それにしても、金持ちそうな立派な猫だ
なにしろ首輪が、金の鎖。

足元を伺うと
やはり小銭が散らばっていた。

うむぅ?
三郎が思案していると
大きなクロはちょっとお辞儀をしたかと思うと
さっと いなくなった。

もしかして親猫が????
そんな馬鹿な話あるかよ
正月早々・・・

ニヤリと自嘲の笑みを浮かべ
「きっと飼い主だな。親猫と一緒に来たんだけど
ドアが開いたもんだから、猫を忘れて逃げたんだ。
でも何故逃げる必要あるんだろう?
金持ちだから、恥ずかしいのかな。
何しろ街のパン屋の裏口のごみ捨て場だもんなあ。
いや、金持ちなら、もっといいもの食べさせられるだろうに?」

自分と違う世界の人間の考えは分からないもんだ。

いつものように小銭を拾って
腰を叩き、起き上がると
トマト缶にチャリンと投げ込んだ。

あけましておめでとう

小さくつぶやいて、作業台に向かった。

食卓を囲みながら
上機嫌にも、尾上啓子は笑った。

「洋ちゃん、なんか変だよ。」

「え?変て何がさ。」不意を突かれたように
目を上げる洋介は、小首をかしげた。

出されたお雑煮を前に、丁寧に合掌して
箸をつけたり
時々耳を済ますように、雑煮のお椀を持ち上げたり
啓子がこしらえた、簡単なおせち料理を
今年はことさらに誉める。

その誉め方がなかなか面白かった。
「いやあ、美味しそうだなあ。こんなに綺麗に
料理してもらって、黒豆も大根のなますもお餅も嬉しいだろうに。
数の子なんて、こりゃもう威張ってるな。」

まるで食材を擬人化した誉め方なのだ。
「誉めてもらえるのは嬉しいけど、なんか変な誉め方よ。」

「あ、うん。僕は最近食べ物の魂が分かるようになったんだよ。」
ニコニコする洋介。最近彼は明るくなった気がする。

「あははははは。それじゃ、可哀想で食べられなくならない?」
軽い冗談のつもりで乗ってあげた。

「そうなんだよなあ」真剣に腕を組む姿。

啓子はまた噴き出してしまった。

あの時以来
親しい友人もいないようだし、塞ぎがちだった息子。
やっと本来の明るさを取り戻しつつあるようで
新年早々啓子はめでたくも
嬉しい気分になった。

「おでん 食べたいなあ。」
彼のつぶやきには
なぜか切実さがにじんでいた。

(牧さんはお正月 屋台をやっているのだろうか?
3が日過ぎたら行ってみよう)

夕暮れの太陽を見すぎた
軽いくしゃみが出た。

「ッシュン」

子供達に笑われた。
照れ隠しに伸びをして、屋台に向かった。

三が日が開けたといえども、まだ浮足だったムードは
風景に滞留している。
晴れ着で行きかう人も珍しくない、よく晴れた夕暮れ。

おでん鍋に火を入れると
また声が聞こえだす。
「牧さん牧さん」ボールが可愛らしい声を上げてはしゃぐ

「今日は僕食べてもらえるかなあ?」
彼らは一様に、人に食べられることを楽しみにしている。
食べられることによって彼らの生まれた意味が完結して
美味しいと言われることが、誉れなのだ。
そんなシンプルな彼らが、とてもうらやましく思えてくる。

牧村は精いっぱい彼らに、美味しくなってもらいたい
沢山お客さんの誉めてもらいたい。
だから真剣に、そして愛しく
おでんを作る。今年の商売初日。

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