読書メモ:「重耳」を読み直す

縁があって書評の依頼をいただいたので、自分の人生を後押ししてくれた一冊として「重耳」を読み直し、書評を書いてみた。ちゃんと掲載されるかまだわからないけど、もし載ったらまたお知らせしますね。

今回は僕が中学校二年生で最初に出会い、それ以来、心の深いところをゆらし続けてくれている重耳を改めて読み直し、よかったところを抜粋してみました。宮城谷作品、夏姫春秋や孟嘗君、晏子なども好きなのですがやっぱり最初に出会ったのが重耳なので、あらためてオススメです。

徳とは、目に見えない引力である

「徳」という考えかたを何度も何度も宮城谷さんが繰り返すうちに、自分の中に本当の意味はわからないまでも規範としてすり込まれていったのは僥倖であった。

拝揖して退室した郭偃は、そう実感した。称はさきざきのことを考えて、君臨の重さを徐々に太子へうつしながらも、人への興味を失っていない。臣下のもってくる、この種の小うるさい請願を、ものうげにしりぞけるようになったら、人主としてはおわりだといってよい。それをしない称は、君と臣とはどういうものかを、よくよくわかっているせいもあるが、人好きは稟質でもあろう。

組織のリーダーをしていて「どこまで人に関心をもてるか」は大きなテーマの一つであるように思う。この称という名君の晩年のあり方を忘れないようにしたい。一方でこの名君なのに、息子がなぁ。。 子育てって難しい。

申生さまは欠点がない。それが欠点ではないか。人の器量というが、器量とはしょせん器の大小にすぎぬ。申生さまの人格はできあがりすぎており、器としては堅い。堅い器は、それ以上大きくならないし、こわれやすい。本当の明君とは、器の枠を感じさせず、われらごときでは器の度量ができぬはずである

重耳を含む3人の兄弟の公子の争いが中盤以降の目玉となる。その長男たる申生の評価がこちら。辛い。むしろこのあとついに社稷ではなく孝道にこだわり続ける申生は評価をどんどん悪くしていくことになるのだが、初っぱなでこの評価。しかも本人言われてもどうしたらいいのかわからないかもしれない。

申生を育てたこれまた名大夫の狐突をもってしてさえ、この器を広げる事はできなかった。器の完成を急いだらダメ、絶対。

他人よりすぐれたものをもっていたら、けっしてそのものを誇ってはなりません。人は誇ったものによって、かえって滅ぶのです
他人よりまされば、誇りをつつしみ、他人におよばなければ、誇るどころではありませんから、人の主というものは、一生涯、誇色をだせぬというわけです。誇りの色は、主君をみて、臣下がおのずとだすものです

おごりと戦う。人生の一つのテーマだな、と。精進します。でも逆の順番にはなるが、スタッフの皆が組織を誇りに思っている姿を見て、自分自身が深い充足感と自信が芽生え、誇る必要がなくなる、という感覚はわかる。

天下というものは、一人の天下ではなく、天下の天下というべきです。天下の利を同じくするものが天下を得る。それに反して、天下の利を独り占めにしようとする者は、天下を失います

まさにwholenessでありシステムリーダーであり、collective impactですらあると思う。これを真とするならば、株主市場資本主義と、市場のあり方は設計が間違っているようにも思う。取り組めるとよい一つのテーマ。そして、付け加えるならば、「自分の心の中に天下はあるのです」

大器は晩成すということだ。真の賢者は愚者にみえ、真の聖人は無能にみえる

勇気をもらう一文。今回調べて知ったのだが、「大器晩成」は老子の言葉と言われていて、元々は「大きな器は完全な器ではない」という意味だったそうだ。完成してしまっているようでは器として不十分だということだろうか。人の器というのは堅くてはいけない。周りからみて縁が見えないくらいでちょうどよいのだ。

そして現代で使われている意味でも「大器晩成」を地で行く重耳。62歳で王となるシーンは涙なしには読めない。舅犯、好きだ!

天下に覇をとなえるには、すくなくとも三代かかる。いま斉は、東方で覇権を樹て、その威令は中華の半分をおおっている。が、斉の栄華は早すぎる。二代で美しい花をつけすぎている。汝は子孫のために、じみな花となれ。さすれば、豊かな実が成る

これもソーシャルインパクトを手放す、という文脈で「自分は150分の1でよく、3世代かけて社会が変わればよいのだ」といった自分のあり方と通じるものがある。中学生の時読んでいたものに今も影響されているのだろうとも思う。

主従の狎愛が度をこすと、たがいに甘えが生じ、相手を恃む気持ちが肥大化し、ついには妄想しかみえなくなり、自儘が昂じて、妄想の破れとともに、どちらかに破滅がおとずれるものである

これもめちゃくちゃ刺さった。僕のあり方やコミュニケーションのスタイルでは起きがちなことで、何度も痛い目を見てきた。これからもテーマだろうな。。。

けがれのないまっすぐな意志というものは、けっきょくいかなる困難をも突き破ってしまうものだということを、狐突は齢をかさねて、世故にたけて、かえって実感している。

僕もありがたいことにかものはしプロジェクトを突き動かした「意志」を本当に多くの方に応援してもらった経験から凄く共感する。モノゴトを動かすのは、結局は戦略でも能力でもない、意志です。

夢みることも、信じるものもひとつしかない、とおもった。臣下である。臣下の夢に自分の夢をあわせ、自分を信じてくれる臣下を信じるほかない。

ここは震えた。今作っている中期経営計画で大きな活を入れてもらえた気持ち。

いかにも大器晩成であるが、人は生まれもった性情だけではどうにもならず、それに知識がくわわり、さらに世事に洗われ、天地の象が融け込んでくるようになって、はじめて人格をなす。重耳に覇気を生じさせたのは、旅である。といい切ってもよい。旅において、人をみ、天地をみた。

この「旅」こそが、常にSALASUSUがとなえつづける「life journey」なんだと僕は思う。世情に加えて、知識、世事に洗われること、天地の象が融け込んでくること。人をみて、天地をみるそんな旅を僕も続けて行きたい。まだカンボジアに住んで13年。19年食べるものにも窮しながら進んだ重耳を思えば道半ばもよいところである。

人に何かをしてもらいたいと思えば、こちらからなにかをしてあげる。人に愛されたいのなら、こちらから愛する。人を従わせたいのなら、まず、人に従ってみる。人に徳をほどこさないで、人を用いようとするのは、罪悪です

これは自分が組織のリーダーとして、そしてミッションやビジョンを用いて人を動かしてしまう立場として心に刻んでおきたい言葉。まず自分から愛する。さらに付け加えるならば「まず自分を愛する」ことかもしれない。

やはり今読むと、リーダーシップの本として読んでしまう。でもきっと、また将来読んだら違う読み方ができるんだろうな。それも楽しみにしている。

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