7冊目の『ライ麦畑で捕まえて』

7冊目の『ライ麦畑で捕まえて』 

 J・D ・サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』、僕は昨日7冊目の「ライ麦」を購入しました。同じ本を7冊も購入してしまうのは、自分でも余程のことだと思って、「ライ麦」観を振り返ることにしました。もし、いつか興味が湧いて、手に取ってみようと思った方のためにも、内容にはあまり触れないようにしたいと思います。

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 画像は、白水社から出版されたペーパーブック版で、一番新しい『ライ麦畑を捕まえて』です。この版は、村上春樹が翻訳したことでも有名で、最近だと、新海誠監督作品『天気の子』でも話題になりました。僕はこれを一番最初に読んで、それ以来、この作品が好きになり、気づけば、ハードカヴァー版(タイトルが赤字)を含めて4冊購入していました。他にも、野崎孝訳の『ライ麦畑で捕まえて』を2冊、そして今回ついに、原著を購入しました。

 どうして、僕はこの本をこんなに買っているのか。何が魅力的だったのか、考え直してみようと本を手にとってみようとしたら、いま、手元には一冊も残っていませんでした。よくよく考えたら、僕は全てのライ麦を誰かに貸したり、あげたりしています。そして、僕がはじめて読んだ「ライ麦」——また、それも友人への手向に渡してしまったのですが——もまた、母からもらった物でした。
 なるほど、この本は「誰かに渡したくなる」本なのか。けれど、「渡したくなる」というのもまた不思議な話で、普通、本は人に「勧めたくなる」もので、わざわざ渡すかと言われるかというと、少しヘンテコな気がします。僕は2冊ほど誰かに貸しているのですが、貸している「ライ麦」に関しても、そもそもあまり手元に戻ってくることを考えていないことに気づきました。もちろん、その人が借りパクの常習犯で、アテにしていない、という意味ではありません。この本は時間を忘れて貪り読むというよりは、思い出したように数ページ読んだり、本当に落ち込んで、何もすることがないよう時にこそ、うまく読めるほんなような気がして、だからこそ、いつか読み終わって、その時まだ僕と縁があるようなら、返って来ればいいかな、と思う程度なのです。

「孤独」と「不安」

 じゃあ、なんでそんな気持ちになるのか。それこそが僕がこの本を好きな理由のような気がします。

 主人公のホールデンは冴えない青年。何度目かの高校で、また成績不良で退学処分になって、どう両親に言い訳をつけようかとか、この高校の同級生もあいかわらず酷かったとか、そんなことを呟きながら、ニューヨークの街を放浪する。彼は、世の中のあらゆることが気に入らなかった。だから、立ち止まって考えていた、世の中がどれほどインチキか。けれど、周囲はどんどん社会に馴染んで、社会の一部になっていく。そうして、ホールデンは一人取り残され、そんな彼に世の中はあまりに冷たい。

 「ライ麦」には様々な「世の中」が登場して、ホールデンは、いろんな世の中に片足を踏み入れようとしては、尽く失敗する。その様子は、本当にツラい。特に、娼婦を5$で購入したはずなのに、「いや、10$だ」って付き添いの男に言いがかりをつけられ、しまいに顔面を殴られるシーンなんて…。

 でも、一方でホールデンが全身で感じる「孤独」は彼が考えることをやめなかった結果でもある。僕らは(そしてホールデンも)、常に周囲へ溶け込むことを強要される。たとえ、本当のところは馴染めなくても、馴染んでいるふりをする。世の中に取り残されるよりかは幾分マシであるから。でも、ホールデンは、常に反抗した。そんな世の中のインチキを憂いて、常に無垢を探し続けた。そうしていたら、インチキを上手く取り込んだ奴らが、ホールデンを爪弾きにしてくる。じゃあ、彼は、社会に適合できない困った青年なのか、あるいは世界一無垢ゆえの孤独、そのものなのか。

 本題に戻って、僕がこの本が好きな理由。それはこの本が、僕らが普段、忘れようとしてる「悩み」と「孤独」を前向きに思い出させてくれるからです。

 最近は、「悩み」に関してだいぶ否定的な世の中な気がします。「悩みへの不安」というより、「悩むことへの不安」が大きくなっているように思えます。悩んでいたら、その間に周囲は一歩も二歩も進んで、取り残されてしまう。だから、せめてこの悩みは自分にとって、「意味がある」って。けれど、ホールデンをみていると、「意味がある」とか、そういったものに譲ってはいけない、自分にとって大切な悩みが確かにあるとわかります。仮に、悩み抜いて、結果孤独になってしまっても、世の中に考え方まで飼い慣らされるよりはマシだって、ホールデンならそういうでしょう。

 悩みは、いつだって周りに馴染めないから生まれるものだし、それを周りに委ねても解決はしません。その点で、悩むことはとても孤独なことです。

僕がこの本を誰かに手渡す時

 僕がこの本を誰かに手渡す時、(余計なお節介かもしれませんが)、その人がもし何かに悩んだ時、そしてそれに囚われて孤独に沈んだ時、そういった時にホールデンがきっと助けになるはず、と期待しています。あるいは、もし、その人が悩んでる真っ最中なら手を貸してあげたい。けれど、悩みは本質的にその人だけの特別な問題で、本当のところは、してやれることは何もない。だから、「ライ麦」を渡すことで自分なりにエールを送っているのかもしれません。そういう意味で、『ライ麦畑で捕まえて』は誰かに渡したくなる一冊で、7冊目を買った今もあまり後悔はしていません。


 

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