見出し画像

"共同創業者"との8年の歩み

彼がいなければ、今の僕はいない。
会社も存在しない。

ふと昔の写真を見ていたら懐かしい写真がでてきた。
2015年だったかな?確か当時サイバーエージェント・ベンチャーズ(現:サイバーエージェント・キャピタル)が主催していた「Breakfast for Founders!」という朝会だ。

前職を辞めて上京してまだ間もない頃だったと思う。

「スタートアップ」という言葉すら知らなかった私は「ベンチャーキャピタル」という存在も知る由もない。スーツ姿である2人がそれを物語っている。外資製薬会社でMRをしていた私からすれば、スーツにネクタイが普通だった。
「音楽×IT」という軸で起業しようと決まっていたが、まだアイディアを練る日々で会社すらない。

夢を追って上京したただの無職だ。

共同創業者との出会い

彼と出会ったのは私が上京する数ヶ月前だったと思う。過去のブログを久しぶりに開いてみると、2016年5月20日のブログで彼に関して書いてあった。

たぶん、その頃に初めて会ったのだろう。

当時彼は普通の大学生だった。初めての出会いは、CoffeeMeetingという気軽にお茶をしようというコンセプトのWebサービス。今はすでにサービスが終了している。

私はビジネスプランを考えていく中で、Webサービスが作りたくなった。そして、エンジニアを探していた私がこのサイトを経由して連絡をとったのが、彼だった。
当時の私は独学でWebデザインとプログラミングの勉強をしていたが、簡単なWebサイトが作れる程度でWebサービスを作るスキルは到底持ち合わせていなかった。後々わかるのですが、当時彼は私よりプログラミングができなかった。

サービス上で連絡をとって数日後、彼は夜行バスで東京から大阪に会いに来てくれた。そんな彼の行動力に心奪われ、一緒に起業することになる。

私はクリエイター向けのサービスを考えていた。しかしながら、彼は音楽サービスが作りたいと話す。会話していく中で、私自身の音楽に対する想いが溢れ、彼と一緒に音楽サービスで起業する決意を固めた。

彼とは以前からの繋がりなどなく、会ってまもなく一緒に起業する決断したのである。

今思えばとてもリスクのある選択だが、当時の私は誰か仲間が欲しくてしょうがなかったのかもしれない。

夜行バスと上京

それからというもの、週1ぐらいの頻度で私が夜行バスで東京に行き、日帰りで夜行バスで帰るという日々を過ごしていた。0泊3日の貧乏出張だ。

今思えば、よくそんなことをしていたなと思うのだが、彼と会うことが未来の一歩に繋がるという期待しかなかった。もう夜行バスには乗りたくないと何度思ったことか。
その後も起業して何年もの間、大阪の実家に帰る時はお金もなく、夜行バス移動を続けていた。

東京に行った時は渋谷にあったありんこオフィスというコワーキングスペースをよく利用していた。ドリンク飲み放題で1日利用1,500円という格安で大変助かった。

無職の味方だった。

その頃、インターンとして1人メンバーが加わった。彼も含めて3人で起業アイディアを練る日々が始まった。

それから数ヶ月後、そろそろ東京に行くべきだと思った。彼は東京の大学に通っていたので、大阪に来るわけにも行かず、私が東京に行くしか選択肢がないと思ったからだ。

東京の土地勘が全くない私は、彼が学校帰りに通いやすい落合に1Rを借りた。よく駆け出しのミュージシャンが六畳一間で生活をしていたという昔の話をしているが本当にそのような住居だ。
小さな机で2人はとても狭い作業スペースだった。腰もお尻も痛い。
3人の時は本当に牢屋のようであった。
でも希望に満ちていた。お金はなかったが、必死でまだまだ死ねないと強く胸にいだき、充実した日々を過ごしていた。

ラーメン代稼ぎ

上京してお金の減りが早くなった。彼は親の仕送りなどがあったかもしれないが、私は貯金がなくなっていく。幸い前職で貯めたお金と上京する前に車を売ったお金でなんとか生活をしていた。かなり切り詰めて生活をしていたため、なんとか過ごしていた。

しかし、この状態が続けば手元資金は枯渇してしまう。音楽サービスのプロトタイプは作り始めていたが、いつお金になるのかなんてわからない。数年後かもしれないし、もっとかかるかもしれない。
そんなことからラーメン代を稼ぐ決断をする。

※ラーメン代稼ぎとは、Paul Graham氏が提唱していることで、スタートアップ起業家が生活費をギリギリまかなえる程度の利益を出すこと。

Want to start a startup? Get funded by Y Combinator

自分たちのスキルアップに繋がるという観点からWebサイトの受託制作、簡単なシステム開発を始めた。まずは制作実績を作ることから始めないといけないと思い、クラウドソーシングを活用した。

クラウドワークスとランサーズには本当にお世話になった。

全くお金にはならなかったが、数千円〜1万円ほどの簡単なWebサイトの作成案件からスタートした。

それと並行して、転売も始めた。
最初は稼げなかったが、徐々に稼げるようになっていった。
転売は事業と関係ないと割り切っていたので、会社設立までのバイト感覚で行った。

会社設立

少しづつWebサイトの制作実績が増えた。その頃からクラウドソーシング以外に直接取引する会社も増えてきたので、会社を設立する決断をした。ただ金額は良くて数万円から10万円程度であった。そろそろラーメン代を稼ぎながら本格的に音楽サービスのプロトタイプを完成させる必要があった。

会社設立にあたって、コーワーキングスペースを運営しながら、そこで自社サービスを開発するという選択肢もあるのではと考えて、ツクルバ運営のco-ba shibuyaに相談しに行った。当時のツクルバはとてもベンチャー感があり、これから事業を拡大していこうというフェーズだった。そういう雰囲気も魅力的だった。

相談させていただく中で、コワーキングスペースの運営はかなりリスクがあるという結論になった。しかし、そのご縁からco-ba shibuyaにインターンスタッフ兼利用者という特殊な形で入居させていただくことになった。今はオーナーさんが変わっているようだが、当時のスタッフの皆さん、入居者の皆さんには本当にお世話になった。

会社もco-ba shibuyaで登記した。

それが僕たちのスタートである。

共同創業者として

気づけば会社は8年目を迎えていた。
彼と出会ってからは5月で9年目を迎える。

彼にはたくさんの大変な思いをさせてしまった。
たくさんの苦労をかけたし、たくさんの苦労を共にした。
それはただただ私が未熟であったからだ。

膨大な選択肢がある中で、よく一緒に居てくれたと思う。
それは当たり前のことではない。
本当に感謝しかない。

この場をお借りして感謝を申し上げたい。

ありがとう。

執行役員CTO就任

5月から彼は執行役員CTOに就任した。

起業してからというもの、エンジニアとして優秀なメンバーがジョインし、その彼がCTOをしていた。そして、今回その彼からCTOを彼に移譲することになった。

元CTOである仙石さんは、VPoE(Vice President of Engineering)として頑固たるエンジニア組織を作り、引き続きマネジメントをしていただく。

仙石さん、今回の私の決断に賛同していただき本当にありがとうございます。これからも未熟な私と会社をよろしくお願いいたします。

さいごに

冒頭にも述べたが、共同創業者の彼がいなければ、今の僕はいない。
会社も存在しない。

現在CotoLab.は素敵なメンバーに恵まれ、少しづつ拡大している。CotoLab.を選んでくれたメンバーにも本当に感謝しかない。
私はとても未熟だ。代表として、リーダーとして、まだまだ未熟だ。
そんな私に着いてきてくれて本当に感謝しかない。

メンバーの皆さん、本当にありがとうございます。
これからも未熟な私と会社をよろしくお願いいたします。

未だ道半ばながら、2人で始めた会社は少しづつ形になり始めている。

ゆうま、ありがとう。
私の良き理解者として、これからもよろしくお願いいたします。


P.S.)
気づけばあまり2人の写真がなかった。2人で飲みに行った時は大体いつも撮り忘れる。次回は写真撮りましょう!

2019年年末


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?