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愛の別名がなんであれ 11話

〜2019.冬〜

記事を書くことに追われていた。
主に家電製品のネット記事を書いている。その全てを購入することもなく、調べた情報を元にわかりやすく宣伝する場合が多かった。
少しでも文章力の向上になればと思い、アルバイトから入社して三年が経つ。
同期との出世競争にも興味はなく、自分はこのままでいいのかと自問する日々だった。マグロは泳ぎ続けなければ死んでしまう。自分の棲む海域はここではないのに忙殺されている現状が辛かった。
今週中に投稿しなくてはいけない記事がいくつも溜まっていた。それが片づくまで愛夏とまた会う約束をすることもできなかった。
また会いたい。その情熱を原動力にして一心不乱に記事を書き上げていった。自分が一生使わないであろう製品の記事を書く虚しさは拭い去れなかったけれど、気持ちを割り切れないままでも書くしかなかった。
たくましくて、割り切っていて、受け入れて、人生を謳歌してると言わんばかりに屈託なく楽しめるような、そんな人種とはどうにも合わない。 そんな彼らが立派な社会人の姿だとするなら、僕はやはり落伍者なのだろう。

多忙を極めた一週間が終わった。全てが高評価を受けるような記事には仕上がらなかったが、どうにか及第点は取れた。
「西村はセンスはあるんだけど文章の安定感がないな」
上司からそんな感想を伝えられても、上の空で聞いていただけだった。

なんとか週末までに間に合わせ、たまにしか飲まない酒を飲みに帰りに居酒屋へ寄った。
いつもの居酒屋のカウンターの隅に座り、焼き鳥とモツ煮をつまみにハイボールを飲んだ。ふと横に目をやると、この前見かけた安藤君と呼ばれていたサラリーマンが今日は一人で飲んでいた。
年は同じくらいだろうか。どちらかと言えば地味な顔立ちで、きっと学生時代は教室の隅で一人で絵を描いていたタイプかなと想像してみた。
安藤君と話がしてみたくなった。いつもなら決してそんな真似はしないが、酔いと疲労が冷静な判断を狂わせていた。
「こんにちは。少し話しませんか」
安藤君と呼ばれていた人物は、特に驚きもせずにこちらを見た。
「この前もここで飲んでいましたよね? 話が聞こえてきてちょっと気になったんですが、絵を描いているんですか?」
「いやぁ、まあ趣味で描いてるだけですよ。それももう、辞めようかなと考えてます」
「よかったら僕にも見せてもらえませんか?」
「そんな大したものじゃないですけどね。スマホの画面でいいなら、いくらでも」
そう言ってデータフォルダを開いて大量にある写真の中からいくつか見せてくれた。
水墨画で描かれた力強い獣の絵だった。
ライオン、狼、豹、キリン。素人の趣味のレベルではないことはすぐにわかった。
この絵に惚れる人がいるのも無理はない魅力がある。
「すごい…… 絵には全く無知なもので細かいことはよくわからないのですが、引き込まれる素晴らしい絵ですね」
「ありがとうございます。けれど全然売れなくて。商社で商品開発の仕事をしてるのですがなかなか仕事の合間に描く時間も取れないので、来月は嫁の出産予定日なのできっぱりと辞めることにします」
安藤君は家庭持ちか。こんなにいい絵を描くのに残念だ。僕のそんな感情が顔に出ていたのか、安藤君は察して言った。
「家族がなにより大切ですからね。それと比べれば趣味の一つを諦めることなんてなんでもないですよ。あなたはお仕事はなにを?」
「僕は企業所属でライターの仕事を。独身なので家族を持つ幸せがまだわからないんですよ」
「大変そうな仕事ですね。お互い健康には気をつけていないとですね」
そのあとも、趣味や子どもの頃に流行ったものなどの話に花を咲かせた。ここのモツ煮は最高だ。今日は特に酒が進んだ。

安藤君は真っ直ぐで誰から見ても好青年というような印象の人だった。鬱屈したところを感じない素直な性格に見えた。来月産まれる予定の子どもの話になると自然と笑顔になっていた。
「では、あんまり遅くまでいられないですからね。今日はどうも。もう当分ここには来れないですが、またお会いできたら一緒に飲みましょう」
「こちらこそ、今日は時間取らせて申し訳ない。ありがとうございました。早めの出産祝いってことで今日は出させてください。元気なお子さんが生まれることを祈っています」
いやいやそんな、と断るのを制止してそのまま帰るように促した。安藤君は深々と一礼して先に帰っていった。その背中を眺めていた。
(卒業しちゃうんだな)
安藤君と呼ばれていたことしかわからない彼の絵を目にする機会はもう二度とないだろう。
少し感傷に浸りながら酒を煽った。
(けど……)
家庭を持ちたい気持ちは僕にも強くあった。その時には僕も卒業するんだろうか。


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