ソランジュの『When I Get Home』

 ある朝、気がつくと、ビッグ・アーティストの新作が世に出ているということが昨今は少なくない。3月の始めにリリースされたソランジュの『When I Get Home』もそうだった。ジャケットは前作『A Seat At The Table』と同じように何も身につけていない彼女の肩から上のポートレイト。角度も同じ。でも、肌の色はぐっと暗い。その暗さを読み込むには、少し時間がかかってしまった。

 『When I Get Home』は冒頭からして、新しいソランジュの音楽の誕生を告げている。エレクトリック・ピアノとシンセサイザーに乗せて、「I Saw Things I Imagined」という短い歌詞が繰り返される。だが、メロディーはトッド・ラングレンのような巧みな転調が凝らされ、どんどん展開していく。そのまま耳を澄ませていると、ヴォーカルだけでなく、すべての楽器がその一行の歌詞、あるいはそれに呼応する言葉を奏でているようにも聴こえてくる。エルメート・パスコワールやシャソールを思わせる手法…と思いきや、プロデューサー・クレジットにはそのシャソールの名が。フランスから彼を呼び寄せたことが、このアルバムに大きな影を落としているのは間違いない。

 アルバムの中盤、同じくシャソールが働いた「Dreams」も同様の手法が凝らされている。と同時に、アルバム全体がソランジュの少女時代からの回想を投影したものであることを象徴的に語っている。そのままインタールードを挿んで切れ目なく繫がる「Almeda」は出身地、ヒューストンの彼女の育ったエリアの名だという。「もっとドランクするの、ちびりちびり」という歌詞がぐるぐる回る酩酊ソングの中で、ソランジュは白人のカウボーイやビジネスマンの街と描かれがちなヒューストンを黒く黒く染め上げていく。

 思えば、デビューの頃のソランジュのポートレイトははるかに肌が白っぽく、アイドル・ライクにメイクされていた。だが、ここでの彼女はあえて生々しいブラック・ガールの顔に戻っているのだ。その一方で、音楽的にはアルバムはかつてない複雑な洗練美に達している。多分に即興的なものだろうと思われる俳句のような短い歌詩。その繰り返しの変調には、90年代のヒューストンから現れたDJスクリューのチョップド&スクリュードの手法も使われるが、全体の構成はスティーヴ・ライヒのミニマリズムを想起させる。

 声と楽器音の区別なく、すべてが「言葉」を奏でているかのように作り込むシャソールの手法が、そのテクスチャーを快楽的に仕上げると同時に、作品の個人的な感触を強く印象づける。R&Bのアルバムの常として、曲ごとにプロデューサーやゲストの参加は数多いのだが、音楽の感触としては極めて「ひとり」。そういう意味ではこれはシンガー・ソングライター作品と呼ぶのがふさわしい。この時代にあって、ジョニ・ミッチェルの不在を埋めてくれているのがソランジュ。僕の中ではそう言ってもいいくらいなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?