世界✕別府 八十八湯温泉めぐりの旅


極東の島国の、そのまた片田舎、九州アイランドの右肩、瀬戸内海に面して、ゆる~~いマチ別府。

1982から、ボクはこのマチで生まれ、大学卒業まで過ごした。別府は知る人ぞ知る温泉観光都市。どぶに流して捨てるほど余る、豊富な湯を生かし、高度経済成長期に社員旅行、修学旅行のメッカとして名を馳せた。しかし、みなが金をもって豊かになるにつれ嗜好も代わり、旅人は徐々にユニークで、パーソナルな旅が好むようになった。安くて、大衆的で、大規模施設をウリにしていた別府観光業は低迷期へ。おとなり由布院や黒川温泉などに周回遅れて差をつけられた。

しかし、ピンチはチャンス。起死回生の矢は、2000年に放たれた。いわずとしれた、あの「別府八湯勝手に独立宣言」とともに、四国のお遍路さんを丸パクリした「八十八湯をめぐるスタンプラリー」別府八湯温泉道をリリース、日本各地のマニアックな温泉マニアをひきつけるようになった。これが今日の別府躍進の下地になったことは、言うまでも無い。

くしくも2001年、グローバルの謳い文句にいざなわれ、僕はAPUに入学「斜陽する観光都市別府」という地元民に喧嘩売りまくりなテーマのフィールドワークに参加し、はじめてこのマチの魅力に目覚めた。

世界で二番目といわれる豊富な湧出量は、このマチの温泉の数を絶対的に高めている。そして、その数が、泉質の多様性をもたらす。さらに、ときに公共浴場、個人浴場、家族風呂、蒸し湯、露天風呂、さらには地獄釜での調理活用といった湯の用途の多様性までをもたらしているのだ。

さらに、その温泉場一つ一つに、そこではたらき、そこで生きる人々がいる。瀬戸内の緩やかな風土がそうさせるのか?はたまた日本の歴史にほとんど参加しなかった平和な土地柄がそうさせるのか?このマチの人々はまるですでに極楽にいるかのように、穏やかで、そして、どこかちょっとだけズレている。

偶然にもボクは知った、別府の、つまりボクの故郷の魅力を。

しかし、高校の同級生やわが父母ですら、その魅力に気づいていない。高校の同級生なんて、みんな熊本か福岡か、大阪にでてしまった。(別府の若者にとって東京という選択肢は遠すぎるのだ。)このマチは仕方なく住んでいるだけの、見たことのあるスーパーと、コンビニと、ドラッグストアで埋め尽くされた、どこにでもある冴えないマチ、そんな風におもっていた。

このギャップを、このマチが持つ本当の魅力と、そこに住む人達のマチへのイメージのギャップを、なんとかして埋めたい!いや、埋めてぇ~んよ!いつしかそんな想いを抱きはじめる。

そして、ある晩別府の大学生と、別府の名店いづつ(磯辺揚げが美味しい)で飲みながら「いやぁ、おれ世界中の温泉入ってきたけど、やっぱ別府が最高よ」と、語っている。そんな場面を夢みるよゆになった。

それから6年後、大学を卒業し、東京での証券マンとして順調に積み上げていたキャリアを僕は捨て、バックパックを背負った。世界の温泉をめぐるために。笑

これからまとめるのは、2011年~2013年の700日間、世界47カ国、88の温泉をめぐる旅でリアルに経験したことだ。そして、同時にその体験に限りなく近い体験をできる(かもしれない、いや、きっとできるはずな)別府の温泉を読者諸兄に紹介する。大胆にも、世界と別府をつなぎ、対比させることで、両者の魅力を浮き彫りにしてこうとする。その意味で、これは壮大な思考実験でもある(気がする)。いづれにせよ、ここに綴る物語が、「世界は無理でも別府にはいきたい!」というアナタの衝動につながれば儲けものだし、なにより別府に生まれ、育ち暮らす高校・大学生たちに「別府おもれ~な~」と思ってもらえたら、、、


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