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大人になると、あんまり泣かなくなるよね

先週くらいから、「Niji Project」にハマっています。


ぼくはわりと遅い方なので、すでに知っている方も多いと思うのですが、念のために簡単に書いておくと、一言で言ってしまえば「アイドル練習生のドキュメント番組」みたいな感じです。

J.Y.Parkさんっていう、一流のアイドルプロデューサーの方が、日本発で世界で勝負できるアイドルグループを作るというプロジェクトで、オーディションからデビューまでの過程を、ずっと撮影しています。

それで、観ている方はわかると思うんですけど、もう中盤以降は、練習生の子たち、全員が毎回泣くんですね。

J.Y.Parkさんに褒められては泣き、厳しい指摘をされても泣き、練習中でもうまくいかなかったら泣きって感じで、逆に画面上に泣いてない人が1人も泣いてない時間を探す方が難しいのではないかと思うくらいです。

その様子を観ながら「めっちゃ泣くなあ」っていう至極他人ごとな感想と、その一方で、「これだけの極限状態というか、物事に本気で向き合う時間を過ごしているのは、とても尊いことだなあ」という感情も抱いています。

当たり前ですけど、それだけすぐに涙が出てくるのって、それだけ本気で向き合っているからってことなんですよね。

仮にアイドルとしてデビューできなかった子が出てきても(まだ最後までは観終わっていない)、この濃密すぎる経験は、絶対に今後の人生で生きるだろうなって、なんか偉そうな視点で観ている自分もいます。


というのも、ぼくいま23歳なんですけど、歳を重ねれば重ねるほど、泣く機会って基本的にはめっちゃ減っていきますよね。

(歳をとって涙もろくなったわあ。。。みたいな話は一旦割愛)

それってまあ、前提として泣くことに対する耐性ができたり、あとは歳を重ねて社会との接続面が増えれば増えるほど、考えることとかやらなきゃいけないこととが増えるので、ひとつのことだけに熱量を注ぎにくかったりといった、ある意味で不可抗力的な要因はあると思います。

あとビジネスって基本的にずっと継続するもので、学生時代の「部活の試合」とか「受験」とかみたいな「極限状態からの解放」シーンが少なるって理由もあるかもしれません。

でも、それと「自分の人生に対して本気で向き合ってるか」って、全く別の話だよなーと、夢に向かって全てを捧げているNiziの子たちを観て思いました。


なんで今日こんな精神論チックな話を書いているのかと言うと、ぼく今週、とあるとてもうれしい出来事で、泣いたんですね。

「涙がこぼれる」みたいなレベルじゃなくて、わりとちゃんと泣きました。

全然自分でも泣く予定はなかったんですけど、気づいたら涙と鼻水が止まらなかったです。


それで、その日の夜、布団で横になりながら「ああ、なんか久しぶりに泣いたなあ。しかも嬉し泣きの方で」と、ふと思いました。

映画を見ながら感動して泣くとか、悲しかったり寂しかったしてい泣くとかは、不定期であるんですけど、嬉しくて泣くって、マジでめっちゃ久しぶりでした。

そして嬉し泣きって、変な言い方ですけどめっちゃ嬉しいじゃないですか。


自分が泣けるくらい本気で向き合ってきたもので、かつ泣けるくらいの成果が出るって、こんなに嬉しいことはないじゃないですか。

「嬉し泣き」って、人生の豊かさにおける、ひとつのバロメーターかもしれません。

まあ別にこれは「現象」でしかないので、嬉し泣きを目標にして生きるのはなんかちょっと違う気がするのですが、「自分はいま本気で生きてるかなあ」は、折に触れて自分に問いかけてみようと思いました。

「本気」って言うと、なんか難しい顔をして睨みつけてる感じの顔をイメージしてしまうんですけど、ちゃんと遊び心や楽しむ気持ちも、一緒に持っておきたいですね。

「本気だけど楽しい」ってよりかは、「本気だから楽しい」って文脈の方が、正しい気がするので。


なんか特にこれといった結論もメッセージもないし、今日別に誕生日とか正月とかの節目でもなんでもないんですけど、ああ、人生で本気で生きていくぞって、改めて思ったって話でした!

嬉し泣きって、嬉しい。

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