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プロ野球、延長線廃止論

東京での休学インターン生活が終わり、1年ぶりに兵庫での実家生活が始まりました。

個人的に1番大きな環境の変化は、「テレビ」ですかね。

東京の家にも一応テレビはあったんですが、生活リズム的に、ほとんど見ることはありませんでした。

それが実家だと、例えぼくが見なくても、家族の他のメンバーがいれば半自動的にスイッチが入ります。

なので結果的に、リビングにいるとぼくの視界にもテレビの映像が入ってくるでのす。

そのなかで、テレビを見るようになって圧倒的に接触量が増えた情報が、「野球」です。

ぼくのお父さんが大の野球好きで、試合がある夜は、基本的に野球中継を見ています。

最近はCSやBSでの放送が多くなり、東京のテレビは地上波しか見れなかったで少し疎遠になっていたのですが、帰ってきてからは再びぼくの巨人愛も高まってきています。

ここからが本題

そして、ここからがようやく本題なのですが、こうして改めて毎晩のように野球の試合を見ていて、「野球ってすごいな」と小学2年生みたいな感想を抱きました。

冷静に考えてみたら、全く同じフォーマットのコンテンツを、365日のうちに858個(=143試合×6)もつくって、しかも1個のコンテンツが毎回2~3時間というバラエティなら特番級のボリュームがあるんですよ。

それでもって、毎試合少ないところでも1万人以上、人気球団だと4万人の集客も当たり前のようにやっていて、これってめちゃくちゃすごくないですか?!?!

スポーツというカテゴリでもみても、日本だと他に類をみない集客力だとお思いますし、テレビ上のコンテンツという枠組みでみても、視聴率は一旦置いておいて、それだけのボリュームのコンテンツを作り続けられるって、めちゃくちゃすごいことだと思います。

(視聴率という数字に置き換えると全盛期と比べて落ちているのは否めない事実ですが、逆に作り続けられる程度の需要はまだ残っていることも事実だと思います。)

背景にあるリアリティ、ライブ需要の高まり

日本での野球人気の低下が叫ばれて久しいですが、まだまだ捨てたもんじゃないなって感じます。

その背景の一つにあるのは(野球特有のものではないのが恐縮ですが)、リアリティやライブ需要の高まりといったものがあるのかなと思っています。

耳にタコができるほど言われていることではあると思いますが、1つ目の「リアリティ」に関しては、最近だと『バチェラー』や『カメラを止めるな』ですかね。

これだけネットやSNSが普及した現代においては、ウソっぽい作り込まれたものは、すぐに見破られてて共感を得にくくなりました。

それよりも、例えば『バチェラー』のようなエンタメにリアルの恋愛要素を混ぜ込むことにより、人間の等身大な喜怒哀楽を描いています。

あとは化物ヒットしてる『カメラを止めるな』も、華やかな舞台裏にある泥臭い場面を丁寧に描くことによって、たくさんの人の共感を得ています。

ぼくたちは、「ガチ」のものを求めているのです。

次のライブ需要も少し書いておくと、インターネット上にどんな情報もアーカイブされていつでもなんでも知れる、見れるようになってしまったからこそ、重宝する(=価値が生じる)のはその場でしか味わいない空気感や、いま進行しているという「ライブ感」です。

プロ野球が腐ってもプロ野球であり続ける要因には、こういった側面もあるのだと思います。

で、結局なにが言いたいのかというと

ここまで長々とプロ野球コンテンツのすごさにすいて語ってきましたが、で、結局なにが言いたいのかというと、「延長線、いらないんじゃね?」ってことです。

こんなに膨大な量のコンテンツを流し続けている番組は、いまだかつて見たことがありません。

そういや1年前くらいにも同じようなことを書いて、そのときは「ライト層の取り込み」のために延長線廃止を提言していたのですが、今回は「ヘビー層の野球に対する飽和状態」を避けるためにも、延長線は廃止したほほうがいいのでは?と思うようになりました。

プロ野球の持続可能な供給を考えてたときに、もうこれだけ莫大に流し続けているのだから、これ以上、コンテンツ量を増やす必要はないのでは?と思います。

これからも可能性に満ち溢れたエンタメであることは間違いないので、プロ野球周辺産業には、変化にも柔軟であり続けてほしいです。


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