ふと、思ったこと。

ぼくたちは、明日が絶対にくることは約束されてない。

でも、あたりまえのように明日がくるように感じるし、実際にあたりまえのように明日がきた結果が今だ。

だから、明日があることをあたりまえに思わないようにして生きていこうとしたとしても、完全にあたりまえじゃないんだなと思うことは無理なんじゃないかな。
  

ぼくの一番仲のいい友達が海外に行った。

そいつがもういなくなるから、たくさん遊んだし、たくさん話した。

あたりまえじゃないって思ったからやれることはやった。

でも実際にあいつがいなくなると、何か物足りない感じがした。

これが、あたりまえじゃないって感覚なんだなって。

ぼくたちは失ってからしかわからない。

失う直前にわかっていても、あたりまえじゃなくなるからって言っても、あたりまえじゃないって言うのを本当の意味で理解することはできないんじゃないかと思う。

失う前に後悔しないようにする方法は、ぼくにはわからない。

だから、今を受け入れる必要があるんじゃないかな?

失ったものばかりみても楽しくない。

ときには失ったものを見るのは必要だけどね。

今、自分のあるものを見て、何を大切にしたくて、何をやっていきたいのかを考えていかないとな。

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