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韓国・釜山での楽しいボランティア生活

ボートの汽笛とカモメの鳴き声。

これらの音が街中に溶け込み、港町に来たことを強く実感させられます。

旅人が集まるゲストハウスのボランティアスタッフを務めた、沖縄での滞在を終えて、次に向かったのは韓国のソウル。郊外の都市・水原(スウォン)にある友人の別荘を拠点として、のんびりと過ごしました。

韓国人の友達や偶然韓国に来ていた日本人の友達と再会を果たしたり、新たに知り合ったり、熱狂的なソウルの街を楽しみつつ、交友を深めることができました。

韓国へはこれで4回目。観光はあまりせず、人と知り合う機会をつくったり、日常生活を深く観察したり、自分なりに気の進むまま行動していました。

そして、水原を出発し、バスに揺られて5時間。次に向かったのは韓国南部の街・釜山(プサン)です。

ここで僕は新たな挑戦をすることにしました。


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初めての釜山

これまで韓国はソウルしか行ったことがなかったため、釜山は今回が初めてです。

韓国第二の都市で人口は340万人。韓国の北西に位置するソウルと南東に位置する釜山は、文化が大きく異なります。しばしば言われるのが、「ソウルを東京とするなら、釜山は大阪」。ソウルとは違った雰囲気を味わえます。

海に面した大都市・釜山は、世界でも有数の港湾都市です。しばしば市内上空をカモメが気持ちよさそうに飛んでいます。僕の主観では、釜山は大阪よりも横浜に近いような感覚を持ちました。

僕は釜山でボランティアをして生活していました。わずか2週間半という短い期間ではあるけれど、とあるひとりの韓国人男性の元で働くことになりました。

その方は、ナイトクラブの主催や民泊物件のオーナー、ボート会社の経営をしつつ、趣味のDJをも仕事にしてしまう敏腕経営者です。釜山一の景勝地・海雲台(ヘウンデ)で生まれ育ち、今もこの街でビジネスをしています。

ボランティアは、週末のみ開業するナイトクラブではスタッフとして入りつつ、週に何回かは民泊物件の掃除をしに行きます。常時2〜4人のいろんな国の人と一緒に働き、オーナーが借りているボランティア専用のアパートで彼らと寝泊まりします。

いろんな国の人がいるため、コミュニケーションは全て英語で行います。

きっかけは、釜山でなるべく安く泊まりたかった、という安易な考えでした。いろいろとネット上で調べるうちにこの案件を見つけて、すぐに申し込みます。

本来は最低3週間からの受け入れが条件でした。しかし、梅雨が終わり夏を迎えるにあたり、多くの人員が必要になったため、特別に2週間半でも受け入れてもらいました。

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ボランティア

部屋の掃除に関しては、沖縄のゲストハウスでもしていたので経験があります。今回のボランティアでは、民泊の部屋に泊まっていたお客さんが退出した後、掃除機をかけたり、水回りを洗ったり、シーツを洗濯したりするなどといったものでした。

特に覚えることも多くなく、オーナーと他のボランティアとも一緒に行うため、作業量は比較的少なめでした。ただ、お客さんが退出したタイミングで入るため、週に3〜4回とランダムで、スケジュールは突然決まるものもちらほらありました。

仕事自体は難しく無いものの、説明はすべて英語でされます。そのため時々わからないことがありました。何度も説明を求めてしまったこともあり、迷惑をかけてしまいました。

そもそもこのボランティアの参加条件には「流暢な英語」と書かれていました。僕はそこまで流暢な英語を話せない中行ってしまったので迷惑はかけても仕方ないと思ってしまいます。

ナイトクラブの方は、正直未知数でした。接客自体、沖縄で初めてやったくらいな僕にとっては大きな挑戦でした。しかも全て英語です。

そもそも僕はナイトクラブには数回しか行ったことがなく、そんな自分が協力できるのか、という不安もありました。

実際の業務では、接客、来場者のカウント、チラシ配りなどを行いました。

若くて元気そうな人たちに声をかけます。これは思っていたよりもできました。海外にいるからか、恥を捨ててできた気がします。

ただ、アジア人ゆえたまに韓国人に見間違えられる時もあり、韓国語で話しかけられてわからない、といったこともありました。

不安だと思っていたけれど、案外すんなり順応できてしまいました。

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釜山の生活

釜山での日々はとても楽しいものでした。

他のボランティアとの共同生活は、みんなそれなりに配慮ができて、ストレスはありませんでした。

オーナーはしばしばご飯に連れていってくれたため、いろんな韓国料理を食べることができました。

以前の投稿にも書いたように、不思議な船旅にも連れてってもらいました。

また、拠点としていた海雲台は、ビーチとローカル市場があり、毎日がお祭りのような街でした。そんな場所で生活でき、とてもポジティブな気分になっていました。

空き時間には、釜山の他の観光地にも行けたし、それなりにひとりの時間も作れたことから、とても満足しています。

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イベント企画

オーナーは実行力の塊のような人で、楽しいことがあったらすぐに実行してしまいます。

その例として、僕がいた2週間半という短い期間で、Pub crawl(はしご酒)のアイデアを発案し、実現までしてしまいました。

オーナーと付き合いのある地元の飲食店・バーへ交渉、イベント用のインスタグラムアカウント・Webサイトの作成、フライヤーのデザイン・印刷、街頭での宣伝と声かけ。

これらのほぼ全てをわずか1週間で行い、実現させてしまったのです。

ボランティアのメンバーもサポート、接客という形でその企画に参画させてもらいました。インスタグラムに何を投稿するか、などを一緒に考えていくのはなかなか楽しいものでした。

第1回のイベントでは、目標20人に対して、30人以上が参加しました。大成功です。そのため、翌週も引き続き継続することが決まりました。

敏腕経営者のすぐ近くでこれらを動きを見れ、とても貴重なものを見た気分です。自分の仕事もこのくらいのスピード感をもって取り組んでいきたいと思いました・

「梨泰院クラス」ならぬ「海雲台クラス」。そんな釜山の日々でした。

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さいごに

奇抜な画家として知られる岡本太郎は、著書の中でこのように語っています。

「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ」

岡本太郎『自分の中に毒を持て』

僕にとって、このボランティアへの挑戦は、一種の危険な道でした。いくらタダで泊まれるとはいえ、不安だし、やらずに済むならそっちの方が嬉しい。

とても不安でしたが、僕は誰一人として相談をしていないし、SNSにも一切載せませんでした。それは、反対されるのが嫌だったからです。

最初は危険な道に見えました。しかし、その道が気になってしまったのです。それはつまり、自分の行きたい道だったのでしょう。だから挑戦して良かったと思っています。

わずか2週間半という短い期間でしたが、ここでの出会いや体験は今後の自分にも強く影響していくと思っています。

今回、僕は初めて海外でのボランティアを経験しました。ボランティアはタダ働きかもしれませんが、それゆえ参加のハードルも低く、自由度があります。

まだまだ僕の英語のコミュニケーションは完璧ではなく、それゆえ今回は迷惑をかけてしまったことがたくさんあります。

しかし、僕には僕なりのやり方で貢献できたと思っているし、なによりオーナーや他のボランティアで一緒に楽しめたのが良かったです。

貴重な経験をくれたオーナー、そして一緒に活動できたみんなに感謝です。

韓国での日々もこれにて終わります。




僕のことは以下の記事で紹介しています。

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また次回の投稿までお元気で。

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