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沖縄の海の目の前で楽しさと成長を実感できた1ヶ月半の記録

「年齢なんてただの数字に過ぎないよ!」

ありがたいことに、僕は人に恵まれているのでしょう。不安に陥ると何か元気の出る言葉をかけて励ましてくれる友達がたくさんいます。

イマドキな価値観を抱えた人たちは、たとえば年齢みたいな数字で人を見ることがなく、ひとりの同じ対等な人間として関わってくれます。その感覚が心地よくて、何歳だからどうだとか気にしなくていいんじゃないか、なんてポジティブな思考を持つことがあります。

とは言ったものの、不安症の僕はひとりになると、しばしばネガティブになってしまいます。

僕は今28歳。もう1ヶ月も経てば29になるし、いよいよ30の大台が見えてきました。20代が終わっちゃう。

古代中国の思想家・孔子は、『論語』の中で一生を回顧して年齢ごとの人間形成の過程を述べています。この中で30歳は「而立」(じりつ)としています。つまり、自分で立つ。30歳とは、精神的に自立していることが理想といいます。

あと1年ちょっとというリミットを前に、地に足ついてない自分の状況に焦りの気持ちが湧きます。そして、結果としてネガティブの十字架を背負ってしまうのです。

小さい頃から、立派なオトナになりたいと思って過ごしていました。けれど、歯車が狂ったようにうまくいかない。いつも葛藤を抱えながら生きていく状況にモヤモヤが止まりません。

そもそも立派なオトナとはなんなのか。どうやったら打破できるのか。楽しくて充実した人生を送るにはどうしたらいいのか。

焦る気持ちを認識しつつも、自分の気持ちの奥底を見つめるように、自分自身に正直になっていきます。

そうして風の吹くまま流れるまま、僕の気持ちは理想の場所・沖縄へとたどりつきます。

世間の人々が春の大型連休を楽しみに待つ4月の終わり頃から、およそ1ヶ月半の間、僕は沖縄の海の見える宿で生活をしました。

今回は、その宿でスタッフとして働いた記録を書きたいと思います。


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初めて結家を訪れた時の話

始まりは2年前の夏

趣味は旅行。旅好きの父の影響もあり、小さい頃から、国内・国外問わずいろんなところへ行ってきました。高校生になってからは、ひとり旅に熱中し、長い休みができるたびに遠いところに行ってきました。

東京に住んでいても、仲良くなる人は決まって旅人ばかり。旅人と集い、情報を共有し、そこに行ってみる。そんなつながりが好きでした。

いろんな人から旅の話を聞いていく中でしばしば話題になる宿がありました。「とても楽しいから絶対行ったほうがいいよ!」彼らはこの宿をゴリゴリ推してきます。

それは、沖縄にあるゲストハウス「結家」(むすびや)。

もう誰から聞いたか忘れてしまったけど、僕の周りの何人かの人がこの宿を訪れて思い出に残る時間を過ごしていました。

いろんな人と交流ができるし、女将のキャラクターが抜群に良い。プライベートビーチにもすぐ行けるし、なにより楽しい。

ああ、行ってみたい。

ただ、当時の僕にとって沖縄は縁もゆかりもない場所。修学旅行と出張で訪れたことはありますが、どちらも決められたコースを行く自由度の低いものでした。社会人になった僕は、すでに海外旅行に傾倒しており、しかもバカンスに興味のなかった僕は、沖縄が旅先の候補に挙がることさえありませんでした。

しかし、世の中が新型コロナウイルスの猛威にさらされてから、状況は変わります。海外に行けなくなってしまいました。

今から2年前の2021年夏。コロナ禍真っ最中。

当時、フィリピンの会社で働いていたものの、コロナ禍によりいつまでもフィリピンに渡航できないモヤモヤを抱えながら過ごしていました。もうフィリピンじゃなくてもいいから、どこか遠くへ行きたい。じっとしていられない僕はそんな気持ちを持っていました。

フルリモートで働いていたため、国内に限り場所の制限はない状態でした。となるともう出るしかない。このモヤモヤを今すぐに解消したく、東京を飛び出して目指したのは沖縄です。期限を決めずにワーケーションをすることにしました。

初めて訪れる自由な沖縄。決められたルートを回る旅とは見える景色が全く異なります。

玄関口の那覇もアメリカンな北谷(ちゃたん)もディープなコザものどかなやんばる一帯も、どれもこれも新鮮なものばかり。

ソーキそば、タコライス、ハンバーガー、シュノーケル、ダイビング、トレッキング、BBQ、そしてドライブ。

平日は涼しいクーラーの下でパソコンをカタカタし、週末が来る度に外に出て、思いっきり遊びました。心配していたコロナ禍も、大自然の前では問答無用。

楽しい!楽しすぎる!

全身にエネルギーがみなぎっていくように、体力の限り遊び尽くしました。一瞬で沖縄が大好きになったし、東京で黙々と仕事をしていたころが嘘のようにこの生活に満足感を感じていました。

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緊張の結家

そんな日々の中、噂の「結家」へも泊まりに行きます。

最初は緊張しながらの訪問でした。

自分ひとりでゲストハウスに泊まるなんてもう何度もしています。でも、なぜか初心に帰ってしまい、うまく人と話せるのか、みたいな不安を感じて、ドキドキした気持ちになっていました。

宿泊する当日の朝、天気は大雨。台風が近づいており、那覇空港は全ての飛行機が欠航となった日でした。

那覇に滞在していた僕は、そんな雨の中高速バスに乗って、本島北部を目指します。沖縄の高速道路に乗るのはこれが初めてでした。

宿のオーナーに連絡を取り、高速バスのバス停へ送迎を頼みました。

バス停に到着して少し待った頃、車でやって来たのは一人の若い女性。この宿でヘルパー(住み込みのスタッフ)として働いている人でした。

初めて会う女性といきなり車中で二人きりになり、田舎の獣道のような道を奥へ奥へと進んでいきます。

これから何が起こるのだろう。ドキドキした気持ちが止まりません。

畑の中を通り、お墓の前を通り、10分程車に乗っていると、薮を抜けた先に目的地の「結家」が突然現れました。

僕が求めていた場所は海の目の前にぽつんと一軒立つのどかな宿でした。

ここか。。

ついに噂の現場にたどり着いた達成感と、絶海の孤島のようなロケーションに気分はとても高潮していました。

ここからどんな日々が待っているのだろう。不安もありつつ、ワクワクした気持ちになっていました。

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楽しかった日々

結家では全員ニックネームで呼び合います。少しパリピ感のある制度だと思いつつも、僕はいつも呼ばれている「ケンティ」と呼んでもらうようお願いしました。

後々聞いた話では、オーナーがその場の思いつきで決めたニックネームで呼ばれている人も多くいたそうです。

着いて早々、中で繰り広げていたのはなんとキックボクシングでした。雨の降りしきるムシムシした宿で、ヘルパー(おそらく休憩時間)ととあるゲストさんが仲良くキックボクシングをしているのです。

なんだこりゃ。

その輪に混ぜてもらいました。でも、センスの無さや運動神経の悪さがバレバレで恥ずかしくなってしまいました。

でも、楽しい!

会ってまだ数分、自分が何者かも伝えていない中、みんなでキックボクシングをして盛り上がりました。この数分で僕はもう結家の価値を感じ始めていました。

その後、時間が経つにつれて他のゲストもやってきて、気づいたらどんどん人が多くなっていました。コロナ禍とはいえ、この宿はとても盛況だったのです。

この宿の大きな特徴として、毎晩8時から行われる持ち寄りのシェアパーティーがあります。

ゲストそれぞれが夜ご飯のおかずを作り、みんなで一緒に食べるというもの。これがあるおかげで他のゲストと一気に距離が縮まります。

また、オーナーで女将の「結ねぇ」(ゆいねぇ)がこの場を取り仕切り、みんながそれぞれ自己紹介をしたり、その日のテーマを話していきます。

この時間があることで、一気にゲストの顔と名前、その人のパーソナリティみたいなものを知ることができます。

実際、僕も事前に買っていた食材を使って、野菜炒めかなにかを作って提供しました。正直、そんな大したものはつくれません。

8時になると、食卓にはずらりと多くの料理が並んでいました。ゲストの中には偶然料理人をしている人もおり、素人の料理に混じってプロのものもありました。

す、すごい。

これらをビュッフェのように取って、みんなで一緒に食べます。どれも美味しい料理でした。食卓を囲みながら他のゲストたちと交友を深めていきます。

結ねぇや周りのゲストたちの気遣いもあり、あまり積極的に話しに行けない僕でもこの場を十分に楽しめたし、結果的にとても仲良くなることができました。

そこから4日間、いろんな価値観を持った多くの人たちとこの場所で過ごしました。

雨はなかなか止みませんでした。けれど、僕はこの結家に新鮮で嬉しい特別な感覚を抱きました。こんな世界があったのか、と未知なるものに出会った高揚感がありました。

翌日は他のゲストの車に乗せてもらい、近隣にある名物のハンバーガー屋へ。その翌日は海鮮食堂とやちむん(沖縄の焼き物)工房へ。

他のゲストと仲良くなったことで、沖縄北部の地域を巡ることもできたし、雨でも楽しむことができました。なにより新しい交友関係に心の底から湧く楽しい気持ちがありました。

ただ、天気は良くならず、宿の目の前のプライベートビーチへは近寄ることすらできませんでした。ただ、台風がそこまで大きくならなく、車で動き回れたことは不幸中の幸いかもしれません。

僕はここで、多くの人たちと出会い、いろんな人生があると知りました。普段は交わらないような人が交われる場所。それが結家でした。

ドキドキしながらの訪問だったけれど、行って良かった。これら一連の体験は僕にとって、忘れらない思い出となりました。

その後も宿を移し、引き続き沖縄には滞在していたものの、東京に戻る最後の最後まで、強く記憶に残る出来事となりました。

2年前に初めて訪れた時の結家。大雨だった

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再訪の決断

そんな感動的で思い出深い体験から2年。僕は1年間のフィリピンやジョージアといった海外での生活を終えて、日本に帰ってきました。

海外で生活する中でも、時々この沖縄での日々を思い出すことがありました。特に結家で仲良くなった人たちとはSNSでつながっていたため、沖縄での楽しそうな様子はしばしば見て取れました。

また行ってみたい。日本に帰る日が近づくにつれ、そんな気持ちが強くなっていきました。

沖縄に行く。結家に行く。

帰国してからは、次の仕事を探す就活のために比較的自由な時間ができる予定でした。沖縄に行くのは確定としても、せっかくならばと結家に長期間滞在することも考え始めました。

そんな時、前回の訪問の際に見ていたヘルパー募集のポスターがふと頭に浮かびます。結家では1ヶ月限定のヘルパーを常に募集しており、年齢などいくつかの条件を満たしていることを当時すでに確認していました。

思い立ったらすぐ行動できるのが僕の長所。

2月下旬のとある日、僕は覚悟が決まり、結ねぇ宛に「結家でヘルパーをしたい」というメッセージを送りました。

そこからすぐに、5月の一ヶ月ヘルパーをすることが決定しました。ちょうどヨーロッパのバルカン半島を旅していた頃です。そこから日本に帰国後に沖縄に向かう計画も同時に立てていきました。

そこからは、帰国してからも楽しみが続く日々となりました。

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結家のヘルパーになってみた

ついに到着

4月下旬のとある暑い夏の日。2年ぶりに那覇空港に着いた僕は、ギラギラ輝く太陽とムシムシした気候、そしてこの独特の匂いに沖縄に帰ってきた実感を全身で感じていました。

那覇で1泊、北谷で1泊し、久しぶりに友達との再会ができました。海外から帰ってきても、自分も向こうも何も変わっていない。いや、ほどよく成長している。この感覚が嬉しかったりします。

そして、結家のある北部地域に向かいます。名護にある有名な沖縄そばを食べてから、僕はとあるスーパーの前で人を待っていました。

結家の女将・結ねぇとの待ち合わせです。偶然名護に用事があり、ついでということで僕の送迎をしてくれることになりました。

待っている時間にいろんなことを考えました。

意気揚々とヘルパーの申し込みをしたものの、直前になって不安な気持ちが襲ってきます。

僕にとって馴染みのない接客の仕事、もとより体力仕事。どんな人たちがいるのだろうか、みんなと上手くやっていけるのだろうか。

いろんな不安が生まれては消え、落ち着かなくなりました。でもやるしかない。波に揉まれよう。気持ちが引き締まります。

そのうち、一台の車に乗って結ねぇが現れました。

「めんそーれ!結ねぇです!お待たせしました!」

結ねぇの顔を見た瞬間、少しホッとした気がします。2年前に訪れた時に出会った時と変わらない結ねぇがそこにいました。

彼女とは前回の滞在時に、少しだけお話をしました。気前が良く優しく人情味の深い関西人、という印象でした。今回会った彼女もその印象はそのままでした。

途中買い物に寄りつつ、宿に向かいます。車内では結家のこと、ヘルパー仕事のこと、結家のある今帰仁村のこと、いろんな話を聞きました。

なんとかやれるかも。徐々に気持ちはポジティブになっていました。

結家に到着。天気こそ異なっていたものの、2年前に訪れたあの景色そのままでした。この絶海の孤島での新たな生活が始まりを迎えます。

よし、頑張ろう

宿の前に立ち、気持ちが引き締まりました。これからの生活を楽しいものにしたい思いが強く芽生えました。

着いた当日は一般のゲストとして滞在し、その翌日からヘルパー仕事が始まります。昼過ぎに結家に着いてからは、のんびりと過ごしていました。一応、転職活動をしていたので、その作業もしていました。これからはヘルパー作業と並行しての活動になるため、忙しくなります。

結家のヘルパーは常時2名おり、オーナーで女将の結ねぇと一緒に結家を守ります。

ヘルパーは毎月1日と16日と半月ごとに新しい人と交代になるシステムをとっています。しばしば例外はあるそうで、僕の場合は5月1日より数日早くヘルパーを開始することになりました。

その時ヘルパーを務めていたのは、海が大好きな地黒の男の子と優しくて元気な女の子。どちらも関東出身です。僕はこのうちの男の子の方と交代でヘルパーを務めることになります。

彼らはどちらも僕よりもずいぶんと若くて、とても勢いに乗っているように見えました。

今を生きている。直感的にそう感じました。

どちらかと言えば、レールに沿った人生を送ってきた僕とは根本的な何かが違うと思いました。住んでいる世界が違う人たちと関わりながら過ごせる。その点でもワクワクした気持ちでした。

到着日は曇りだったけど、その翌日は晴れた

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ヘルパー開始

翌朝、太陽は燦々と輝いていました。いよいよヘルパー仕事が始まります。

ヘルパー仕事の流れをざっとまとめると以下の通りとなります。

朝8時に起床。玄関や窓などを開けた後、結ねぇが主催するヨガに参加。

ヨガが終わった後はトイレ掃除や掃除機がけなどの掃除や洗濯を行う。

朝食を食べてから、今日の予約をチェックする。

日中は前半・後半のシフトに分かれ、汚れている箇所の掃除、ベッドメイキング、芝刈り、ゲストの対応などを行なっていく。

シフト外の時間は自由時間となるため、外出したり、海に入ったり、のんびりくつろいだり、思い思いの時間を過ごせる。

夜は料理やシェアパーティーの準備、そして食後の片付けや掃除など。

これら一連を行なって、23時に消灯をして終了。

最初は覚えることがたくさんあって大変だったけれど、一週間もしないうちに覚えて自分から動けるようなりました。

しかし、どれも僕にとっては不慣れな作業です。そのため、慣れてきたところでなかなか上手くはできませんでした。

余談ですが、僕の母はかつてホテルマンをしており、都内のとあるホテルでベッドメイキングの仕事をしていました。僕はベッドを綺麗に整えなければ気が済まない母の元で育ったものの、僕自身は全く手伝ってもいなかったので、上手にはできません。

未知の領域だらけの仕事の中でも、特に接客については本当に初めてでした。新しく来るゲストに対して、うまく話せず戸惑ってしまったことがあります。

結家の使い方について紹介をする際、緊張してうまく伝えられなく、ぎこちない感じになってしまいました。今思えば申し訳ない気持ちも強くあります。

結家で経験するどれもが僕にとっては新鮮だったけれど、同時に乗り越えなければならない壁でした。ただ、徐々にコツを掴んでいく感覚もあり、楽しく感じられるようにもなっていました。

結家のヘルパーはこれまでキャリアで経験してきたこととは、180度(言い過ぎ?)違うことへの挑戦でした。

最初に感じてた不安とは、そういった見えないもの、体験したことないものへの恐怖だったのです。でも、この環境に慣れてきて、この仕事に慣れてきて、僕の中に不安な気持ちは全くなくなっていました。

気づくと、この非日常の感覚に喜びすら感じる余裕も持っていました。

楽しい!この日々に対して、大きな満足感や充実感を感じるようになっていました。

毎朝のヨガも仕事のひとつ

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苦手な仕事

ヘルパーの仕事を覚えてはきたけれど、僕には苦手なものがありました。それは体力仕事。肉体労働。ああ、男なのに情けない。

僕の父は自営で建築系の仕事をしています。その都合、小さい頃はよく父の仕事を手伝いに行っていました。当時、僕が任されていたのは、新築物件の家の中を掃除をして、ゴミをトラックに積んでいくもの。シンプルだけど、体力のいる仕事です。

僕はこの仕事がとても嫌いでした。苦手だし、なんか嫌。お小遣いはいらないからやりたくない。心からそう思っていました。

物心ついた頃から痩せ型の僕は、どれだけ食べても身体に肉が付かないちょっと変わった体型をしています。筋肉も付きづらいため、パワーも身につきません。

振り返れば、あの件をきっかけに、自分が進む道は肉体労働ではなく知的労働だと思うようになっていました。社会に出てIT業界に進んだのも、ひとえに肉体労働を忌避した結果だったのでしょう。

加えて、僕には潔癖という厄介なクセもあり、特に手が汚れることが好きではない性分です。体力を十二分に発揮できないし手が汚れるし最悪。それ以来、体力仕事はずっと避けて生きてきました。

ただ、結家のヘルパーになった以上、そんな思いと抗わねばなりません。というより、その覚悟を持ってここにやってきました。

ヘルパー仕事には体力仕事のひとつとして芝刈りがありました。芝刈り機を使って結家周りの芝を刈っていくシンプルな仕事です。

機械を使うため、比較的楽ではありますが、炎天下の中での作業となります。少し抵抗を感じたものの、やらねば。そう言い聞かせて、動いていきます。

実際始めてみたところ、気づいたら無心になって芝を刈っていました

疲れるし手が汚れる(なんなら他にもいろいろ汚れる)、でも集中できて無になれる。地味に楽しい。これは思ってもいなかった発見でした。

とはいえ、体力仕事はこれだけではありません。ヘルパーは結家でのあらゆることに対処していかねばならないため、突発的な仕事が入ることもあります。

特に台風。沖縄にはしばしば巨大な台風が近づくため、その度に万全の対策をする必要があります。

僕がヘルパーになって1ヶ月が経とうとした頃、沖縄に大きな台風が近づいてきました。僕らスタッフだけはもちろんのこと、ゲストのみなさんも気遣いあって、滞在している人総出で台風対策を進めていくことになりました。

外に出ている物を全て建物の中にしまい、飛ばされないようにします。加えて、窓やドアに板をはめ込んでいきます。

これがとっっっても大変な作業でした。特に、窓枠に板をはめ込む作業は台風が来る直前に行ったため、雨が降りしきる真夜中での対応となりました。ゲストの人たちが我こそはと積極的に手伝っているにも関わらず、ヘルパーの僕は傍観したり、手を差し伸べるだけであったり、全然貢献できませんでした。

本当はみんなと同じように積極的に作業をしたい。なのにできない。ああ、情けない。

他のみんながアドレナリンばんばんで、むしろ楽しんで作業している中、僕は少しネガティブな気持ちになっていました。大して役立ってもいないのにクタクタになっている自分に皮肉を感じていたのです。

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自分ができること

やっぱり体力仕事は苦手でした。でもその分、得意な仕事もあります。それはIT系英語対応

僕はITエンジニアを5年ほどやっていたので、一般の人よりもパソコンに詳しいと思っています。また、フィリピンの人たちと2年間英語を使って働いた経験があるため、外国人に細かいニュアンスを伝えられる自負があります。

最初はこれらを結家で活かしたいと思ってはいませんでした。しかし、結果的にこれらを思わぬ形で使うことができたのです。

きっかけは、ヘルパーを始めて少し経った頃に、ふと結家のホームページを見たときのこと。

コロナ禍が終わった世の中、既に結家では感染防止対策は終了していました。にもかかわらず、結家のホームページには未だにコロナ禍に関する取り組みが記載されたままでした。

これを女将の結ねぇに一言伝えてみました。すると、もともとIT系なんだよね?と確認された上、じゃあそれならとホームページに関するいろんな作業を頼まれるようになりました

ワードプレス上での文言の修正や古い情報の更新など、作業はさまざまでした。加えて、僕は英語ができるからと、外国人向けの英語で書かれた文言も修正することになりました。

実質初めて触るワードプレスだったけれど、調べつつ触りつつで対応していきます。おそらく何年も更新されていない古い状態の情報もいくつかありました。それらをひとつひとつ対応していきます。

結果的にホームページを最新化できたし、ワードプレスの勉強にもなったし、いろいろとやって良かったと思えました。

英語対応に関しては、ホームページに掲載している文言の修正だけでなく、外国から来るお客さんに実際に英語で説明したり、英語対応マニュアルの作成もしました。

一連の経験で、自分がどのように貢献できるかを考えていくことの大切さを実感しました。

人間誰しもバランスがあるため、苦手なものがあれば得意なものがあるはずです。だから、僕のように体力仕事が苦手でも、IT系や英語対応が得意な場合があります。そこを認識して、その分野で貢献できると、とても嬉しい気持ちになります。

自分の価値をどこに見出すか。そのひとつの成功体験を実感することができました。

休憩時間に何度も泳ぎに行ったプライベートビーチ

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トラブルを起こした

実はホームページを更新していた時、僕は大きなトラブルを引き起こしてしまいました。

ワードプレスを常時利用している人ならよくあることかと思いますが、テーマやプラグインなど、更新しなければならないものが日に日に増えていきます。

しかし安易に更新してしまうと、それが理由で何か不具合がでてしまい、うまく動作しなくなってしまうことがあります。それを怖れて、更新せずにそのままにしてしまう人が多いと思います。

結家のホームページもその状態でした。

僕はなんとかその状態を打破したい。日に日に増える赤い数字(更新数です)を消したい。そんな思いで、ついつい更新ボタンを押してしまいました。

すると、、あれ、ホームページが開かない。。

!!!

ワードプレスにログインできなくなってしまいました。一番怖れていた事態です。ログインできないので、小手先の対処すらも役に立ちません。

結家のためにできることをしたい、という思いで関わったのに、サイトに飛べなくなってしまいました。サービス業においては致命的なことです。

この夏の晴れた沖縄の空の下、僕はみんなとは違う汗を流しています。

隠すことはできないし、でもすぐに解決できることでもないし。僕は正直に結ねぇにこの事故(インシデント)のことを伝え、自らのミスであることを詫びました。

すると、今起きた事態を自らチェックした上で、このように伝えてくれました。

「ケンティなら大丈夫。信じてるよ!

怒られることもせず、原因を問いただされることもなく、ただただ僕に対する信用を示してくれたのです。

なんて良い人なんだろう。直前まで気を張っていた僕は、その瞬間、人目をはばからず涙を流してしまいました。

僕がこれまでいた職場環境では、その気持ちをえぐられる強い言葉を言われたり、冷静になるように仰がれたり、無理に我慢しなければなりませんでした。

もちろん、このようなインシデントは感情で直るものでもないので、論理的に対処していくしかありません。

しかし、結ねぇは僕への信頼を持った上で、それを伝えてくれました。それが嬉しくて、ついつい感情が溢れ出てしまったのです。

信頼してもらえている。なんとか期待に応えなきゃ。気づいたら、僕の気持ちは闘志が燃える炎のように変わっていました。

その日中にSNSで直せる人を呼びかけ、手を挙げてくれた知り合いのエンジニアに相談することにしました。

結果的にその翌日には、フォールバック(機能を一部制限しつつホームページ自体は公開される状態)することができました。

結ねぇにも細かくこの状況を報告していきます。その度に喜んでくれるのが嬉しく、僕自身も空き時間を全て使って復旧作業を進めていきました。

実際、その作業中には、ワードプレスの構成内容やサーバーとの接続について学ぶことができたし、自分でソースコードを書いて試行錯誤することもありました。

そのため、気づいたらワードプレスでのサイト制作にとても詳しくなっていました。怪我の功名です。

それから数日後、僕は結ねぇに完全に復旧できたことを伝えました。

「ケンティを信じて良かった!」

とても喜んでもらえました。

一時はどうなるかと思いましたが、結果的にこのように復旧もできたし、たくさんの学びもありました。また、今回の原因がサイトを制作した時の設定ミスだったことがわかり、知り合いのエンジニアの方に、もう同じミスが起こらないような設計変更もしてもらえました。いつかは起こるかもしれなかったミスを直すことができたのです。

つらかった時に受けとった結ねぇからの信頼の気持ちは、僕に強い影響を与えました。人を信用することの大切さを強く心から感じることができました。

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結家での人との関わり

たくさんの出会い

結家は旅人の間では比較的有名なゲストハウスです。日本各地のゲストハウスを訪れている旅好きな人であれば、おそらく大半の人は知っているでしょう。

今年で20周年を迎え、歴史も詰まっています。それだけの有名宿なため、日々ゲストが尽きることはありません。

初めて来る人もリピーターもヘビーユーザーも、それに海外からやってくる人も、老若男女がこの宿を訪れます。

目的は様々。のんびりしたいから、旅人同士で交流したいから、海に入りたいから、やんばる(沖縄北部)の観光をしたいから、結家が好きだから、女将の結ねぇに会いたいから。

いろんな目的で来たいろんな客層の人たちが一堂に揃う。この面白さを日々感じていました。

加えて、毎日繰り返される出会いと別れもとても大きな刺激です。

僕はヘルパーという立場ではあったけれど、ゲストともたくさん交流したし、たくさん遊びに行きました。

今はSNSがあるから、結家を離れた後も交流を続けられるし、だからこそ生まれる新たな出会いもあります。

沖縄の海の前で過ごせるという「非日常」だけでも最高なのに、そこに日本・世界各地から来るいろんなゲストと交流できる「非日常」もあります。

結家がもたらす非日常の連鎖には、とてつもなく大きな充実感があります。それは一日一日があっという間に過ぎてしまうこの時間の速さにも現れます。

僕は事情により当初の予定よりも半月長く、合計1ヶ月半の期間、結家に滞在していました。おそらく100人以上の人とこの結家で出会いました。

ヘルパー以前に一人の人間として、一期一会の出会いを大事にしてきました。加えて、沖縄の方言で「一度会えば兄弟」を指す、「いちゃりばちょーでー」も意識してきました。

人と出会うことで知れる新たな世界。その一つ一つが僕には面白く、楽しいものに映りました。

結家で共有できた時間を共通の財産として、関わった全ての人とまたどこかで会いたい気持ちも強くあります。

毎晩8時からやる持ち寄りシェアパーティでみんなと仲良くなれる

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ゲストの皆さんとの関わり

僕はかつて、極度の人見知りでした。とにかく人に話せない。知らない人に自分のことをさらけ出すのがとても苦手でした。

幼少期は、知らない人がいるといつも母の後ろに隠れていました。ただただ怖かった。

しかし、そんな自分に情けなさも感じており、殻を打ち破りたい気持ちは強くありました。絶対に克服してやる。

大学に入って徐々にその思いは強くなり、自分から話しかけにいくことを意識し始めました。そのおかげで、ちょっとずつ人見知りを克服できるようになってきました。

今でも完全に克服できたわけではないけれど、それほど意識することはなくなってきました。

そんな経緯があるため、最初結家を訪れることは僕自身にとって大きなハードルでした。

2年前、初めて訪れた時に感じたあの緊張は、かつての弱気な自分を思い出すものだったからです。

実は今回、ヘルパーになる前も同じ緊張を感じていました。しかし、蓋を開けてみればそれは杞憂でした。それは女将の結ねぇもヘルパーの相方もゲストも、みんな優しくて誰一人怖い人はいなかったからです。

だからすぐにこの環境にも順応できたし、飛び込んで良かったと思っています。

自分がこの環境に慣れてからは、自分から進んでゲストに話しかけにいくことにしました。それがヘルパーとしてのひとつの役割でもあると思ったからです。

ゲストハウスは、単なる宿泊場所にとどまらず、ゲストに居心地よく滞在してもらう場所です。そのためにできることをするのが、ヘルパーの仕事だと思っていました。

ただ、結果としてゲストに積極的に関わりに行けたかといえば、そうでもない時も多々ありました。どうしても新しいゲストに話しかけられない時はあったし、いつもの知ってるメンバーの方に話しに行っていたことも多くありました。

その度に後悔や反省もしていました。ただ、結果として多くの人と仲良くなれたのは事実です。また、いつかの機会に活かせればいいや。今はその頃の自分に落ち込んではいません。

まだまだ自分が人見知りだと感じてしまう時はあるけれど、新しく多くの人とも仲良くなれたし、なにより充実感があります。

もっと自分から積極的に行きたい気持ちもあるから、まだまだこれからも僕の挑戦は続いていきます。

結家は出会いと別れの繰り返し

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常連客との関わり

結家のゲストには、頻繁に訪れる常連の人たちもいます。

沖縄に移住してきた人、移住を検討している人、長期の旅人、結家が好きすぎて沖縄に通っている人。彼らも一ゲストではありますが、顔見知りだし、結家のことを僕よりもよく知っているし、接客はとても楽になります。

他のゲストよりも特別扱いをするわけではないですが、一対一の関係がすでにできているため、結果的に他のゲストと比べると、関わり方は変わってしまいます。

ヘルパーとゲストという関係性は忘れないようにしつつも、たまに何か作業を任せてしまったり、彼らの好意に便乗することもあったりしました。

だから、日が経ってくると、彼ら常連のゲストの存在も僕の中に大きくなってくる感覚がありました。

ヘルパーの期間が終わってもなお、連絡をとることはあったし、他のゲストとは違う思い入れを持っています。彼らも僕に対してどういう印象を持ったかとか、パーソナルなことを伝えてくれたため、ヘルパー仕事を頑張るモチベーションにもなったし、なにより心からうれしく思いました。

常連客の中には、2年前に訪れた時に出会った人たちもいます。今回、無事に彼らと再会できました。というより彼らにまた会いたい気持ちで連絡を取っていました。

振り返ると僕にとっては彼らの存在もとても大きかったのだと気付かされました。彼らがいたことも、再び沖縄を訪れる要因になっていました。

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ヘルパー同士の関わり

結家には常時2人のヘルパーがいます。そして、基本的には1ヶ月交代となります。

僕は事情により当初の予定から延長し、1ヶ月半の間ヘルパーをすることになりました。その都合もあり、入れ替わりの人や臨時で入った人も含めたら5人のヘルパーと関わることになりました。

全員僕より年齢は若く、生き生きとしていました。

沖縄が好きだから、海が好きだから、結家が好きだから、ただなんかノリで、みんないろんな思いを抱えてヘルパーに申し込んでいました。

しかも、みんなとても優しくてデキる人たちです。僕より前からヘルパーをしている人からは仕事を教わり、僕より後に入ってきた人たちには仕事を教えていきます。

ヘルパーはボランティアとはいえ、やらなければならない仕事がたくさんあるため、それらを話し合って分担していきました。これらにストレスを感じることは全くありませんでした。

育った環境がまるで違う人たちと、おはようからおやすみまで、まるで家族のように毎日顔を合わせます。これは僕の今までの生活にはなかった新鮮な体験でした。

まるで青春を取り戻したような感覚です。というより、これも青春なのかも。

関わった5人のヘルパーは今ではみんな友達だし、深い話をできる関係になりました。とても良かったと思っています。

優しかったヘルパーたち

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結家は結ねぇの家

結家をこれだけ人の集まる場所にしたのは、紛れもなく創業者でオーナーで女将の結ねぇの力が大部分を占めます。

「来てくれるゲストあっての結家」としばしば結ねぇは謙虚に口にします。

しかし、まだ今のように沖縄観光が脚光を浴びる前の20年前にこの地に開業し、今に至るまで自分一人で宿を営業し続けている功績はとてつもなく大きなものだと思います。

結ねぇのプロフィールについては、僕が作成した(笑)以下のページに譲りたいと思います。

僕が結家のヘルパーをやりたいと思った理由には、結ねぇという人物が実際どんな人なのかを近い距離で知りたかった、というものもひとつあります。旅人から聞いていた結家の話には、かならず結ねぇの名前が挙がるからです。

結果として、結ねぇがどんな思いで結家をつくり、どのようにしてここまで積み上げてきたのか、を肌身で知ることができました。

大阪出身である結ねぇの沖縄に対する思い、結家を開業したときの思い、この今帰仁の広大な土地を購入したときの気持ちなどなど。何度も何度も大きな局面を迎えてきた結ねぇのリアルな話を聞けました。これらは生きる上での参考にもなるものです。

夢を描き、実行力で意思を貫く。

本やネットで知るよりもリアルな、血が通った人間の生き方を知ることができました。

また、結ねぇからはヘルパー仕事を通して僕に対する信頼感を持ってもらうことができました。ヘルパー仕事は僕にとって不慣れなことばかりでわからないことがたくさんありました。けれど、その中での僕の小さな成長を感じ取ってくれました。

前述のホームページの件など、不測の事態、しかも大きな迷惑をかけたときでも、結ねぇは「信頼してる」と言葉で伝えてくれました。

結ねぇの魅力はなによりこの優しさに全てが詰まっている気がします。

結ねぇから学んだことは挙げ出したらキリがないし、もっともっといろんなことを教わりたかった気持ちもあります。

ただ、毎日朝から晩まで顔を合わせて生まれた信頼感は、今後にも繋げそうです。一緒に美ら海水族館に行けたのも大きな思い出です。

どうもありがとうございました。

女将の結ねぇと。美ら海水族館にて

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楽しかったし成長できた

語りたいことはもっともっとあります。みんなで海に潜ったこと、山に登ったこと、マングローブを見たこと、ビーチでのんびりしたこと、おしゃれなカフェに行ったこと、プラネタリウムで爆睡したこと、植物園に行ったこと、美味しい海鮮を食べたこと、ドラム缶風呂に入ったこと、女装したこと、魚を捌いたこと、苦手だと思ってた人と仲良くなれたこと、外国から来た人に日本の良さを紹介できたこと、綺麗な夕日を眺められたこと、一人ひとりといろんな話ができたことなどなど。どの瞬間も僕にとっては大切な記憶として脳裏に焼き付いています。

たった1ヶ月半という短い期間ですが、結家には数えきれないほど多くの思い出が詰まっています。

密の濃い時間には、自分のプライベートの仕事が全然進まなかったり、転職活動が長引いたり、疲労でぐったりしたり、いろいろと代償もありました。しかし、それでも120%満足している自分がいます。

ここで出会った多くの人に感謝の気持ちがあるし、出会えた喜びもあります。また、自分がどんな人間かを認識する機会になったし、人のために何ができるかをゼロベースで考えることができました。

社会に出てからずっとIT業界にいた僕からすれば、短期とは言え全くの異業種への挑戦でした。しかし、最初に怖れていた心配は杞憂だったし、まさかこれだけ楽しい思いができるなんて思ってもいませんでした。

そして、僕自身大きく成長できたと思っています。今までより強くなったし、なんでもできるようになった気がします(それは言い過ぎかも)。

楽しかったし、成長できた。

結家のヘルパーという経験を一言で表すとそうなります。間違いなくやってよかったと断言できます。

ラストナイト。快く送り出してもらった

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最後に

ふとひとりの時間ができると、やっぱり年齢のことは気になっちゃいます。28歳のくせに弱い人間だと思い、無駄に落ち込んでしまいます。

結家では年下の人と関わる機会が多くありました。イマドキの価値観を持った彼らの意見は僕の心にストレートに届き、年齢というものを超え(もはや存在していない感覚)ひとりの対等な人間として接することができました。

ヘルパーは完全ボランティアでどれだけ仕事をしても1円ももらえません。しかし、それゆえ資本主義という社会システムから一歩離れた場所に立って、利他の精神を学び取ることができたと思っています。

人のために何ができるか。今目の前にいる人に何をしてあげられるか。生きる上での本質的なところに気付かされました。

僕が目指す立派なオトナとは、人と対等に関係を築いて、目の前の人に何かしてあげられる人だ。結家での経験によって自分の思いが明確になった感覚があります。

見た目だけの体裁を整えるのではなく、目に見えない部分を大事にしていく。ひとつ自分の中でストンと腑に落ちる感覚が生まれました。

沖縄を離れて今あの頃を振り返ると、結家での充実した日々がとても懐かしくなります。

ここで受け取った優しさや学んだ多くのことを、これからは僕の手で世の中に還元していきたいです。20代も終わりに近づくこのタイミングで、このような貴重な経験ができたことに嬉しく思います。

沖縄の海の目の前にある素敵な宿「結家」へ、みなさんもぜひ行ってみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




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また次回の投稿までお元気で。

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