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2020-05-25の日記

とにかく調子が悪い。気の迷いだけで生きている。

「考えること」に勇気がいる、という感覚はよくわからなかったけれど、最近わかってきている。

場で昔から続いているわけのわからないルールを批判するとその他のひとに怒られるというのはよくある話。

3人いれば一番外れた人がいじめられるように、人間は異質なものを排除しようとする。だから空気読みではなく自分の思想を持つというのは大きなリスクで、日常で不利益になる。つまり「考えること」は危険で、空気読みは安全な手である。

だから啓蒙主義は「あえて賢明たれ」と呼びかけたし、フーコーはポストモダンでは人間はこれ!というように言ってたのかもしれない。

インターネットで英雄視される物理学者の発言を見ておもった。専門家は自分の専門には断言しにくいが、自分の専門外には断言することができる。物理学者が哲学者より哲学に優れているように見えるのはこの要素が大きい。

何の専門家でもないひとは、すべてに断言できる。だから何の専門家でもないひとが最強。(これは世界ではなく社会に対応する場合の話)

とにかく気を紛らわせることばかりに注力している。記憶は恥ずかしいことばかりだし、身の回りは抜け落ちそうな穴ばかりだし、日常は爆弾解体のように思える。古語では気を休めることを心を遠くに飛ばすと表現するわけだが(おもいやる)、その気持ちがよくわかる。とにかく自分から遠いものを考えること。場所、時間、抽象度、因果列、異世界。異世界にいる自分はたいへん気が休まるだろう。

異世界や来世、あの世。人間は心を慰めるために大量のガジェットを用意してくれている。それぞれに設定があり、理論を追っていればつかの間は今日の夕食くらい忘れられる。

ここに書ける問題はたくさんあるが、書いたところで思考が整理されるわけでもなく、素朴で恥ずかしい世界把握を残すばかりで悲しくなってきてしまう。ある分野では優秀だったはずの他人が他分野で大学1年生程度のナイーブな把握を見せるというのはよくあると思うけれど、僕も全範囲でやっているだろうし苦しい。

となると安全策は自分のこと、自分の身の回りを書くことだろうが、とにかく最近は爆弾解体とクイズ大会に終始している。起きて寝るまで氷を素手で溶かすような痛みばかり覚える。

人生で最悪の精神状態だったときに、ご飯を食べられないが18禁動画を見ながらならば食べられたという経験があるが、それに近くなってきている。ときおり18禁動画を見ないと動けないことがある。

あしたは散歩にでも出よう。写真を一枚でも撮ろう。

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