2019-04-25の日記

すっかり夏の雲。雨が少し降る。南を過ぎる低気圧が南風を持ってきているっぽい。花粉も少なめ。

カゼを引いていた。
花粉症のお薬が欲しくて、耳鼻科に行った。そこでカゼをもらったらしい。

耳鼻科は町医者で、民家を改造したような造りだ。キッチンとダイニングがあるべき位置に診察台と吸入器が並んでいる。ご飯を食べにいく感じで鼻の中をのぞかれるので脳が混乱する快楽がある。

町医者の待合室にも政治がある。診察券の出し入れ、保険証をどのタイミングで呈示するか、外出を告げるタイミング、「あとどれくらい待てばよいか?」と尋ねて言質をとるなどの駆け引きがあり、またご近所さんとの会話がある。仲のいいご近所さんと一緒に帰りたいので連番で診察を交渉するとか、イスに座りながら大声で「遅いわね〜」とグチを言うなどのテクニックがある。病院もまた世間であり、待合室は市場であるなぁと感じる。

それでカゼを引いてしまう。カゼを引くことはある種の救済だ。カゼを引いている間は免責される気がする。責任から解放され、ただ時間が流れるのを待てばよい。カゼを治すことだけが義務となる気がする。カゼを治すためだけに存在する存在者。

時間の流れをひたすらに感じられる出来事の一つがカゼだ。怠惰の責務。明日のためではなく、ただ寝る。カゼを治すという目的それ自体のために目的を達成することは心地がよい。小中学生のころは永遠にカゼを引けないものだろうかと思っていた。解放の手段としてのカゼ。もちろんそれは庇護の結果なのだけれど。

運よく熱はすぐ下がり、夏日の雲を見ている。はっきりとした厚みを雲に感じ、街路樹に遠近感が増す。空間の広がりが初夏であり、蜃気楼による空間の断裂が真夏。

風が強い。ファインマンが、フォン・ノイマンに社会的に無責任に生きることを説かれたという話がある。自分の上に世界があるのではなく、世界の上に自分がある。そのことをよく考える。

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