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遠巻きにNPD(自己愛性パーソナリティ障害)を見極める方法

自己愛性パーソナリティ障害(以下NPD)の人とはできるだけ近づきたくない、できれば遠巻きに見極める方法はないものか……と考えていたら、ある特徴を思い出したので書いておきます。
素人意見ですが参考にはなると思います。
NPDについてはこちらのマガジンでいくつか記事を書いています。

NPDが嫌う場所

過去に出会ったNPDとおぼしき人たちは、共通して嫌う場所がありました。
それは、人の晴れ舞台です。
NPDは特に身内のそういったところを見るのを不自然なくらい避ける傾向があると思います。
子供の発表会やスポーツの試合などになぜか全く応援に来ない親っていますよね?
もちろん忙しいという理由もあるでしょうが、前から分かってたはずだし、我が子のせっかくの晴れ舞台なんだからどうにかして参加したい、動画や写真などを撮って思い出にしたいと思うのが親心のはずです。
また、友達の晴れ舞台にも何かと理由をつけて来ない人もいます。
そういう人はNPDを疑ってもいいと思います。

なぜNPDは晴れ舞台が嫌いなのか?

ではなぜNPDは子供や友達など近しい人の晴れ舞台に行かないのか?
まずNPDの習性をおさらいしましょう。

NPDはターゲットを選びます。
そしてターゲットとなった相手を、自分の自尊心を満足させるための道具として徹底的に利用します。
また、ターゲットが間違っても自分に逆らったり自分より上の存在にならないため、彼らの自尊心や自己肯定感を徹底的に破壊します。

そんな道具それ自体の晴れ舞台なんぞNPDが興味をもつわけがありません。
例えば、普段掃除するために使っているホウキが美術館に飾られることになったとしたら、観にいきますか?
行きませんよね。
そもそも「行く・行かない」以前に、道具が晴れ舞台に上がるという意味が分からないと思います。
それと同じ感覚です。
そういえば僕の知ってるNPDも、近しい人の晴れ舞台に行くとか行かないという話にはならず、いつも完全スルーしていました。
当時は『なんで行ってあげないんだろう』と不思議には思っていましたが、後々NPDについて知ると納得できました。

NPDは応援が嫌い?

ここでふとある考えが浮かんできました。
もしかして、NPDって応援が嫌いなんじゃないかと。
これは臨床心理士やNPD被害者、NPDだったことをカミングアウトしている当事者も言っていなかったことです。
確かに、NPDの性質と応援って水と油的な感じがします。
応援する側とされる側って、構図としてはされる側が主でする側が従、される側がメインでする側が脇役ですよね。
普通の人ならむしろ積極的にそういった構図の中に入り、楽しもうとするはずですが、NPDからすると、例え応援だとしても『なんで俺が従で道具であるあいつが主なんだ!』と納得できないはずです。
そうした応援者という立ち位置を一人だけ抜けて、なぜか上からアドバイスをしてきたり(経験もないのに)、失敗だけを指摘してくる人はNPD気質が強いと考えられます。

NPDが好きな場所

一方、NPDが好きな場所があります。
これはよく言われていることですが、自分のテリトリーです。
自宅、仕事場、作業場、いつものたまり場などなど。
NPDは自分が支配している空間が大好きです。
ですから、NPDはよく自宅や職場などでパーティをしたがると言われています。
自分のテリトリーに人が集まり、何をするにも人が自分の許可を取り、ご機嫌を伺い、表面的にせよ感謝する光景はNPDからしたらたまらないのでしょう。
そのためにはめんどくさい準備や招待、接待、後片付けなども厭いません。
これも僕が知っているNPDにぴったり当てはまります。
彼らはちょっと度が過ぎるほど何かにつけて自宅に人を招き、イベントを行います。
最初は「ホスピタリティのある人だ」「準備や後片付けが大変なのに、立派だな」と思っていましたが、どうやらそうではなく、自分の支配下にターゲットをおびきよせているだけでした。
とあるNPD気質の強い指導者は、合宿と称して定期的に自宅に大勢を招き、数日間寝泊まりさせ、朝から晩まで自分の思想を教え込むという監禁洗脳まがいのことを平気で行っていました。

まとめ

遠巻きに見て、

・人の応援をしない
・身内や友人の晴れ舞台を見にいかない
・自宅や職場が大好き
・自分のテリトリーでよくイベントを行う(そのためには面倒も厭わない)

こういった人がいたら、NPDを疑ってもいいかもしれません。

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