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自分を見つめ直すことと、視野を広げること。

自分を客観的に見つめるということは、自分の性格や行動、価値観、信念、喜びや怒りなどの感情、思考など、個の人間として形成するものを認識し、理解し、受け入れる能力である。
また、前提として本質的に、自分自身を見つめることができる心理状態、精神状態であることが大切である。

自己認識をしている間の主役は自分自身だが、かといっていつ何時も自分自身のことばかり注目する必要はない。
というよりも、自己認識はあなたという生地に織り込まれ、様々な状況や性格によって姿を現すものなのだ。

子供が自己認識が上手くできないように、人間は誰しも生まれ月つき自己認識ができるわけではない。
しかし、子供も自分が他人とは区別された個であることは認識している。

人に迷惑をかけてはいけない

「人に迷惑をかけてはいけない」おそらく世界中の人類のほとんどが、
概ね同意してくれるフレーズではないだろうか。
ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム的にも、
プラトンの善のイデアにも重なり当てはまるであろうから、
太古の昔から人類が脈々と受け継いできた思想だと思われる。

では人の迷惑とは何か?
自分が何かアクションしたことがきっかけとなり、
結果、誰か別の人物の迷惑となる。
これが一般的な解釈だろうし、これなら原因となるアクションに対して対策を練ることもできる。

では、きっかけとなるアクションが存在しないことによる迷惑はどうだろうか?
この場合、自分が何も行動しなかったことが、結果的に誰かの負担や迷惑になることを指している。

この場合、自分が先回りしてアクションしないことによる影響を想定できるか、
また、相手がアクションしないことにより何が起きるか想定できる事案かどうかというパターンの回避策がある。
前者の場合は、まさに自己認識ができる人物であることが前提となる。

人間が「思う」ことは誰か代わりにできることではない。
だから、勘違いや思い違いが存在する。
つまり、自己認識の方法を間違えると勘違いや思い違いが元となり、
良かれと思った行動が誰かの迷惑となる。

これは避けることはできない。
人の思いや考え方は様々で同じ人物でも受けた印象や状況でも反応は変化するからだ。そして、「思う」ことは自分自身でもコントロールすることはできないからだ。
誰かを嫌いだと思う経験は誰にもあるだろう。
この時、その感情をコントロールできないことも経験があるだろう。
仮に無理やり嫌いだという感情を払拭しようとしても根底には残り続けるのだ。
また、長い人間関係ののちに嫌いだという感情以外に変化したとしても、
「昔嫌いだった」事実は残り続ける。

感情や「思う」ことは自分でもコントロールできないが、
自分を見つめなす方法があるのだということ、
視野を広げて思考したらどうなるだろうかと立ち止まって考えてみること、
これらを知っているかどうかだけでも、今後の人生を深みのあるものに変えてゆくきっかけになるのではないだろうか。

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