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[ちょっとしたエッセイ] カーブを曲がると見えてくる光とか

 朝の人通りの多い道を、逆方向に歩く。凍てつく空気を吸い込むと、ようやく冬らしい冬がやってきたなと1月も8日を過ぎて思わされる。自転車に乗れば手袋が必須になり、カイロの重要性も日に日に増してきた。澄み切った青空を見ながら歩みを進めると、少しずつまわりの音が止んでいくのがわかる。都電線の線路を渡ると見えてくる枯れ木の姿。そして、さらに寒々とした空気が首元を冷やす。
 
 細いアスファルトの道を行くと、まず見えてくる公衆トイレ。傍目に進むと広がる無数の墓石。通勤のためにここを通る人も多く、駅方向へ進む人と何度もすれ違う。一度この地に足を踏み入れると都会の中の田舎のような場所に、やや心が落ち着いていく。都内でも有数の歴史があり、これほど大きいと霊園でありながら不気味さは不思議とない。また、作家や音楽家や活動家など、数多くの文化人が眠り、昭和37年以降空き墓所の再貸付は行っていないこともあり、生々しい幽霊などとは無縁のような気持ちにさせるのも、心落ち着かせる所以かもしれない。
 霊園内を歩いていると、道のいたる所に立て看板があり、「○号○側○番」と書かれている。墓地とは言いつつも、教科書などで出てくる著名人も多く眠っているため、池袋の観光名所的な役割もあるのだろう。墓所の前には、そこで眠る人の略歴なんかが小さく書かれた看板も立っている。
 散歩がてら、この場所に来るようになってどれくらいになるだろうか。別段大きな理由はないのだが、池袋から10分程度にあるこの場所までふと歩きたくなる時があり、年に数回この場所を訪れてもう10年以上が経った。
 これは完全に個人的な感覚なのだろうが、やはりここを歩いていると墓地を歩いてる感覚はなくなり、博物館を歩くような感覚になる。そして、この場所になんとなく心惹かれるのは、きっと樋口毅宏の小説を読んでいるということもあるかもしれない。『さらば雑司ヶ谷』というタイトルの小説には、この雑司ヶ谷霊園での銃撃戦の描写がある。土地勘のある自分には、読んだ時の脳内描写が幾重にも焼き付けられている。前述の通り、著名人の墓が多く、夏目漱石の墓石は異様に大きく、この墓石はこの銃撃戦ではどれくらい損傷したのだろうかなど、想像に易い。なんだかんだ、いろいろな意味でここが自分のとっての「聖地」のひとつであることは間違えない。
  見上げると、青空が広がる。奥の方にはビルが立ち並び、ここが都会の片隅なのだと改めて思わされる。耳元で都電の走る音が聞こえる。

 『さらば雑司ヶ谷』のとあるシーンで、登場人物たちがタモリと小沢健二(オザケン)の『笑っていいとも!』でのエピソードを引用している。その中に、タモリがオザケンの『さよならなんて云えないよ』の歌詞について、「”左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん」と話していたという。
 
 霊園の入り口付近に戻ってくると、まだ朝日が東の方から強くこちらに向かって差し込んでいた。あまりの眩しさに、手で顔を隠すのだが、不意に生きる実感みたいなものが湧いてくる。どちらかというと卑屈で、結構ネガティブになりがちの毎日なのだが、ふとした瞬間に、人生を肯定してしまう時がある。これは何にも変え難い「生きる」きっかけになる。都電の線路からカンカンカンと警笛が鳴り響く。そして、また電車がやってくる。
 僕の足並みは、駅へ向かう人と同じ方に向かう。あのカーブを曲がると海は見えないが、太陽の日差しがまた差し込んでくるだろう。たぶんこの瞬間がいつまでも続くのだと、どこかで思いながら、人々が吸い込まれる方向へ進んでいく。


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