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糖尿病者のアルゴリズム

妻が骨折した。肋骨2ヶ所。
お風呂で手をすべらせてバスタブに強打。
ちなみに妻もこの間に痩せて、贅肉のクッションは失われていた(糖尿病食を作ってくれている本人だからね)

コルセットが暑くて辛そう

わたしも先日ベッドから落ちて肋骨を傷めたばっかりだし、氷室京介さんもステージで転んだりしてよく肋骨を折ったりしてるみたいですよね。

なぜ知ってるかというと、BOØWYファンの年下の上司が氷室さん経由で『論語』に興味を持ったとのことで、その話題をきっかけに毎朝少しずつ読んでるんですよ。その流れで「氷室京介 五十にして天命を知る」でググったりして出てきました。

ガリガリに痩せたロック歌手あるあるかもだけど、痩せるリスクもあるってことですよね。ダイエット成功者の皆さん、気をつけましょうね!

そんなわけで朝の習慣になってる『論語』だけど、この年になって初めて面白いと思えてきました。歴史を知るのが大事とか古典を読めとか、へそ曲がりだからホント苦手なままずっと来てましたけども。

息子との対話でも「六十にして耳順(みみしたが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」って、昔なのに長生きじゃん!ってなったんだけど、孔子は特別?最強?無知すぎるわけだけど「歴史に学べ」の紋切り型よりそういう個人的な疑問から興味を持つべきだよね!って話になったり。

「子曰く、可なり(学而 第一 十五より)」の現代語訳が加地伸行全訳注(講談社学術文庫)では「まあまあというところだな」となっていたりするんだけど、金谷 治訳注(岩波文庫)ではただ「よろしい」となっていて、やはりどうしたって恣意的だよなとか(『天命を知る』もそうですよね)

「孟武伯 孝を問う。子曰く、父母には唯其の疾を之れ憂えよ」(為政 第二 六より)の後半部分、講談社学術文庫は…

「父母に対して、病気ではあるまいか〔と健康状態を〕ただただ心配することだ」(加地伸行 全訳注)

だけど岩波文庫は…

「父母にはただ自分の病気のことだけを心配させるようになさい。〔病気にはやむを得ないばあいもあるが、そのほかのことでは心配をかけないように。」(金谷治 訳注)

となっていて。

わたし個人の経験からは、親の異変に気づいてあげられない(あげられなかった)ことが大問題だと思うに至ったんだけど(父親は運転中に意識を失なったのか追突事故が原因で、母親は通院介護した翌日に吐血を詰まらせて?亡くなった。前日に背中が痛いと言っていたのに)

なので「父母に対して心配せよ」という解釈を取りたいのです(一般的ではないのかもだけど)

自分では「断末魔問題」と称しているのですが(できれば見たくない、考えたくないことだからこそ言わなきゃとも思うのもあり)

程度の差はあれ人の末期ってやっぱ断末魔なわけじゃないですか。そりゃ(ピンピン)コロリって逝ければそれにこしたことはないんだけどね。

とにかくみんな!お父さんお母さん(家族)の異変に気づいてあげてね!

それと常々(最近はさらに)考えることがありまして…夢、特に明け方に見る夢に、そのときは確実にリアリティを感じるんだけど、いったん目が覚めて一日が始まってしまうと本当の現実のリアリティの前に雲散霧消してしまう現象ってないですか?「断末魔」の話もそこに深い関わりがあると思っていて(恋とかエロスみたいな甘美な夢も同様な気がするし)そういうことの研究ってあるのかなぁ?ここはまた考えてみたいテーマです。

今週は生島ヒロシさんのラジオに美川憲一さんが出演されていて(ほとんど聴けなかったんだけど最後のところ…)

住んでいた家の話題になり、美川は「家が都電の南佐久間町駅(現西新橋1丁目)の近くにあり、持ち家だったんですけど、トタン屋根のね。お風呂もなく、雨漏りして、洗面器を置いたりバケツを置いたりして音がポターン、ポターンと落ちるから、タオルを敷いてやりましたよ。昭和です。早く親孝行して、ちゃんと家を建ててやらなきゃいけないなって子供の頃からそう思ってましたね」と懐かしそうに振り返った(『日刊スポーツ』2023年8月7日より)

昭和ですねぇ、貧しかったですね!ってなるんだけれども(美川さんの話はそれとして)『昭和40年男』世代としては、小学生の頃から「君たちは豊かな時代に生まれて育ってる。恵まれているんだぞ!」とばかり聞かされてた記憶があるんですよね。ことあるごとに。それが今だと逆に、まだまだ貧しかったとそっちが強調されるようになる。もしかして歴史って常にそのように語られる?そんな構造に気づかされるわけです。

たとえば、喫茶店に入ったあなたは、新聞が重ねて置かれている場所に目をやるとき、一番上の新聞しか見ないだろう。というのも、それが今日のものだと知っているからだ。気になるのは今日の見出しだけなのだから。
(『爆速!アルゴリズム』アリ・アルモッサウィ 吉田三知世 訳 東洋経済より)

要するに歴史って、ひとつのアルゴリズムとも思う。

物心つくちょい前がいい♪

本題に入る前にブックオフさんに言いたいことがありまして。2016年頃からかな?最安値の100円本コーナーを200円にしたじゃないですか。それってどうなの?ってずっと言いたくて。利益率やセドリ対策とかあるのだろうけれど、わたし100円だとアホみたく買っちゃうんですよね。セドラーじゃなくても。200円だとそれが半分になるわけじゃなく、極端に言えばゼロになるわけ(消費者心理としてそういうのがあるよって。商売のことはワカンナイけどさ)

というわけで今も100円で売ってる数少ないお店でこのように抱えていると…

撮影で片手(本当は両手)

すると棚を整理してる店員さんが「カゴをお持ちしましょうか?」と声をかけてくれたんだけど「あ、大丈夫です!」と当然のように断わった。

後から当然のように断わる理由を考えてみたんだけど、まずそもそもわたしにはブックオフで楽しむための心構えみたいなものがありまして、入店時に私の頭にあるのは…

①予算のこと(なるべく安く)
②時間のこと(早からず遅からず)
③見ていく順番(偶然にも期待する)

のような、ランダムかつ半ば無意識ながら、一定の「自分アルゴリズム」が存在することに気づかされます。

たとえば最初にCDを見ることが多いのは、予算と探すジャンル(充てる時間)が比較的決まっていて、具体的に言えば「イージーリスニング/ワールドミュージック→クラシック→ジャズ→ロック→和モノ」といった感じで時間の見通しがつきやすいからです。

そこから本に移り、やはり均一コーナーの「サブカル/ノンフィクション→ビジネス・自己啓発→医学・健康→スポーツ(一瞬)→文芸書→新書→文庫」みたいな流れをつくっていきます。どちらかというと本を探すときの方が楽しいかもしれなくて、そちらに時間をかけたい感じなのです。

そういうわけで、両手に抱えたCDや本や雑誌の一冊一冊は大事な収穫物であるのと同時に、その後新たに出くわした掘出し物と一緒に購入されるのか、はたまた入れ換えられてしまうのかまだわからない、あくまでも購入候補なのです。

そういう判断を、脳だけではなく抱えた両手…というか全身がセンサー状態となって、予算、時間、これまでの収穫物、残されたキャパシティ、入れ換え可能性などを全身全霊で感じつつ、最終的な満足を追求しているのです!

したがって店員さんが親切心から言ってくれたとしても(マニュアルでなくても)把握しにくくなるカゴにブツを放り込むわけにはいかないのです!(なかなかのプロフェッショナル だ😂)

こういった購買行動は、スーパーで食品を買い揃えるときにも共通するものがあるかも?と考えてみれば、もしかしてだけど食欲や食生活だのと言う前に、この貧乏性的強欲さみたいのが(自虐~)糖尿病になったひとつの要因なのではないか?(カゴはそんな可能性を考えるきっかけにもなりました!)

自分の思う満足度(甘くて美味しくてお腹いっぱい~)を最大化しようとする営みが、脳にもカラダにも贅肉たっぷり蓄え続けていき(砂糖に炭水化物!)しまいには病んでしまった原因だったかも(こないだNHK『クローズアップ現代』でやってた「節約志向で糖尿病に」の先駆けかも!

5年前のメモ

たこ焼き、焼き鳥、唐揚げ、お惣菜、
エクレア、シュークリーム、チョコアイス、
氷結、ほろ酔い、ガラナハイボール…

昨年の今頃(発症してる)

20年以上メモを残してる高橋書店『ニューダイアリー』から1年前、3年前、5年前、10年前まで遡って見てみたんだけど、若い頃ほどストイックだったり、近年ほどやっぱり「糖尿病者(俺)のアルゴリズム」が定着してたりとか、いろいろと気づくことがありますよ。分析しがいもあると思う(あまりにパーソナル過ぎてそのくらいしか言えないけど)

ライフログ的に残しておくのは本当に大事だと思います。今は簡単に綺麗に記録されるツールがあるんでしょうし(わたしのみたく手書きなぐり書きのじゃなく)若い人、早ければ早いほど始めておくの、オススメです!

https://www.nhk.jp/p/kanpai/ts/M2YY7WQ9RP/episode/te/PMX2N7KG28/

今週のNHKは『鶴瓶の家族に乾杯』
吉岡里帆さんが素敵すぎたなぁ。女優さん(役者さん)が素でもみんな魅力的なのは「人に物語あり」(©️宮台真司さん)ってことをよく知っているからなんだな。

お忙しいなか読んでくださり、
心より感謝申し上げます。
暑さが続きます。
皆様、どうかご自愛ください。

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