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医学や医療が進歩した以上、健康診断結果に「余命」を。

今回私が言いたいことはふたつあります。
結論を最初に持ってきます(べき論です)。

①健康診断の結果に「余命」を明記するべき

②情報をアップデートした上で「生きたいように生きる」べき

まずは①についてですが、
生活習慣病は早くて40代後半~50代くらいになって誰もが初めて経験することなので、自分の体に起きてることがよくわかりません。なので中高年者の健康診断結果に推定される余命(寿命)を提示してあげることで、事態の深刻さをわからせてあげる必要があるのではないかというご提案です(誰に?健保に)

つぎに②についてですが、
「食べたいものを我慢し、やりたいことを我慢することがストレスになるくらいなら、やりたいようにやる、生きたいように生きる!それが結局は体にとっても良かったりする」という考え方を最近はよく目にしますし、受け入れられてる気もします。それはある面では正しいのかもしれないけど、やはり医学や医療情報が発達している現代では、何を信じていいやらわからないほどにあふれかえる健康情報に対して嫌気がさしたような大衆心理への「反動」という側面をつよく感じてしまいます。なので昔の医学より明らかに進歩した部分は正しく認識した上で(確かに処方されて漫然と飲み続けているお薬は本当に必要なのか判断した上で)あくまでも情報はアップデートした上で「生きたいように生きる」(べき)だということです。そのハードルは高いかもしれないけれど。

それぞれの考えに至った根拠というか思いをもうちょい掘り下げてみると…

まず①についてなんですが、今から約20年近く前の40歳になった頃「人生20年スパン説」というのを思いついたんです。それは誰でも最初に生きる20年、つまりこの世に生を受けてから二十歳になるまでの20年間というのはすべてが初めての体験なわけで、まあ無我夢中に生きるその20年というスパンを時間的に把握できるはずもありません。しかし次の20年、つまり二十歳から不惑と言われる40歳までの20年間、これはもう最初の20年とは違い大人になってからの20年間なので、時間的経過というものが把握できるわけです(音楽好きな私の例で言えば、1985年に尾崎豊を代々木オリンピックプールで、BARBEE BOYSを後楽園ホールで観た二十歳の頃から、子供と一緒にD-51やら『青春アミーゴ』やらケツメイシ『さくら』を聴いたりしてた四十歳頃までのスパンです)
そして初めて把握できた20年スパンをもう一回繰り返すと、60歳の定年となり、その時には人生ほぼ終了!となっちゃうのです(って四十歳当時はそう思っていたのです)

そして60歳が近づいた今も、基本的にその考えは変わらず、後の20年?生きられるかそうでないかは神のみぞ知るの世界だし、「20年スパン」の伝で言えば、そこに被さってくる生活習慣病の最初の20年に当たる期間(40代くらいから50代後半に至るまでの間)は「無我夢中」の期間にあたるわけなので、そこでまたどういうことかわからないことが起きてくる。だかしかし一方で、残された寿命はわりとハッキリしてるわけです。実は。

私は今回、糖尿病になったことで「寿命が平均10年短い」ということを知った(読んだ)ことで、ガチになることができました。

したがって健康診断の結果に、そう書いて欲しかったなって思うわけです。

では②について掘り下げてみますと…
私は糖尿病になってしまったけれど、3ヶ月ちょっとで克服できた自分の経験から、ここにも書いたように仕事でリアルに知り合ったユウさん(仮名)や、著名な精神科医であり作家でもある和田秀樹さんについて(あくまでも心配な気持ちから)その考えかたに批判的なことを言ってしまってはいるものの、よくよく考えてみれば、そこにはその人の「自由」を侵害してしまう要素があることに、気づかないわけではありません。今週の水曜日の朝もベッドから起き上がり、いつものように生島ヒロシさんのラジオをつけると…

「老いを受け入れることでマインドリセットしよう!病気も不自由も、運として受け入れよう。自分を殺して他人に尽くし過ぎたりしないこと。お金の心配もしないでいい。使えなくなるお金を残したり、好きなことや旅行や、美味しいものを我慢して後悔しないように。お金を使おう。今を充実させよう!できることを大事にしていこう!医者の言うことを聞きすぎなければよかったと後悔しないように!検査結果に振り回されなくていい。健康習慣にもとらわれないように。歳をとったら楽しむ自由を与えられたんだ。他人の目を気にするな。エッチな本を読んでても言いふらす上司や同僚はいなくなったんだから 笑」

という和田秀樹先生の若々しい声が聞こえてきて(5時43分くらいから)まあ元気はでるんだけども。

生島ヒロシのおはよう定食・一直線 TBSラジオ 2023/7/26(水) 05:00-06:30 https://radiko.jp/share/?t=20230726054228&sid=TBS #radiko #生島ヒロシ #健康 #檀れい

ここにきての和田秀樹先生のブレイクは、元から潜伏してたいつの時代も一定数いる不良老人たちの絶対的支持のみならず、もう何年も続くどころかさらに玉石混淆が増し何がなんだか分からなくなっていく健康情報インフレに対する反動によるブレイク(爆売れ)だ。

それでも…だ。今より平均寿命が短かった過去、つまり今ならこういうことが原因だと明らかになっていることを知らずに死んでいった人たちの(特にまだイメージすることが可能な)昭和の人について思いを馳せてしまう。

「死んでいったものたちの無数の魂」
「死者の民主主義」

というのはよくわかる。だがしかし…

「生命それ自体に価値はない。どのように生きるかが全てだ」のような謂わば保守思想の価値観。西部邁さんに心酔してた若い頃でさえ「生命それ自体に価値はない」というのはよくわからなかった(まあわかるけどさ)

私はどうしても生命それ自体に価値があるとしか思えないんです。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023072629527

今週もNHK『プロフェッショナル  仕事の流儀』「託された道を、まっすぐに~小児心臓外科医 山岸正明」に観入ってしまいウォーキングが遅くなってしまった。何に感動したかって、もちろん山岸正明先生のその精神になんだけども、その卓越した想像力を、技術が可能にしてるところ。その最大限の努力と使命感を持つ、山岸正明さんを、最新かつ、常に同時進行であったろいテクノロジーやITが、山岸正明さんを神様にすることを可能にしていたところにだった。

私が思うに至るのは要するに、知識や技術(を可能にするテクノロジー)を知ってしまった以上、それ以前に帰れるのだろうか(っていうある意味よく言われるような疑問でもあります。要するに)

それにしても何度も観るたび何度も思いしらされ続ける『プロフェッショナル』。結局のところ何のプロフェッショナルにもなれなかったし残りすくなくなってきた人生で、巧みの技など身に付けることはできないだろうワタクシは観るたびに思いしらされショックを受ける。

ワタシはこんな駄文を書き連ねるだけ。

読み続けたくなるような文章、おもしろい文章が書ければそれにこしたことはないんだけれど、なんか無理。でもやっぱ今回はその優先順位が先にくるわけでもなくて…

がんばって生きてきたみんな、
無知から命を縮めないでくれ!
(それが言いたいだけなんだ)

人の目なんて気にせずやりたいように生きるをさらに超えて!

お忙しいなか読んでくださった方に。本当にありがとうございます。





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