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最初からなにもしらなかったことを わすれてしまっていたことが いちばんばかだったなっておもう

もともと小難しい思想だとか、ましてや聴いてて退屈な音楽なんて好きなわけないのだ。まぁパターンかもだが、大人になるにつれ、このまま素ではどうにも上手く生きられないぞと気づいた流れでニーチェ(がわかる本😂)に辿り着いた自分とか、一般的には誰も聴かない「現代音楽」を押さえている先鋭的な自分(クラシックも知らないので解らず、結局はCDを数枚😂)だとか、「人とは違う自分」というアイデンティティを作り上げたいがためだけの「難解が偉い」青春時代とでも言うべきものがあるよね(ないか)。

本好きと言ったって、所詮はその程度の「私ただのミーハー」なので、まともに勉強しようという気概もなく。でもそうやって本を読んで(集めて)年月を重ねて年をとって、横着にもなり…面白いのは、例えばユング言うところの「集合的無意識」っていうのだったり、ポランニーの「暗黙知の次元」だったり、言葉を知ってその意味するところを想像するだけでヨシ!(みたいな概念があったりする)そういう開き直り?も、あながち間違いじゃないのかなって思えてくるところ。


要するに、ただの知ったかぶりなんだけど。

いいんです。今回のテーマがそれだから。
(そもそもがお勉強のできない劣等生だから)



昭和歌謡の最大の特徴は、それを聴く人たちに、「社会性」を押し付けないというところにある。平成・令和の歌謡では、社会性が前面に出てくる。君は一人じゃない。絆で結ばれた仲間が、いっぱいいるじゃないか。ほら、君の知らないところで、君を応援している人たちがいっぱいいるよ。自分の殻に閉じこもってないで、外に出ておいでよ。歌でぼくらは君を応援する。

ところが、昭和歌謡は、いまどきのポップスのように、こういうことを歌わないのである。名曲と言われる昭和歌謡のほとんどが、自分を社会に開いていくことに、むしろ背を向けている。自分の感情をじっと見つめ、そこから湧き上がってくる自然な感情を、社会のことなどほったらかしにして、ひたすら歌い上げる。

(中沢新一『今日のミトロジー』週刊現代 2023年12月2・9日号)より引用



八代亜紀さん亡くなってしまった😢
(ご冥福をお祈りします)

小学生の頃、気がつけば歌謡曲が大好きで、それこそ趣味がどうとかって考える以前に耳が良いと思った音楽を(歌詞も含めて)自然に聴いていたのだと思うのだが、5年か6年生の頃にピンクレディーが出てきて(これが意外に音楽とアイデンティティ問題の発端かも?だけど)低学年だった頃の山口百恵はまだよくわかんないからいいとして、ピンクレディーが日本中を席巻したのとわたしが中学に上がるまでの思春期がかぶっているわけで、楽曲(というか曲)自体に心つかまれるのは変わらなくても、ピンクの場合(歌詞はそういうものとしても)その衣装とか振り付けだとか、切り離せないコンセプトがあったわけで(お色気?昭和的にいえばだけど)要するに恥ずかしくなっていくわけです。

なので当時は(『ザ・ベストテン』のランキングを見ればわかるように)ベースとしてあった歌謡曲に、一気に台頭してきたアリスや松山千春とかのニューミュージック、同じくツイストやゴダイゴといった、やはりその頃出始めてきた日本のロック…が混在していたわけですが、そうした事情もあって普通の中学生はニューミュージックに、それとちょっと差別化をはかりたい音楽好きはツイストからのロック~洋楽に行ったり?ゴダイゴからのプログレ?に行ったりなどしていたような記憶があります。

各自の嗜好も、そうやって基本その路線で分岐していき、さらに多様化して今に至るわけですが(おもいっきり単純化してる 笑) わたしの場合、その後は YMO が好きになり、とくに坂本龍一さんに興味をもった関係で、わからないくせに難解なものに価値があるみたいな、そういった文脈ありきのロック好き、音楽好き青年になっていきました。ロックとは何か?音楽とは?みたいな。

(なので90年代にDJたちが歌謡曲を取り上げ出した時には『やっぱこれだよね♪』って思わず上がったな~)

愛だの恋だのと〈社会〉の中の思いを表現する歌は巷に溢れるが、〈世界〉の調べを告げ知らせるものは珍しい。但し〈社会〉における絶望こそは、〈世界〉の調べへと開かれる扉になりうる。それを私は《絶望の心地よさ》と呼び、フィッシュマンズを例に挙げた。

その意味では、例えば COCCO が活動を休止するまでの四枚のアルバムが非常に示唆的だろう。ファーストアルバム『ブーゲンビリア』に刻印された〈社会〉の中での絶望は、ラストアルバム『ラプンツェル』へと向けて、次第に〈世界〉に満ちた光に置き換えられていく(中略)

〈社会〉とは、コミュニケーション可能なものの全体。〈世界〉とはありとあらゆるものの全体である。部族段階の原初的社会では、〈社会〉と〈世界〉は一致し、〈世界〉の隅々までコミュニケーション可能なもので満たされている。だが社会システムが複雑になると、〈世界〉には〈社会〉属さない部分があるとする観念が一般的になる。それは、事物の世界だったり、プラトン主義的・カント主義的な抽象的普遍の世界だったりする。と、同時に敢えて〈社会〉の中を生きるべき理由が問題化しはじめる。



(宮台真司『絶望 断念 福音 映画』メディアファクトリー より引用)


中沢新一さんの昭和歌謡についての部分を読んで、宮台真司さんの「内在系」(毎日が平穏であることで幸せになれる)と「超越系」(不幸な『ここ』は無論、どんなに幸せな『ここ』にも、『ここではないどこか』を対置してそれを希求する)と見事に対応してるな~と連想したので長くなりましたが引用しました。

なので、わたしには難解と思えるジャズやプログレ、クラシックや現代音楽といった「世界の調べ」を告げるような音楽に、あらかじめ開かれた人たちを、心から尊敬してしまいます。


ついでにだけど宮台真司先生は…

「”定住による集団規模の拡大ゆえに『法内』を生きることで所有を守る”というのは、かつてない『異常な作法』です。法内を生きる営みはたかだか1万年前からの、人類史的には特殊な作法です。この『異常』に耐えるには、仕掛けが必要です。その仕掛けが定期的な祝祭でした。正確には祝祭への待望が日常を耐えさせるのです」
(宮台真司の『愛しのアイリーン』評 リアルサウンドより引用)


とも言っていますよ!


「『神は在りや無しや』が問題なのではない。『神は在りや無しや』という問いへと、遂には自身を追い詰めざるを得ない私たちの思考の型こそが、実は問題なのだ」
(池田晶子『発現する消失点』群像 1991年3月号より引用)



宝物たち✨
どんな人なんだろうと思った



尾崎豊の最初のホールツアーを観に行き、デビュー前のフリッパーズ・ギター(ロリポップ・ソニック)を目撃して、その後世の中の評価が上がっていく経緯を見てきたってのがわたしの持ちネタなんだけれども、そういえば哲学者の池田晶子さんも、初出の文章を『群像』で読んだのが最初の出会いで、その一撃で一生モノの文章だと思ったし、その後なんと『朝まで生テレビ』に出演されたのに驚かされたり(オウム真理教や幸福の科学も出演してた宗教をテーマとした回)『14歳からの哲学』などが評判になって著名人になっていった。

という(オレはこれっぽっちも凄くない)経験を振り返って気づくのは、そもそも元から関心がある分野に関しては、特別にお勉強するわけでもなく、自分の中に「思考や感覚の原型」とでも言うべきものが、すでにあらかじめ埋まっているのではないか、それこそが「集合的無意識」というべき、人類共通の感覚なのではないか…ということなんです。



あと、いま出てる『文藝春秋』で「私の昭和歌謡ベスト3」ってアンケートやってて、内田樹さんは大瀧詠一さんやユーミン(ロック?シティポップ?)、上野千鶴子さんは『神田川』(フォーク?ニューミュージック?)やらを何のことわりもなく挙げていて面白かった。




週末の金曜日の朝、「お正月に実家に帰ったから」と後ろの席の年上の方からお土産のお菓子をいただいた。
ご両親とも米寿を過ぎてご健在で、何よりですねぇとお礼を言うと、

「長生きできてるけど薬こーんなに飲んでいて…」

「(認知症あったり危ないからと)お勝手もやらせないから元気もなくて」

「顔を見せに行くだけ。だからといってもう喜ぶでもないし」

「昔はみんなでお正月のテレビを見て…って楽しかったけど今は違うし…」

そうそう、地震のニュースになったらお正月気分も吹っ飛んで…

前はテレビと同時に、染之助・染太郎が初詣のロケに出たりしてて、日本全国のお正月感が伝わってきたりしてましたよね?

「そうそう、お正月なのでいつもより多く回しております!ってね」
(と、ソッコーで反応してくれたのがうれしかったり 笑)

というふうな会話になり、いみじくも先週、息子と話したことの繰返しになった。


つまり今回は元日の大地震~特別報道番組への切り替え…という結果的には社会実験みたくなったと思うけど、「お正月気分=テレビ」であること、以前だったら皆で集まりかるたやトランプ、コマを回して凧を上げて…っていう風習、つまり現実と相互に補完するかたちで作り上げられた風習が、もはやテレビのみ!になっていた…というのが露呈されたこと。

それと内心思っていたことがあって…

医学の進歩か薬のおかげか、確かに多くの人の寿命が延び、「長生き」の特別感が薄れ、あえて寿がれることがなくなってしまった。


(という話になったのだけれど…)


帰りのクルマで朝のことを反芻していて気づいたのは、

昔のお年寄りは長生きをただ喜んでいたのだろうか?

きっとそんなことはない気がする。今も昔も。


自分の人生の時間が残り少ないと分かっている、んだぜ。とにかく。


あたまの良い人はもちろん(特にそうでなくても)


おめでたいというばかりの、私たちが若かったから気づけなかっただけなのだ(もちろん性格によるので人それぞれだろうけど)


それもこれも、他ならぬ自分の近い未来のことだから(そうやって、段々と気づけるようになるものなんだねぇ)


人間はもはやほとんどの事がわかっていて…と思いきや、死ぬ間際に実は真逆でほとんどのことかわわかってないんだなと察し、このまま死ぬのはイヤ~ってなる。死とはひとつにはそういう苦しみなのかと想像する。

年のせいプラスこの地震(情報)で、
死について考えるモードが深まってしまった。

死ぬのは怖くない。生まれる前に戻るだけだから(という考え方があるけど)

自分が好きな自分は、元々は無かった自分だ。

そこでどんどんさかのぼっていくと…
(どんどん削除できる気がしてきた)

そこでもっともっと日記を早くからつけてればよかった(と思ったりした。そう考えるとすっかり忘れている、きっと今とはすっかり別人の子供時代も、可能な限り思い出したい!ので)

人間(社会)の現実は、幻想でできている。
という話を息子とした。



放送大学で「食と健康」ってやっていたので観てみたんだけども…


わかりやすいよね


これも有難いけど… 


バランス、バランスって…



これだけ学問的に誠実にやってくれているのに、なぜ「現代の食生活は糖質過多であり…」くらい言わないのだろうか、なぁ~。



昨日はこの世でいちばん尊敬している義父の誕生日でした。

お義父さん、おめでとうございます!

MAPAの新曲『Snow bud』と、あと大森さんの大好きな曲(またエミリオさんのお借りします✨)を貼って終わります🎵






最期まで、ありがとうございました。
読んでくれた人が元気になれるような、
ポジティブなことを書きたい(っていつも思うのですが)
どうにも暗い話になってしまいます。
お正月からスミマセンでした!

寒さが厳しくなってきましたね。
冷えにはくれぐれも気をつけてください。
また来週!よろしくお願いいたします。



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