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江戸時代の京都/今の京都 第4回 北野神社 梅花祭

 京都市の北区に学問の神様といわれる菅原道真公を祀った北野神社(北野天満宮)があります。
 本居宣長は宝暦七年二月二十五日、当社にお詣りしています。
 日記を見てみましょう。

宝暦七年二月二十五日(1757年4月13日)
 今日は梅花祭なので北野神社へ詣ろうと思って、友達をいろいろ誘ったが、みな都合が合わなかった。とても遠い所を一人で詣でるのも辛いが、それにしても不信心なことだ。
 東洞院高辻の南の秋岡貞蔵を尋ねて、いろいろとそそのかすと、彼が言うには、わたしも詣ろうと思うとのこと。とてもうれしい。
 さて、午後2時前頃から出かけて北野に詣った。 

 梅花祭なので詣りたかったのですが、お連れがなかなか見つからず、午後から出発しています。当時の宣長の住まい(綾小路室町)と京都市の北西にある北野神社は、直線距離で3.5km程あり、「とても遠い所」というのが頷けます。

 今日は普段の月より沢山参詣者があるが、今日は特にすごく沢山詣っている。道もすれ違えないくらいだ。いろいろな人が袖を連ねて行き交うさまは、ほんとうに都の情景としてめでたいものだ。北野の近くになると、芋洗いの状態で、通ることも難しいくらいだ。芝居、物真似、商売人、戯劇の類、数知れないくらいたくさん並んでいる。 南の門の前の水茶屋で、しばらく休憩して、さて詣る。

 大変な人出であったことが記されています。
 北野神社では今も変わらず2月25日に梅花祭が行われます。本日(2024年2月25日)お詣りしてきました。
 あいにくの雨天にかかわらず、沢山の方がお詣りに来ておられました。
 江戸時代も今も、北野神社の人気は変わらないのですね。

 「芝居、物真似、商売人、戯劇の類、数知れないくらいたくさん並んでいる。」とあります。年に一度の梅花祭ということで、芝居小屋や、物真似芸人なども出ていたようです。
 この点、今は、食べ物や小物、骨董などの出店が並ぶだけで、ほぼ縁日のラインナップです。芝居小屋などあれば大変な盛り上がりだったでしょうね。少し残念です。

2024年2月25日撮影

 少し余談になりますが、1960年代生まれの私の子ども時代には、近隣の神社のお祭りに「見世物小屋」がかかっていました。子どもなので入りはしませんでしたが、小屋の持つ独特の雰囲気は今でもはっきり覚えています。記憶に残っているくらいなので、1970年前半くらいまではあったのではないでしょうか。不思議な思い出です。
 日記を続けましょう。 

 北野の桜の花は、まったく見えない。紅梅が沢山咲いて、盛りを少し過ぎたような感じだ。この頃、桜におされて、紅梅などは人がそれほど注目していないが、ここは北野さんだからだろうか、なおめでたい感じがする。
 (中略)
 久しく菅原道真公をお祀りした北野神社にお詣りしていなかったが、とても尊く、ますます人々の信仰を集めており、沢山の神社のある広い京都の中でも、この北野神社ほど沢山の参詣人がある神社は他にないのではないかと思う。御神殿の様子などもとても尊くめでたいものだ。

 北野さんといえば梅です。宣長が出かけた日、梅は盛りを過ぎていたようです。
 2024年の梅をご覧下さい。盛りのもの、まだこれからのもの。見頃のタイミングでした。

2024年2月25日撮影
2024年2月25日撮影 
2024年2月25日撮影

 宣長が記しているとおり、今も北野さんの人気は大変なものです。
 本日は梅花祭でもあり、本殿への参拝は長蛇の列となっていました。

2024年2月25日撮影

 当時の図会を見てみましょう。北野神社の佇まいは江戸時代から大きく変わっていないことがわかります。

 さて、この日、宣長は北野神社に参拝した後、近くの平野神社に足を伸ばしたようです。日記は続きますが、平野神社の記事は稿を改めたいと思います。

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