仲尾謙二

仲尾謙二

最近の記事

江戸時代の京都/今の京都 第8回 江戸時代の春夏秋冬

 2024年4月1日。本日二つ目の投稿です。  まず在京日記をご覧下さい。  宝暦六年四月一日。宣長は「夏になった」と記しています。  第2回で江戸時代の太陰太陽暦とグレゴリオ歴とのズレ、違いをお話しました。今回は、さらに宣長の時代と今の時代の春夏秋冬の違いをお話しします。  日記を見てみましょう。  一月は春、七月が秋で、十月が冬の始まりと書かれています。  このように、宣長の時代、春は一月から三月、夏が四月から六月、秋が七月から九月、冬が十月から十二月と認識されていま

    • 江戸時代の京都/今の京都 第7回 お花見 江戸時代のお寺と今のお寺

       2024年4月1日です。  3月29日に二条城にあるソメイヨシノの標本木の開花が確認され、京都の桜の開花が告げられました。この数日、天気も良く暖かい日が続きそうですので、あちらこちで多くの方々が2024年の京都の桜を楽しまれることと思います。  さて、第6回で宝暦七年三月三日(1757年4月20日)、宣長が、東山の高台寺にお花見に出かけた記事を取り上げました。実は前年にも同じように高台寺でお花見をしています。日記をみてみましょう。  桜の花を見て、和歌を詠み、酒を飲んで、

      • 江戸時代の京都/今の京都 第6回 桃の節句

         2024年3月3日。  昨日は上巳の節句、ひな祭りでした。五節句のひとつとして厄除けなどの願いを込めてお祝いされてきました。  宣長の日記を見てみましょう。  宣長の時代も三月三日が節句だったようです。  宝暦六年のこの日は雪。グレゴリオ暦では4月です。宣長の言うとおりとても珍しいことだったと思います。  翌年の日記も見てみましょう。  宝暦七年は穏やかな天候だったようです。  どちらにも、挨拶の記述があります。原文では「礼にくる人ども」「礼にまわる」とあります。  今

        • 江戸時代の京都/今の京都 第5回 平野神社 豆腐茶屋

           前回の北野神社からの続きです。  北野神社のお詣りが済んだ宣長は、すぐ近くの平野神社へ。  平野神社と北野神社の位置関係はこのような感じです。  北野神社の北から出て西に進み、宣長のいうとおり紙屋川を渡るとすぐ平野神社です。マップには天神川とありますが、このあたりでは今も昔も紙屋川と呼んでいます。一つの川でも、流域で名前が変わるのはよくあることですね。この川は南に流れていくと天神川と呼ばれています。  さて、当時の紙屋川と平野神社の図会を見てみましょう。   図会の右

        江戸時代の京都/今の京都 第8回 江戸時代の春夏秋冬

          江戸時代の京都/今の京都 第4回 北野神社 梅花祭

           京都市の北区に学問の神様といわれる菅原道真公を祀った北野神社(北野天満宮)があります。  本居宣長は宝暦七年二月二十五日、当社にお詣りしています。  日記を見てみましょう。  梅花祭なので詣りたかったのですが、お連れがなかなか見つからず、午後から出発しています。当時の宣長の住まい(綾小路室町)と京都市の北西にある北野神社は、直線距離で3.5km程あり、「とても遠い所」というのが頷けます。  大変な人出であったことが記されています。  北野神社では今も変わらず2月25日に

          江戸時代の京都/今の京都 第4回 北野神社 梅花祭

          江戸時代の京都/今の京都 第3回 知恩院 御忌(ぎょき)

           こんにちは。  今回は東山にある知恩院のおはなしです。  京都の東山、八坂神社の北に、総本山知恩院があります。  御存知のとおり、浄土宗の総本山で、京都を代表する大寺院のひとつと言えます。  江戸時代の図会をごらんください。  東山を背にした広大な敷地の中に、国宝の御影堂、三門、重要文化財の集会堂などがあり、江戸時代と今で大きくは変わっていません。  さて、知恩院の重要な行事のひとつに御忌(ぎょき)があります。開祖である法然上人の忌日法要です。  2023年は4月18

          江戸時代の京都/今の京都 第3回 知恩院 御忌(ぎょき)

          江戸時代の京都/今の京都 第2回 昔の暦

           こんにちは。  本日2024年2月4日は立春です。前回noteの『在京日記』の記事にありましたとおり、宝暦六年十二月十五日(1757年2月3日)は節分でした。ところで、次の宝暦六年正月の記事をご覧下さい。  記事には、宝暦六年正月五日も節分だとあります。  あれっ?節分が2回? 不思議ですね。でもこれは宣長の書き間違いではなく、実際に宝暦六年には節分が2回ありました。どういうことでしょう。  このことを理解していただくために、当時の暦のしくみをご説明することとなります。少

          江戸時代の京都/今の京都 第2回 昔の暦

          江戸時代の京都/今の京都 第1回 節分

           こんにちは。  2024年2月3日。本日は節分です。  節分というと、豆まきは必須ですね。今は恵方巻きを丸かじりするのが習わしで、今年は東北東を向いて食べるそうです。  恵方巻きについては、私の幼少期の記憶にはないのですが、まあ、「イワシの頭も信心から」です。楽しい節分になればということで、今年も購入です。  さて宣長の時代はどうだったでしょうか。『在京日記』をみてみましょう。  260年ほど前、江戸時代の中期にも節分には豆まきをしていたようです。  「鬼はそとへ、福は

          江戸時代の京都/今の京都 第1回 節分

          江戸時代の京都/今の京都 はじめに

           はじめまして。  本居宣長を研究している仲尾と申します。  今回、本居宣長の『在京日記』を素材に、「江戸時代の京都/今の京都」と題して連載を始めさせていただこうと思います。  簡単に自己紹介させていただきます。  宣長との出会いは高校生の歴史の教科書で、大学では文学部に進み、宣長を卒業論文のテーマにして卒業しました。  その後、研究とは関係ない仕事をするかたわら、宣長の言葉を真似れば、「年月長く、倦んだり、怠ったり」しながらも、継続して宣長自身の著書、関係の書物などを読み、

          江戸時代の京都/今の京都 はじめに