やまもとけんぞう

( 山本賢蔵 ) 詩と瞑想

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マガジン

  • 詩やらなにやら

    詩や雑文。これまでの作品について。

  • 静寂者ジャンヌ 第二部

    苦難の末に、内なる〈消滅・甦り〉の境地に到達したジャンヌは、幼い娘を連れて旅に出る。子連れ静寂者の冒険が始まる。

  • 静寂者ジャンヌ 第一部

    17世紀フランスを生きた静寂者ジャンヌ・ギュイヨン。無限の自由とやすらいを生きた彼女の生涯と瞑想技法。たましいのデトックス。エッセイ風の評伝。

最近の記事

新しい道

きみの虹は消えた けれど 消えなかった 聞こえない歌 新しい道 雨あがりの匂い あしたぼくの息は 光になって きみの想いが宙に 溢れるだろう 誰にも聞こえない歌 地平線の向こう あの雲が 不思議なくらい 紫になったら それが合図だ

    • あの路

      今、原画展やってます。 ティールグリーンさん、絵本好きの人なら、きっと、知っているでしょう? 大田区にある、可愛くてステキな、 絵本のワンダーランド! 店にあるもの、なにもかも、 センス良き! 手作りオルゴールも、夢見心地! コーヒー美味しい... 住宅街に、ひょっこり現れるたる 小さい、澄んだ異空間。 ぜひ、 深呼吸しに来てくださいね......

      • 森のおうち で 「生きる」を見つめる を 見つめるか

        このあいだ久しぶりに日常に戻ってきて、魔法の人と、かたこと列車に乗って、安曇野にゆきました。絵本美術館 森のおうちで「いせひでこ絵本原画展」をやっていたので。まだ、やってるんじゃないかな。もう終わるか。(その日は、柳田邦男さんのトークがありました。絵本活動の歴史に残る講演でした。)『たぬき』『あの路』それに『愛蔵版 グレイがまってるから』の原画が。すてきでした。今回、『あの路』は、一階の部屋に展示されていました。ここは、ちょっと特別な所。覚醒する空間。そこに『あの路』の白の世

        • 「ことばする」とは・・・ ヤコブ・ベーメの場合〈下〉 (静寂者ジャンヌ 28)

          先回の続きです…… 5 「内側」はたえず「わたし」から逃げ去っていく かつて あるがままの自然なことば が、あった と、ヤコブ・ベーメが言う…… それは 生きたことば ただの符号じゃない 神にならって ことばする かつてそうやってわたしたちは 神の世界創造に 参画していた でも、いつしかわたしたちは 神にならって ことばする  のを、やめてしまった 生きたことばを 失った 抜け殻の言葉 散りばめて 人間の言葉による 世界構成という錯覚

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        • 詩やらなにやら
          8本
        • 静寂者ジャンヌ 第二部
          6本
        • 静寂者ジャンヌ 第一部
          22本

        記事

          「ことばする」 とは・・・ ヤコブ・ベーメの場合 〈上〉  (静寂者ジャンヌ 27)

          0 あるがままのことば 言葉のない野を 駈けることができたら どんなに自由だろう・・・ ずっと、そう思ってる。 でも考えてみたら、その「言葉」って、人間の言葉でしかない。 言葉は人間だけのものだろうか? 「人間の言葉」・・・と言うとき、 きっと、わたしは、符号としての言葉を考えているだろう。 記号と、その指示対象と、両者をつなぐルールだとか・・・ そこに、リアルはない。 でも・・・「ことば」は、もっと広いはずだ。 * かつて、あるがままの、自然のことばがあ

          「ことばする」 とは・・・ ヤコブ・ベーメの場合 〈上〉  (静寂者ジャンヌ 27)

          神秘のエクリチュール 〜 V.ウルフ と U.K.ル=グウィン それに J.ギュイヨン (静寂者ジャンヌ26)

          これまで 5歳の娘を連れて、家を飛び出たジャンヌは、ひとまずジュネーヴ近くの町ジェックスで、プロテスタントをカトリックに改宗させる団体に参加した。しかし、その団体の欺瞞に満ちた非人道的な活動の実態を目の当たりにして、ジャンヌはストレートに団体を批判し、団体から距離を置いた。国家権力をバックにした団体を相手に、ジャンヌはドン・キホーテのように単身で対峙した。当然、ジャンヌは窮地に追い込まれた。そんなジャンヌを、ラ・コンブ神父が全面的にケアした。霊性に満ちた、柔軟なこころの、こ

          神秘のエクリチュール 〜 V.ウルフ と U.K.ル=グウィン それに J.ギュイヨン (静寂者ジャンヌ26)

          人を殺したくない。死にたくない。戦争にヒーローはいない。

          Нет войне と、拘束されても声をあげ続けるロシアの人たち、リスペクトしかない。 自分にできるだろうか? かつて日本軍が侵略戦争を起こしていた時、もし自分がその時代にいたら、 大声で Нет войне を日本語で叫べただろうか? * 「怖い」という言葉を残して、死んでいった若いロシア兵がいる。 ポーランドに逃げようとして、逃げられず、仕方がなく銃を持たされるウクライナの人もいる。 侵略攻撃はますます凶暴になっていると聞く。 そして、無垢な目をした小さな子

          人を殺したくない。死にたくない。戦争にヒーローはいない。

          静寂者ジャンヌ 25 スキャンダル・デマ 神秘の母性

          Нет войне! ウクライナ侵攻、既にたくさんの市民に犠牲者が出ていると聞く。 友は、ポーランドに逃げられただろうか。 夜が明けて、明るくなって、どうなっているだろう。 わたしにとって、イラク戦争以来の衝撃と怒りだ。 もう眠い。静寂者ジャンヌ25を、出稿します。 ちゃんと書けてないかもしれません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1 トノン ジュネーヴに行くつもりだったジャンヌは、土壇場で、ジュラ山脈のジェックスに行かされた。「

          静寂者ジャンヌ 25 スキャンダル・デマ 神秘の母性

          静寂者ジャンヌ 24 違いは違いのままでいい…闘いのはじまり

          ジャンヌは娘を連れて、家を飛び出した。 恩寵に誘われるままに、ジュネーヴを目指した。 ジュネーヴという目的地だけは、はっきりしていた。 でも、どうやって? 何をしに? 迷いながら、ヌーヴェル・カトリックという団体に参加することにした。プロテスタント信徒をカトリックに改宗させる団体だった。 さてさて・・・ 1 あなたは馴染めないでしょう ジャンヌは、パリからセーヌ川を船で遡った。途中、コルベイユに停泊した。その町の修道院には、アンゲランがいた。14年前にジャンヌを〈

          静寂者ジャンヌ 24 違いは違いのままでいい…闘いのはじまり

          静寂者ジャンヌ 23 子連れ静寂者 旅に出る

          前回の続きを書こうと思ったのですが、たまにしかアップしないのに、いつまで同じこと書いているのか。もういいから。早く物語を進めたほうがよくないか・・・そういった趣旨の言葉を、何人かからいただきました。たしかにごもっともで。 とりあえず第二部に進みましょう。 前回の続きは、また今度、次の次ぐらいにでも。 さてさて、ジャンヌの諸国遍歴のはじまりです・・・ 1 ジュネーヴが呼んでいる 自己の内なる旅路の果てに、長い長い暗夜をくぐり抜けて、ジャンヌはついに夜明けを迎えた。〈消滅

          静寂者ジャンヌ 23 子連れ静寂者 旅に出る

          静寂者ジャンヌ 22 大拙・才市・ジャンヌ

          「静寂者ジャンヌ」シリーズ、 前回の補足を書いて、それで第一部を終わりにして、 第二部「子連れ静寂者の冒険」に入ろうと思う。 でも、前回からずいぶんと間があいてしまった。 なんだか、感覚がつかめない。 もう一度、前回の内容を、別のタッチで書いてみようと思う。 ジャンヌにとって重要な局面なので。 前回とあわせて読んでいただければありがたいです。 1 消滅=甦り 静寂者ジャンヌは、 長く苦しい〈夜〉のフェーズを経て、 主体的な自我意識がほどけ、 〈わたし〉の〈死〉に到り、

          静寂者ジャンヌ 22 大拙・才市・ジャンヌ

          (静寂者ジャンヌ 21) この新しい自由に、ぼくはただ、驚くばかりだった。

          ジャンヌは、ついに夜明けを迎える。 長く苦しい〈夜〉だった。 ジャンヌの物語での、最初のクライマックスだ。 * ざっと、これまでを振り返ろう。 ジャンヌ・ギュイヨンは、1648年に フランスのモンタルジという、 パリからそれほど遠くない小都市に生まれた。 太陽王ルイ14世の時代だ。 ジャンヌは、16歳で大富豪のもとに嫁に出され、 姑と夫の虐待を受け、 「奴隷」のような生活に閉じ込められた。 そんなある日、良き修道士の言葉がきっかけとなって、 ジャンヌは、静寂者

          (静寂者ジャンヌ 21) この新しい自由に、ぼくはただ、驚くばかりだった。

          静寂者ジャンヌ 20 今朝は、もっと、なんにもない。まったく、なんにもない。安らいもない。それを超えた状態らしい。

          夜の底ジャンヌは、いよいよ、夜の底を突く。 * * * ジャンヌは、独りで、もがき続けた。 ぼくは、生きれば生きるほど、罪を犯すような印象だった。 罪を逃れることができず、 まるで罪を犯すために生きているかのようだった。 地獄のほうが楽なようだった。 ぼくは、苦悩のなかで叫んだ。 罪ではなく、地獄を! まるで罪を犯すために生きているかのようだった・・・ この場合の、ジャンヌの言う「罪」は、欲望全般だ。(1) 〈夜〉の底で、 それまで自分では克服したつもりでいた欲望

          静寂者ジャンヌ 20 今朝は、もっと、なんにもない。まったく、なんにもない。安らいもない。それを超えた状態らしい。

          静寂者ジャンヌ19 きみ自身を完全に忘れるように。 それは、自分を正そうとすることと両立しない。

          〈夜〉の絶望が ふと 無感の浮遊のような 安らいのトーンに 変わる時。 その鍵が、〈明け渡し〉にあるらしい・・・      そのあたりのことを、先回は、         ジャンヌの手記を通して、読み解いてみたかった。    ここで、ちょっと、回り道をしてみよう。 そもそも、夜のパッセージで、 いったい、何が起こっているのか・・・ ジャンヌ自身は、どう捉えていたのだろう? それについて、 面白いジャンヌのテキストを見つけた。 少しマニアックかもしれないけれど、 第1

          静寂者ジャンヌ19 きみ自身を完全に忘れるように。 それは、自分を正そうとすることと両立しない。

          静寂者ジャンヌ18 あなたは川に浮かぶ木片を気にとめたことがありませんか?

          無感であること言葉が落ち イメージが瓦解し 自我がほどけ 渾沌の底へと沈んでいく。 自己の救済という 宗教の根幹にかかわることまで 無関心になったジャンヌ。 その時のジャンヌにとって、 「神」とは、何だったのだろう? * 当時の手記を読んでいくと、 ジャンヌは苦悩の底でもがきながら、 ぎりぎりのところで 自分をつきはなし、 まるで自分を実験台にするかのように、 観察しているのが読み取れる。 ああ、ぼくのこの状態を、 どう表現したらいいのか? ぼくのうちの何かが

          静寂者ジャンヌ18 あなたは川に浮かぶ木片を気にとめたことがありませんか?

          静寂者ジャンヌ 17 私の骨は、孤独と隔絶を呼吸するだけ。

          これまで 前回を整理しよう・・・ ジャンヌは、〈夜〉のパッセージに入り、 精神的に弱っていたところを モラハラ某氏につけこまれ、 自己の人格的尊厳をずたずたにされてしまった。 そして、精神的に支配され、 「彼の意見を聞かなければならないように」 コントロールされてしまった。 しかし、 「私自身の最も親密な内奥の何かが、  自分を変えるなと責めているよう」だった。 つまり、自分自身の奥底で、 「これは違う!」 という、抵抗の叫びが聞こえていた。 そういう精神的に引き裂

          静寂者ジャンヌ 17 私の骨は、孤独と隔絶を呼吸するだけ。