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グラフィックレコーダー3年目にして思う、流派とかテイストとか②

①の続きです。
先に書いておきますがGCBのステマではありませんw

さっそくですが私が普段グラレコを描いているときに意識していることは
・話し手の感情に沿うこと
・そのうえで、最大限「参加しなかった人」が追える情報であること
の2点です。このため、割とレイアウトはいい加減ですしどうでもいい話もよく描きます。レコードは文字多め、口語体メインでコンテンツ間に接続詞と矢印を補っていることが多いです。

私はタムラカイさんや松本花澄さんのグラレコが大変好きです。
お二人とも鬼の画力そして構成力なのですが、それ以上に私がグッとくるのは、

自分の感情であるかのように描く

というところです。軽く憑依してるのではないだろうか。
特にタムカイさんが描く「やろうぜ!!」感、花澄さんの描く「モヤっと」感は毎回尊すぎて拝んでます。

一方で、構造化や取捨選択、抽象化に関して色々な工夫をされている方のグラレコもいつも感服しながら見ています。私は構造化、俯瞰、抽出 をざっくりするのは好きなんだけど、突き詰めてはできない性分。なので毎度グラレコレイアウトが散漫なわけです。努力はしてるんだけど。
ただ、わりと構造化クラスタのグラレコは淡々としている印象を受けます。

要は「ひと」なのか「コンテンツ」のかなのだと思うのです。どっちもありなんだよ。オーディエンスにはどっちのタイプもいるし。
だからこそ、自分がどういうタイプであって、何を描きたい人だろう?と考えてみると、学びやすいのかも。

多くのグラレコセミナーで教えてくれるのは8割がたが「基礎」、要は絵の描き方。残りの2割に含まれる、「何を拾って何を描くか」は千差万別。先人の知恵を聞いて学びつつ、結局は自分スタイルしかないし、さらに言うと本来の思考パターンと強固に結びついているのでそんなに簡単に変えられるものでもないでしょう。
またグラレコは生のやり取りを対象としているので、どこかで割り切りも必要だと思います。構造にしろ、感情にしろ一人の描き手が確実に見通せるものではありません。こういうことが伝わってほしい、と意識して描けたならそれでいい。

最後に、大前提として、どんなテイスト・ポリシーでもグラレコがある場所って、なかった時よりも豊かだと思います。描くだけでもええんやで。
GCBの小針さんがグラレコのことを「私はこう受け取ったけどあなたはどう?」と表現しています。そういうことだと思う。

というわけで、とりあえず今くらいの文化の萌芽期は、
どんなスタイル、どんなまとめ方でも描いてみせたらいいんじゃないでしょうか。いろんな人が描いて、自分のスタイルを可視化したら面白いなと思います。

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