カニorキス


いきなり網戸の隙間から春の匂いが入ってきて、「普通はカーテンの隙間から入ってくるのに、でも普通ってなに?」と思ったが何も言わずにその匂いを放っている春の匂いの根源を探してみようという気持ちになった。

とりあえず春っぽい方向へ向かってズンズン ズン ズンズン ズンズン ズン ズン ズン ズンズンズンズン ズンズン ズズン ズン ズンズンズンズン ズン ズンズン ズンズンズン ズン ズンズン ズンズンズンズンズンズンズンズンズンズン ズン ズンズンズンズンズンズンズン ズン ズン ズンズンズン ズン ズンズン ズン ズン ズン ズンズンズン ズンズン ズンズン ズン ズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズン ズン ズンズン ズン ズン ズンズンズンズン ズンズン ズン と進んでいくと


分かれ道があって片方にはカニが、もう片方にはキスが落ちていた。

僕がどちらの道に進もうか立ち止まって考えていると、こちらの方からプロの猫を連れたアマチュアのCAが歩いてきた。「普通はあちらの方から歩いてくるのに、でも普通ってなに?」と思ったが僕は何も言わないことにした。

プロの猫を連れたアマチュアのCAは僕に向かって「カニorキス」と言って睨みをきかした。「普通は微笑むところなのに、でも普通ってなに?」と思ったが何も言わないことにした。

僕はしばらく迷って、結局カニのほうに進みにカニにキスをした。カニはまだ死んでいて、背中にはありがた迷惑と書かれた封筒が貼られていたので、その封筒をありがたくいただくことにした。

振り返るとプロの猫を連れたアマチュアのCAはまだ同じ場所にいて何かを叫んでいたが「アテンションプリ、いやちゃうわちゃうわ!!」の部分しか聞き取れなかった。

プロの猫は出会ってからずっと「いやそういうんじゃないんで、」と鳴いていた。


また春の匂いっぽい方向へ向かってズンズン ズン ズンズン ズンズン ズン ズン ズン ズンズンズンズン ズンズン ズズン ズン ズンズンズンズン ズン ズンズン ズンズンズン ズン ズンズン ズンズンズンズンズンズンズンズンズンズン ズン ズンズンズンズンズンズンズン ズン ズン ズンズンズン ズン ズンズン ズン ズン ズン ズンズンズン ズンズン ズンズン ズン ズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズンズン ズン ズンズン ズン ズン ズンズンズンズン ズンズン ズン と進んでいく。

道中、俺の子供産め屋のキャッチがしつこく話しかけてきたが、なんとなく触れない方が良さそうなので無視をして歩き続けた。


ある川に行き着いて、休憩がてら橋の上から川の流れを見ていると、髭の長いタトゥーだらけの男が「あたしンチの中やったら誰推し?おれユズヒコ」と聞いてきたので「普通は、しみちゃんやろ」と答えると「普通ってなに?」と言いたそうな顔をしてモジモジしていた。

そのタトゥーだらけの男のタトゥーをよくよく見ると、『チューリップ』『卒業式』『桜餅』『別れ』『花見』『夏帆の写真集』など春っぽい言葉ばかりが書かれていた。

僕はその時、この男が春の匂いの根源であることを確信した。僕は男を射殺したあと、口をこじ開けて左足から順番に入っていった。

男の身体に完全に入ると、そこは夜の学校のプールだった。僕はまだ水の溜まっていないプールの真ん中に立っていて、あたりを見渡すとプールを取り囲むように桜が咲き花見が行われていた。騒がしい光とそこに集う人達の喧騒。あるものは酔っ払い、そして歌い、相撲を取り、ときに喧嘩をしながらも、みんな楽しそうにしていた。僕はなぜかとても居心地が悪くなってきた。それは単に僕がその集いに馴染めないからではなく、その人たちが半透明だったからだ。そしてかつてのブラウン管TVのように時より全ての景色が乱れ、半透明の人間を通して奥の景色が見えた。


僕がプールサイドに上がりしばらくその景色を眺めていると、ふらついた酔っ払いが僕の身体をすり抜けて転倒した。そして僕はここに居てはいけないんだということに気がついた。


急いで男の口から這い出した僕は、手に何かを握りしめていることに気づいた。それはカニの背中についていたありがた迷惑と書かれた封筒だった。中身を開けるとそこには


「普通の定義は様々であるし、普通であろうとすることも、普通じゃないことを望むことも、ある意味では普通であり普通ではない。普通というのは時代によって変わるものであるし、ましてやそこに個人間の問題や場所などいろんな要素が加わってくる。変わり続ける普通は半透明であり、実態があるようでない。それはもはや一つのものとして定義することができない。自分で判断できない部分は法やマナーと言った言葉に任せたらいい。だからそれ以外はおまえが決めたらいいし、おまえが決めなくてもいい。   カニより」


と書かれていた。


僕はありがた迷惑やなぁと思いながら、その封筒を細かくちぎり橋の上から川に向かって投げた。

ちぎられた封筒は普通よりもゆっくりと空中を舞い続け、なかなか川に着水しなかった。そのことは僕を少しだけ暖かい気持ちにさせた。

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