『オーダー・メイド』order-07: 指図

 季節は流れて秋。

 レデイアはいつでも動ける備えをするだけで、実働の要請が来ないまま、表向きの活動が続いていた。仕事ぶりは丁寧かつ早く、評判をあげている。こうして評判を上げるほど、重要な案件が舞い込みやすくなる。決して手を抜いてはいけない。所属する全員の共通認識だが、レデイアの場合は行きすぎる節がある。リグが泊まり込みの仕事を受けてからはワーカホリックぶりがより顕著になった。

 ひと仕事を終えて事務所に戻った。局長のテル・リブルに経費と情報を伝えて、基本給の交渉をする。向き合う相手の苛烈さは日毎に増していき、平時に要求される備えも相応に膨れ上がる。テルはこの頃のレデイアを見て、休養を指示した。以前はリグのおかげで温泉に連れて行ったり、観光地で客として歩いたりしていた。それがなくなった影響で同程度の内容に負担を感じていると指摘する。

「以上が指示だが、ルルくん一人でできるとは思っていない。そこでひとつ、依頼を回そう。ある男の家で、本人がいるかのように振る舞ってほしい」
「男性のふりを? 姿に綻びが出ますが」
「そこは問題ない。家具に在宅と判断させるのみで、電力や水道の使用量と、いくつかの生活音があれば家主がいることになる。そして、習慣を含む情報はこれだ」

 テルは「機密カテゴリ丙」と書かれた書類を渡した。この事務所の外への持ち出しは許されず、処分してもいけない。厚さは表紙を含めて十枚程度の、情報としては薄すぎる。

「期日は」
「四日間だ。出るのは三日後で、リティスくんが戻るより先だな」

 レデイアは頭を下げて部屋を出た。自室同然にしている控室でソファに体を預けて資料を読みこむ。家主は二十代の男で、名はセクレト・アルジェーン。職業はサラリーマンで、休日の趣味はサイクリングと書かれている。情報としてはやけに曖昧で、個人名を書き換えれば別の人物をいくらでも当てはめられる。同居人はいないようだが、家は新築の戸建てで、部屋が多い。この地での結婚と子作りを想定している。そうなると、婚約者や恋人がいるのだろう。

 そのセクレトが四日も家を空けた上で、家にいるように装う。断片的な情報から本当の目的を推測する。

 所長のテルが采配を担っている。この内容でレデイアに振られた以上、痴情のもつれではない。ただし、レデイアが家を使ったために問題が起こる懸念は大いにある。資料には親密な女性として複数の名前と短い情報があり、共通して聡明を示す言葉が並び、直ちに弁解が不可能にはならなそうだ。

 出発の日までは生活の試運転をしておく。事務所の休憩室を私物化し、ガスコンロで食材の一品を用意したり、夜の八時に浴槽で体を休める。給湯器の違いや入浴剤はタブレット端末に差異を入力して代替した。レデイアに求められる行動を把握した。習慣の上書きには時間がかかるが、今回は予想よりも負担が小さく済んだ。心なしかベッドの寝心地がよくなった気がする。

 出発の時刻だ。今回は単独活動かつ車を停める場所がない。公共の交通機関を使うのは久しぶりだ。服装は普段と変わらず濃紺のメイド服だが、エプロンを外した今はワンピースとして埋没する。荷物はすべてバックパックに詰められて、現地に着いてから各装備を身につける手筈だ。一時的とはいえ丸腰になる機会も久しく忘れていた。

 目的の駅に着いた。駅近くの料理店がちょうど札を準備中に変えていく。まだ日が高いうちから肌寒い季節になった。これから四日間は缶詰なのでオヤツを買うなら今のうちだ。ちょうどこの近くには評判がよいケーキ店があるが、お目当てのチーズケーキがちょうどレデイアの目の前で売り切れてしまった。母娘らしき後ろ姿を見ては仕方なしと思いながらも、珍しく無念が顔に出ている。パティシエの親父は見かねてタピオカドリンクを渡した。余った材料で作ったもので、売り物にはならないが捨てるのも惜しい。合わせてショウケースを指し、一個百円でいいと言う。タピオカはとっかかりで本心はこっちだ。

「ウチとしてはな、売り物がスッカスカの状態で店を開ける方が損ってもんだ。そんでその、顔もさっきより似合ってるぜ」

 レデイアは経費になるプリペイドカードで支払いを済ませてケーキの箱を受け取った。今日と明日のオヤツを得て、密かに喜んで目的の家へ向かった。

 インターホンを押す。家主のセクレトと顔を合わせて、詳しい家の使い方を確認し、その日の夕方にセクレトは家を空ける。隣の家から離れていて、車庫との通路が家の中にあり、複数の車を取っ替え引っ替えしている。外から見れば招いた女性と共に車でどこかへ行ったように見える。照明の管理は普段から決まった時刻で自動的に操作される。様々な方法で、セクレトは自宅にいるように見せかけようとしている。


 お互いに黙ったままで玄関に入り、扉を閉じてから話を始めた。

「よく来てくださいました。僕がセクレト・アルジェーンです。今回はよろしくお願いします」
「レデイア・ルルです。確認ですが、来客には毎回この対応を?」
「ええ、大抵は。仲良くしている友達は違いますが、レデイアさんには居留守をお願いしますよ」

 レデイアは大きな秘密があると確信している。しかも内容を誰にも見せられない。冷蔵庫の中身は自由に食べてよいと言うが、この様子では何が仕込まれていてもおかしくない。幸いなのは、家の中に誰かが入ったら必ず想定外である事実だ。合鍵を誰も持たず、敷地の一部を誰かに貸してもいない。近道にも使えず目立つ置物もない。

 家の中をひと通り確認したら、セクレトが出発する。車庫に並ぶ車のうち手前から二番目に乗る。高級車で、車体が銃撃を受けても耐えられる強度と、その重量で走れるエンジンを搭載している。他の車には軽装もある。目的に合わせて使い分けている。

 無線操作のシャッターが閉まり、車の音が離れていく。広い家にレデイア一人だけだ。まずは隠しカメラと盗聴器を探す。有線での通信設備が無いのは確認済みで、、怪しい電波が無い。とりあえずリアルタイムでの監視は無いものと想定した。記録型ならば後で探せばよい。

 念のため、冷蔵庫の開閉だけはしておいた。資料にあった時間に合わせて、中身に触れずに観察する。缶ビールが多い。今日のためかそこそこ以上に日持ちする食材が揃っている。鶏卵が二個、ソーセージが一袋、など、食べずに期日が来ても賞味期限内に食べ切れる。

 レデイアはひと休みとして、買ってきたケーキのひとつに舌鼓を打つ。握り拳サイズのスポンジケーキを埋め尽くすほどのチョコレートクリームが特徴で、中にはフルーツが埋め込まれている。何が入っているか食べるまでのお楽しみで、今回はりんごが入っていた。皿の上から口に含むと一気に小さくなるらしく、あっという間に平らげてしまった。もう一つを食べるのは明日の楽しみにして、持ち込んだ夕食を食べる。成形された塊を齧り、水で流し込む。感覚を普段通りに戻していく。

 食後は風呂だ。資料にもそう書かれている。レデイアの服には防水加工があるので、荷物を包み、浴室内に置いた。もちろん下は使い捨てのマットで保護している。手早く体を洗い、浴槽で体を温めながら思案の時間とした。

 セクレトは何者か。ここまでに得た情報から、一番に思い当たるのは同業者だ。諜報工作員を擁する組織は複数あり、それぞれ独立して活動している。お互いにお互いの表の顔を知らない。今回の狙いは、自分を知られずして相手を知ることだ。

 自分が何かを探ったならば、相手に「自分は何かを探った」情報を渡す。一般的な家政婦の派遣として通じる内容での行動が求められる。電波の確認も荷物の扱いも、一般的の範疇だ。ここまでも明日からも。

 体を拭いて髪を乾かす。寝る時間までは「スマホをいじって暇つぶしをする」を実行する。仕事用のスマホにも漫画とゲームが用意されている。漫画のアカウントをメイドの数人ごとに共有し、読書履歴を暗号として状況を伝える。解読を防ぐために日付ごとに暗号が変化する。暗算の時間を確保するためにゲームの待ち時間を利用している。

 夜の時間は眠りに使う。静かな部屋に時計の音だけが響く。壁掛け時計だが、秒針の音とは別に、分針の動きも音で確認できる。よく似ていて微かに違う音が混ざった気がした。トイレに立ったついでで確認すると、五分ごとに違う音を出している。寝付けないつもりでさらにしばらく観察する。三十分と六十分でもそれぞれ音がごく僅かにだけ違う。音だけで何時何分であるか把握できる。

 もう決まりだ。仮定は確信に変わった。時計の音が偶然で便利になるはずがない。セクレトにはこの時計を用意できる技術か伝手がある。諜報工作員だ。では今回、なぜレデイアを呼んだのか。レデイアから情報を得るつもりか、レデイアを消したいか。どちらも確実な手段とは言い難い。探られる時計を残しているのも不自然だ。

 逆に、セクレトが始末される側ならば? すでに何者かに狙われていて、レデイアがこうして家を使う。その間に強引に殴り込んできたところを、レデイアに迎撃させる。もしくは、レデイアが殺されて犯人を警察に追わせる。どう転んでもセクレトにとって成功になる筋書きだ。ご丁寧にも「合鍵を誰も持っていない」の情報を提示した。誰かが来たら必ず侵入者だと判断させられた。

 幸いにも戸締りは可能であり、寝袋を家の中央で使う。どこから侵入しようと、音を立てればレデイアは気づく。重大な懸念はもうない。緊急脱出経路を確保し、普段通りに周囲の音を聴く。ただそれだけだ。レデイアは眠った。夜の音には意識を向けない。それが起きてから思い出す準備になる。

 朝になり、レデイアは目を閉じたままで意識を覚醒させた。時計の音を待ち、七時三十分の音を聴くまではごく短かった。他の音はない。呼吸で空気が動く音も、脈拍が床から伝う音もない。どちらも隠せる音だが、少なくとも無頓着な侵入者はいない。

 手鏡で身嗜みを整える。髪型は第一印象を左右する。誰とも会わない予定であっても、想定外の事態は起こるものだ。この手鏡は家の中を再確認する際にも活用する。廊下や扉の陰に身を隠したまま手鏡だけを出す。安全確認、クリアリングだ。何事もなく動けると確認が済んだら朝食にする。その後は掃除を名目に緊急脱出経路を確認する。時間はたっぷりあるが、やるべき仕事もたっぷりある。

 急に追加された仕事が、無いはずの合鍵で訪れた客人の応対だ。

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