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フラットアースムーヴメントの175周年に寄せて

いま僕らがインターネットで目にしているフラットアース論はいわば球体地動説が一般に定着した後の文脈こそのものであるとしたなら、フラットアースは今年2024年で175周年になる。これは起源をサミュエル・ロウボサムが平面説を説いた1849年の著書『ゼテティック・アストロノミー』に求めたものだ。この本はヴァージョンアップされてゆき、最終的には3ヴァージョンめまで書かれることになるが、まだ16ページほどの"パンフレット"だった最初のヴァージョンのリリースが1849年である。もちろんこれ以前にも平面説に関する出版物や、あるいは出版物にならなくとも議論そのものはあったとはじゅうぶんに考えられるが、インターネット以後のムーヴメントの先駆者エリック・デュベイもまたロウボサムからの引用をしばしば行っていることもあり、現在との繋がりを確認できる最古の"目印"としては、この『ゼテティック・アストロノミー』を挙げてよいと思う。

とはいえ、175年かかってもまだ理解が広まっていないことをロウボサムは大変に憤るであろう。それは想像に難くない。こんなに簡単な話なのだ。なんてこった。僕にだってその気持ちはわかる。2020年当初はこんなの一瞬で理解されるだろうと思ったものだ。あーあ、まったく。しかしながら2014年にエリック・デュベイが『フラットアース・コンスピラシー』を出版し、続いてインターネットという便利な機械を使って平面説を説き始めたことはロウボサムにとって朗報であったと思う。ここでフラットアースは一気に広まりを見せた。いま僕らが目にしているフラットアースムーヴメントもまた直接的にはその流れの中にあって、その点ではこれは10周年でもある。いずれにせよめでたい。誰かが伝えようとしたからこそ、今ここにこの大事な知見がある。僕ひとりではこれに気付くことは絶対になかったはずだ。そこまで優れていない。僕はそのことを忘れないでいたい。

いったいいつになれば平面説が充分に行き届くであろう?

さて、球体地動説の起源はもちろんコペルニクスの著書『天体の回転について』の1543年だ。そしてその証明の完了をフーコーの振り子の第一回目の公開実験が行われた1851年に求めるとすれば、308年かかったことになる。もしも「"コペルニクス的転回"には308年かかる」という法則があったとすれば、平面説が証明されるのはサミュエル・ロウボサムが『ゼテティック・アストロノミー』を書いた308年後の西暦2157年になる。あと133年だ。まったく気が遠くなる。では球体地動説はその308年のあいだ何をやっていたか?「科学」というものの考え方や思想や構造を社会に根付かせて、充分に浸透したところで、ついに振り子に手をかけたのだとすれば、平面説は「目で見ることについて」をまず浸透させねばならないのかもしれない。え、こんな簡単な話に308年も?まったく気が遠くなる。そして175年経ってもその糸口がうまくつかめていない。おそらくいないだろう。困った話だ。バカばっかりなんだ。こんちくしょう。でもそれでもムーヴメントは今日も動いている。伝えようとして動いている。どくどくと脈を打つ音が聴こえている。のしのしと土を踏む音が聴こえている。ざわざわと風を切る音が聴こえている。きらきらと星が光っている。ロウボサムさん、聴こえてますか?

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