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「フラットアース」は「地球平面説」とは違うんですか?

一緒です。しかし少なくとも現段階では、論者・支持者"内"では「フラットアース」という言い方のほうが明らかにメジャーではある。それでもただ「平面説」とだけ呼ぶことはわりとよくある。これはなぜかと言うと、そもそも「地球」という日本語を使用するのを嫌うという事情はどうしたってあるのでそういうことになるのである。なんといっても「球」って言っちゃってるからね、仕方がない。だけれども2021年の秋ごろから「フラットアース」という用語あるいはキーワードは、各種のいわばビジネスマインデッドで、ロクに自然科学あるいは自然哲学もできないようなポンコツ陰謀論者たちに目をつけられたようなところがあって、「フラットアース」で検索すると、まあ変なものも出てくるようになってしまった。そういうわけでここ最近は僕はTwitterでは「地球平面説」という呼称の方を優先的に使ってみてはいる。

そもそも日本語での用語としては「地球平面説」の方がいちおう歴史的にいくぶんか古いといえば古いのではないか。そのぶんまだ聞き馴染んではいるし、パッと見ただけで意味がわかるという良さもある。ちなみに「フラットアース」のことを、「人類は皆フラットで平等」という主張に受け取った人も見たが、まあこれは笑い話ではある。僕は「フラットアース」という呼称が良くないと言いたいわけではもちろん無い。ポンコツ陰謀論者たちがそれを使うのを止めたいと願っているわけでもない。あれはあれで人目を引くので、フラットアースを広く届けようとするときに使い勝手がいいと言えばいいのだ。どのみち好きにさせておくしかない。ただ「地球平面説」と「フラットアース」は同じですと言いたいだけである。

しかし問題もあるにはある。まず「地球平面説」のほうがまだ人口に膾炙されているだけあって、"宇宙空間に浮かぶラピュタ的平面地球"がわりと即座にイメージされてしまうことである。なんといってもこのラピュタ型平面説のビジュアルはドラえもんの漫画でも扱われたほどである。でもこればっかりはどうしようもない。どのみち「フラットアース」という単語を聞き、それはつまり地球が平面であるという説だと知れば、どのみちラピュタがイメージされることにもなるだろうから。でも、いったん立ち止まりが起こる、という点では新語である「フラットアース」に軍配が上がるかもしれない。あと他の問題としては、前述した通り、フラットアーサーの中には「地球」という単語を極端に嫌う人もいて、その人たちからは嫌われてしまうかもしれないこととか、「地"球"って言ってる時点で球体じゃんバーカ」とか言われてしまうことなどがあるが、前者はまあしょうがないし、後者はどうしようもない。僕のできることは限られている。

ともあれ結局のところ、ポンコツ陰謀論者も生息しておらず、ここにきて逆説的にまだ現段階的な手垢が比較的ついていないエリアの用語が「地球平面説」であって、より広く、そして見込みのある人にもう一度新しく届く可能性があるのではないかと今のところ考えてはいる。しかしそれでも「フラットアース」のほうが少なくともウェブ上では多少の手垢がつく程度には知られつつあることは嬉しい。これは僕が平面説を知った2020年当初には全く予期できなかったことである。そう願っていたものの、全く予期できなかったことである。しかしできれば次は月面着陸陰謀説と同じぐらい知られないといけないと思ってはいる。使う呼称がなんであれ、それは絶対に知られないといけないのだ。空の向こうには宇宙空間が無くて地面も丸くなんか一切ない、という話があることそれ自体は、絶対に知られていないといけない。その人がその時にわかるかわからないかは別としても(ある場合には死ぬほどムズいからねフラットアース)、それでも話それ自体は知られていなくてはいけない。これほど致命的な情報はパスされ続けていなくてはいけない。ちょうど机の下でこっそりと回しあったメモ書きみたいに。ほれ、ひょい。

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