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平面で船は水平線に沈むか

この地面がカーブしていることの証明のひとつとして最も有名なものはおそらく「遠ざかる船は下から水平線に沈む」だろう。これはアリストテレスが最初に言い出して、その1800年後にコペルニクスもフォローしたということになっているが、さらにその500年後である現在の僕らの一般社会生活の日常会話の中でもときどき「地球が丸いこと」を言う際の"オカズ"として気楽に語られて花として添えられたりするのがこの「水平線に沈む船」だ。それぐらいにポピュラーだ。これ以外にアリストテレスの提唱したものでは他に「星の高度が南北で違うこと」と「月食の影は常に円」がある(これを僕は"地球球体説3大エビデンス"と呼んでいる)が、それらを差し置いてこの「遠ざかる船は下から水平線に沈む」は、ぶっちぎりに有名である。

なぜこれほど有名なのかと言うと、直感的にとてもわかりやすいからだとは思う。この地面がカーブしている。つまり海面もカーブしている。海面を進む船はそのカーブの上をゆく。水平線が見えている。水平線はそのカーブの頂点であり輪郭である。遠ざかる船はそのカーブを越える。そして向こう側へ落ちてゆく方向のカーブの上を進んでゆく。つまり下から水平線に沈む。よって地球は球体ですと!素晴らしい、とてもわかりやすい。ここでフラットアース論内では、このカーブを越えて向こう側へゆくときの船の"傾き"が観察できないがために間違いであるとする見解もある。一理ある。しかし球体説内では、その傾きはあまりにも小さいがためにそれを検知できないとする。これも一理ある。僕はこの反論を一旦良しとしている。それぐらいに球体地球は大きく、船は小さいからだ。

ではなぜ平面で「遠ざかる船は下から水平線に沈む」のか。

まず海の見え方から考える。海面は地方向に広がる面として存在し、目では物体が遠近法で映るが故に、高度に関わらず常にアイレベルに水平線が出来る。もちろん高度が上がれば上がるほど遠くが見え、観測者の鉛直真下から水平線までの距離は長くなるが、高度が一定ならばその距離も一定となる。このとき観測者のアイレベルより地方向下側は海面で埋め尽くされていることになる。

次に遠ざかる船の見え方を考える。水平線になっている地点まではその海面上に船が見え、遠ざかれば遠ざかるほど縮小されてゆく。そして水平線になっている地点を船が越え、さらに遠ざかってゆく時も船は縮小してゆく。水平線までの距離は一定なので、そこから先の海面は見えなくなる。しかしこのとき観測者の地方向下側は海面で埋め尽くされているが、天方向上側にはもちろん海面は無く、いわば空あるいは空中であり、視界を遮るような物体が無いためにまだ先が見通せる。これにより水平線より天方向上側だけがその先を見通せる状態になっている。そのため水平線の位置よりも向こうの海面で遠ざかり縮小してゆく船は、その天方向上側に映るぶんだけがそのまま目に映ることになる。そしてもちろん船は海面上を進んでいるので海面にへばりつく形で縮小してゆくので、観測者には水平線に沈んでいくように見えているのだ。

そしてもしもこのとき、海がどこまでも完全な透明だったり、あるいは海が干上がってしまって完全に海水がなく、しかし船がかつて海水がまだあったときの航路の空中をぷかぷかと進むとすれば、船が下部から見えなくなってゆくということは起こらない。その場合はただただ観測者の分解能を越えるまで全体が見え続けているはずだ。つまり「遠ざかる船は下から水平線に沈む」という現象は、海面という物体が非透明でその先の視界を遮ることに由来する。

だがこれはもちろんあくまで理論上の理想状態での見え方の説明であって、実際のナマの実地では大気や海水の状態も関わってくるし、水平線が生じるアイレベルのラインでは上下がわずかに反転する現象が見られることなどもあり、いつもいつも現実はこの通りではないが、根本はこのようで良いと思う。

ちなみにこの「遠ざかる物体が沈んでゆく現象」はべつに海でなくとも見ることはできるはずだ。たとえば映画やドラマなどでは、空港の長い滑走路で地面からニョキニョキと生えるようにこちらに向かってくる飛行機のシーンなんかが見られたと思うし(これは遠ざかる船の逆バージョンである)、向こうに遠ざかって歩いてゆく人が地面に埋まって消えてゆく動画も、これはフラットアース論の説明のために撮られたものだが、YouTube上にはあったと思う。ともあれこれらはすべて、空間内に非透明の面(つまり滑走路や地面、そして海面)があり、その面に接した状態で物体が観測者から前後方向に移動することによって起こる現象である。

ともあれこれは地球球体説における説明よりも遥かに複雑で直感的ではない。とはいえ世の人はしばしば「地球は丸いから船は下から見えなくなるんだよね〜、えーっとそれでさ」などと言いながらも、実際にナマで実地でそんなシーンを見たことのある人はとても少ないはずだ。何故かというと、船が水平線を越えて下から見えなくなってゆくときには、船はもう相当に遠く、肉眼で明らかにそれを確認できる機会はけっこう稀だからだ。なので、性能の良いカメラで撮影したもの見るのがほとんどか、あるいはその話を真に受けて丸い地球のカーブを向こう側へ下ってゆく船の"イメージ"だけが頭の中に存在している、という場合も多くあろう。しかしたとえばもっと大きい建造物や、あるいは海向かいの陸地ならば、それが水平線に沈んでいるところは肉眼でも容易に確認することができる。いずれにせよ理屈は同じだ。

さて平面説におけるこの「水平線への沈みこみ」の説明は、"平面であることの証明"としての体裁になってはいない。あくまで説明に過ぎないと思う。しかしながら球体説においてのその説明は、そのまま"球体であることの証明"としての体裁になっている。この違いはなかなかおもしろいと思う。しかし高性能なズーム機能を使えば、いったん水平線に沈んだはずの船がまた見えてくるという現象があって、そこでようやく初めて球体説の間違いの指摘、あるいは平面説の証明としての体裁を得ることができるのだが、先ほども言ったようにこのトピックは地球球体説にとっては証明そのものなので、その支持者がこれを受容してゆくには、あまりにも烈しい葛藤と困難がここにおいてついに極まるに違いない。あるいは球体説ではそれは"証明"の体裁になっているので、平面説においてもそのようでなくてはならないと決め込んで、内容というよりフォーマットの不備が理由でさっさと棄却するかもしれない。彼らの不自由な脳だけがカーブを向こう側へ滑り落ちてゆく。とても自由に。あるいは、とても奔放に。
そして平面説の証明とは、現実の地面にカーブを観測できないことである。

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