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もしも球体派に遭遇したなら

Twitter等でフラットアース(地球平面説)について肯定的な発信をすると、球体派と呼ばれる人たちがリプをしてくるときがあります。そんなふうにもしも球体派に遭遇したなら、ブロックするかミュートすることをお勧めします。球体派はものを考える技術や技法にうまく親しまず、習熟できず、また向上心も無いというだけでなく、そもそもコミュニケーション能力が欠落してすっぽ抜けていることでも知られています。顔も知らない赤の他人に対して、最初から平気で汚い言葉遣いをしたりします。ほとんどの人はその時点で気分が悪くなり、ただでさえ色々な些事で面倒くさい平素の日常生活が余分にわずらわしいものになります。仮にたとえ言葉遣いが丁寧であっても、その奥に汚らしい願望があることにすぐに気づくはずですから、わざわざすすんでそんなものに触れる必要はありません。そして彼らはいったん相手をすれば延々と付きまとってくる習性がありますから、すぐにブロックかミュートをしましょう。そしてフラットアースの発信を続けてください。そのほうがこの世界にとって好ましい結果をもたらすことは火を見るよりも明らかなことです。

しかしながら、なんらかの理由で相手をしたくなったとき、なんらかの事情で相手をしなくてはならないとき、なんらかの好奇心で相手をせずにはいられなくなってしまったときにはその限りではありません。ぜひ相手をするようにしてください。球体派から学べることは大変に多く、また豊かです。球体派から学べることは球体派からしか学べません。そのチャンスが来たと思って、ここぞとばかりに可愛がってあげてください。それでも可愛がり方にはいくつかの心得や具体的な技術があります。猫には猫の、馬には馬の可愛がり方があるのと同じです。僕はこれまでTwitterで3年半もの間、どのフラットアーサーよりも球体派を数多く、そして深く可愛がってきた自負があります。海外のフラットアース事情に詳しい”青ばら”さんという方は「球体派とあんなことやってるのは海外でも他に見たことがない」とまで言います。というわけですので今回は、僕が球体派とあんなことやそんなことをするときに用いている個人的な心得や技法や思想について簡単に説明してみたいと思います。球体派の相手をするときの参考になれば幸いです。

まず第一に、球体派の話をよく聞くことを心がけて下さい。どういう気持ちで言っているかではなく、内容として何を言っているかに着目して下さい。当然のことながらだいたいどこかに、あるいはその全てに間違いがあるので、間違いを見つけたら今度はそれについて質問してあげてください。もし相手の質問に対してこちらも質問で返すのが憚れる場合には、たとえ回答として不完全だと感じたとしても、いったんは最もシンプルな形でそれに答えておいて、そこにさらに質問を付け加えるのが良いかもしれません。基本的にはその繰り返しです。質問に答え、質問をするのです。ここで重要なことは「人はどのようにして間違うのか?」という知見が、実地の生きた手触りでもって体内に蓄積されてゆくことです。この知見ほど得難いものはありません。ですのでこの段階では、できるだけやりとりが続くことを目論みます。なので発見した間違いに対して、間違いだと指摘してしまってはいけません。そんなことをしたら球体派は発狂して爆発してしまいます。暴言が撒き散らかされるだけです。ですので、あくまでそれに対してなんらかの質問をするのです。「こう言っておられますがそれはこういうことですか?」とか「仰るようであるならばつまりこれはこうですか?」などと、うまくやりとりが続くような工夫を凝らしましょう。それが続けば続くほど学びは深くなります。

もちろんそんなやりとりがある程度続けば、最終的には球体派は自然と発狂して爆発することになるのですが、やめどきがだいたいそのあたりになります。そのときにはもう何も返信しなくて大丈夫です。ここまで頭をひっくり返され続けた球体派は地獄の愛撫が終わったとホッとしていることでしょう。優しさはコミュニケーションで最も大事なもののひとつです。しかしもちろんさらに続けたければ、うまくそれを見逃してあげることも大事です。爆発に気づかないフリをしてさらに続けましょう。しかしそのような段階になってくると、自然と論筋は相当に入り組んでしまっていて、なかなか元のところに戻らないこともよくありますが、気にしてはいけません。時間と手間がかかりますが、ひとつひとつ辿ってきたのであるならば必ず戻れますし、戻る必要も無いといえば無いのです。

つまり肝心なことは、球体派が進もうとするところへどんどんついてゆくことなのです。できるだけ球体派の自由に進ませて、こちらはただついていくのです。そしてそこに何があるかを、そしてどのように景色が流れるかを、しっかりと見ることなのです。その景色の流れは球体派にしか見ることのできないものです。それこそを見るのです。経験するのです。それさえできれば、コミュニケーションの中でどのような技術や技法がチョイスされるべきであるかは個々人によって、またそれぞれの球体派の個体差によっても違ってくるはずです。それでいくと「あれ?この奥の景色はどんなふうになっているんだろう?」と興味が湧いた箇所について優先的に質問をするのが良いと言えるかもしれませんね。

しかしいずれどこかの日常生活の中で「あれ?この景色の感じは前にどこかで経験したような気がする」という瞬間が来ます。それは球体派の背中に乗って見た、あの景色です。そしてそのときに知ることができるのです。もしかしてこれは何かがどこかで決定的に、根本的に、絶望的に、球体派的に間違えてしまっているのではないか?と。この社会で暮らすうえで、これほど大事なセンスがあるでしょうか。もちろん僕自身にそのセンスがしっかりと身についているとは言えませんが、それでもそれに助けられたことはあると思います。そしてこれからも助けられると思います。僕も途上です。ですので、あなたがもしも球体派に遭遇したなら、ええ、最初に申し上げた通りです。ブロックかミュートをお勧めします。圧倒的に。

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