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球体派にとってフラットアーサーはそのゾンビである

フラットアーサーとして僕がメインで活動しているTwitterには「球体派」と呼ばれる人達がいる。彼らはその言動スタイルから言って、いわゆる"アンチ"であり、ときに「球体戦隊」とか「球体戦士」とか呼ばれたりもする。もちろん一般社会では地球は丸いと思っている人が圧倒的多数なので、その人たちも語義上は全員が球体派であるとは言えるのだが、特にSNSにおいて積極的に"アンチ"的言動を為す人達のことを「球体派」とここでも呼ぶ。そしてまた彼ら自身も、自分がその「球体派」のひとりでありフラットアース論のアンチであると認識している場合も少なくはない。そしてそんな球体派の人達にとってフラットアーサーとは、いわば彼/彼女自身のゾンビ的存在なのではないのかと僕は彼らとコミュニケーションを図りながら考えてきた。今でもそう考えている。もちろん僕は彼らではないので空想も含まれるが、今回はその理路について(できるだけ失礼のないように)少し語りたい。

まず彼ら球体派はおそらく一般教育課程における科学科目について平均よりも得意であるはずだ。月刊ニュートンを毎号買って読んだり、宇宙関連のニュースに心躍らせるだけのただの科学愛好家とは少し違っている。彼らはその科学知識を、"趣味"としてではなく、一般教育課程の中で、おそらく"受験"という制度の中において、ほとんど生死を賭けるような迫力で得てきたのではないか。その知識をモノにできるかどうか、あるいはそれによって"得点"できるかどうかは、彼らの思春期を通じ、将来をその賭け金として、存在そのものが問われ続けていたのではないかと思う。彼らはその闘いの中で血を、あるいはもしかすると本当の血さえ、流してきた。そのようにして彼らはある場合には勝ち、ある場合には負けてきた。

受験とは期間限定の競争である。一生かかってじっくりと追い詰めていこうとするような知的作業では全く無い。その競争の中で彼らはもちろん勝たなければならなかった。僕も平面説を理解した後でようやくわかったことだが、科学は理解することが大変に困難である。というか間違っているので、現実と一切の交錯をしないがために"体得"という形での理解は出来ないようになっている。が、受験においてはそれら科学科目が必須である彼らは、それでも得点をしなくてはならない。それを理解できないが、それによって得点しなくてはならないのだ。得点しなくてはならないのに理解ができない思春期真っ盛りの彼ら。ひとりの人間が今まさに花咲き、一心不乱に成熟に向かって、再生産可能な肉体への変容を目指して爆発し続け蠢く彼らの深い身体存在は、科学科目の要求する理解に対して一切の反応を示していなかった。理解できないということを身体が訴えてくる。そのことに彼らは多かれ少なかれ絶望したはずである。そこで彼らは殺すことにしたのだ。殺す以外になかった。得点しなくてはならないのだ。その声は止まなかったからだ。止むわけがないのだ。教えられた科学は間違っているからだ。得点しなくてはならないのだ!「理解できない」と伝えてくるそれを、その日彼らは殺した。

そしてフラットアーサーはその似姿である。彼らがあの日殺したはずのものは生き延びていて、まだ声を上げていたのだ。「理解できない!」と声が聞こえている。ゾンビである。完全にゾンビだ。その声は耳の外側からやってきて、内臓で反響する。共振し、共鳴する。彼らはその声の響きを知っている。かつての幼い自分が編んだ声だ。知らないはずがない。身体がそれを記憶している。だが彼らはその振動に耐えきれない。ふたたび耐えきれない。別の理由で、だが同じかたちで、耐えきれない。彼らはそれを無視できない。それは自分自身のゾンビだからだ。かつて殺したはずの自分自身だからだ。たとえパソコンの画面を切り、スマートフォンを閉じても、まだそれはそこにいる。彼らの身体の内側にいる。殺すしかない。もう一度、殺すしかない。そして彼らはなんともめでたく立派なアンチになって粘着してしまうのであった。実にかわいそうである。

しかしそういうことは世によくあるといえばある。過去の自分の何かが蘇ってきて、それに悩まされ苦しめられるということはよくあるのだ。僕にだってある。しかし僕が見る限りでは、彼らがおしなべて普遍的に愚かな点は"1回目と同じやり方で"殺そうとしている点にこそある。殺し方(あるいは生かし方)には多くのバリエーションや豊かな手続きがあるはずだが、そのことに気付けないまま大人になってしまった。おそらくそういう間抜けだけが、いわゆる"アンチ"になるのではないか。と、そのように仮定すると、一見わけわからん彼らの言動も、いくらか辻褄が合うように思えることもあると僕は思う。球体派から学べることは実に多い。そう思って僕は球体派と付き合い、もう3年半が過ぎてしまった。今日も彼らは僕の身体の内側で生きている。とても元気に、生き生きと。

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