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井伏鱒二の「鯉」

あらすじ
「私」は親友から体長一尺ほどの白い鯉をもらう。鯉はアルミニュウムの鍋の中で泳いでいた。この鯉を決して殺したりせず大事に飼うことを親友に誓い、下宿の瓢箪池に放した。その年の冬、「私」は池のない下宿に移ることになった。鯉は親友の愛人宅の泉水の池に預けられた。それから六年後、親友は肺結核で死んでしまう。「私」は鯉を愛人宅の池から釣り上げ、早稲田大学のプールに放す。秋、学生たちがいなくなってひっそりとなったプールに白い鯉を探しにいく。鯉は与えられただけのプールの広さの中で、王者の如く泳ぎ回っていた。亡くなった親友からもらった鯉の誇らしさ。思わず涙する「私」だった。

読後感
「私」と親友の間にあったのが鯉。三者の関係を軸にした物語だ。「私」と鯉の微妙な距離が気になった。大切に思ってはいるが近くはない。ただ、親友が亡くなった後は、その距離を縮めようとする「私」。失ってからわかる親友の存在の重み。冷たい季節になって氷の張ったプールに絵を描く「私」。絵が出来上がると鯉の鼻先に「・・・」何か書きつけたいと思ったがそれを止める。そして、鯉の後ろに多くのフナやメダカを描き添える。鯉以外の魚はいい加減に描いたのだろう。それには鰭や目や口がない。でもその絵にすっかり満足している「私」の優越感。淡々と進むストーリーが一気に熱を帯びた瞬間になる。

構成や技法
鯉の住処の変遷が面白い。鍋、下宿の瓢箪池、親友の愛人宅の泉水、そして早稲田大学のプール。この池を際立たせることの効果が素晴らしい。まずは広さ。おそらく出世魚のような連想をさせてくれる。次に状況説明。下宿の転居や親友の愛人については詳しく説明されないが、ここにミステリーというか読者の想像の余地を残している。間接的な解説。皆まで言うな。短編小説の技法としてとても参考になる。もうひとつ面白かったのが愛人との往復書簡。この小説には愛人は姿をまったく見せていない。ただし、「私」と愛人は鯉をめぐってとても事務的な手紙のやりとりをしている。物語の展開を劇的に変える手法として覚えておきたい。隠れたキャラとして植物が使われているのも興味深い。藻、無花果、枇杷などが鯉の周辺や光景の描写に使われている。魚と植物や果実。まるで印象派の絵をイメージさせる見事さだ。モチーフとなるメインキャラとサブキャラ。コンビネーションの妙も面白い発見だった。

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