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江戸文化に学ぶメタバースの世界観

扇子を箸に見立てて、落語家が蕎麦をたぐる。水戸黄門は越後のちりめん問屋の隠居に身をやつして、日本全国を漫遊する。「見立て」と「やつし」は、江戸時代に絵画、文学、演劇など多方面へ発展し、現代でもまだ日本文化の表現技法として息づいている。浮世絵研究者の新藤茂氏によると、やつしは姿を変えること、見立ては異なるものを連想で結びつけること、そんな定義になるそうだ。

見立ての中でも最も有名なのが、京都・龍安寺の石庭ではないだろうか。金閣寺から続く「きぬかけの路」の中ほどに位置する龍安寺は、細川勝元によって創建された。いちばんの見どころの石庭は、作者や意図、年代も不明だが、禅の思想が表現されていて、簡素で虚飾のない風情が世界中の人のこころを惹きつけてやまない。ミステリアスな庭にはさまざまな解釈がある。白砂を水に石を島に見立てて大海を表すという説、川を渡る虎の親子を描いているという説が一般的だ。手や口を清めるための手水鉢。真ん中の四角の部分を口に見立てて、上下左右の文字と合わせて「「吾(われ)、唯(ただ)足ることを知る」と読めるようになっている。満足することを知っていれば、貧しくても心は豊か。これも禅の教えのひとつ、知足についてだ。見立ては異なるものを連想で結びつけること。見る側のイメージや創造力、感性や感覚にまったくもって委ねられている表現世界。つまり、観客があってこそ成立する芸術なのだ。

やつしの中でも最も有名なのが、オタク文化に端を発したコスプレではないだろうか。古くはなまはげなど、伝統的な風習や儀式などにも多く取り入れられていた。身をやつすとは変化する、変身すると翻訳してもいいだろう。人間には元来、そういう願望があったことがうかがえる。こうした願望の進化がいまのわれわれのファッションをつくり上げたとも言える。近年のハロウィンのブームや観光地での着物や鎧兜の装束などもその典型だ。自分ではない何者かに身をやつすことで自己を超越し、今までとは違う異次元の世界へ没入する。インターネット上の匿名性も、別の何かになることに近い。メタバースはこうした見立てややつしの世界をサイバー空間で可能にする技術だ。今までは制約が多くてできなかった世界観を、誰でもいとも簡単に創造しやすくなる時代。そんな近未来の絵姿も、歴史を振り返れば同様な営みがすでに日本の文化にあったと言えるだろう。

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