問題は議員数ではなく選び方

話は少し戻るのですが、「法治国家とはそういうこと」で、
国会の会議なんて儀式なんだから、各党の代表だけでやればいいって、
そんなことを書いたんですね。

よく言われるのは、国会議員が多すぎると。定数削減しろと。

そういう意見はよくわかります。言いたくなるのはわかります。
でも、本当に減らしていいんでしょうか。

だいたいの「世論」というものは、
感覚的に(感情的に)ものを言っているだけなんですよね。

結論から言えば、国会議員は減らす必要はないし、
むしろ、もっと増やした方がいいのかもしれません。

ただ、もちろん、今のままでいいというわけではなくて、
選挙制度を変えたり、人々の政治に対する意識も変えたり、
そういったことが必要とはなってくるのですが。

今の世の中というのは、多様な社会ですよね。
多様性を認めることがこれからの社会の在り方ですよね。

個人的な感情は置いておいてもらって、
少数者を差別したい気持ちはを持っている人はある程度いるでしょうが、
それが許容される社会ではないのは事実ですよね。

もし差別したいと思っていても、それを出したら負け。
いや、本当は持ってないのが一番いいんだけど。

そしたら、国会議員を減らそうなんて話にはつながらないんですよ。

じゃあ、減らすとして、どのくらい減らすんですか?
半分ですか?3分の1ですか?その数の根拠は?

減らすとして、じゃあ、極端な話として1人にするとしましょうか。
そうしたら、多様性も何もないことはわかりますよね。

選挙がある意味で多数決を取っていることになって、
そこで負けたら、次の選挙まではもう何も言えません。

それが2人になったら、少しは多様性が出てきますよね。

ただ、1人や2人はちょっと極端で、100人はいたとして、
そうすると、それだけいれば、その中に少数者も入るだろうし、
やっぱり今の半分とかそれ以上減らしてもいいじゃないかって。

いや、そうじゃないと思うんですよ。

例えば、ある少数者は全体の1割いるとしますね。
10人の議員が選ばれれば、その中の1人は少数者です。
100人の議員の中には10人の少数者です。

じゃあ、ある会議で、その少数者が自分の意見を訴えます。
10人の中の1人がそれを言うのと、
100人の中の10人がそれを言うのとで、それって同じ影響力ですか?

例えば、相撲協会の理事会で貴乃花だけが意見が違っているのと、
相撲協会全体で貴乃花派が10人いるのとでは、
感じる重みって同じではないと思うんですけど。

たった1人の意見じゃないかって思いません?
10人いると、10人もいるのかーって。

あんまり割合では見ないと思うんですよね。

だって、日本の中(1億人の中)で100万人いるって言われたら、
それって結構な数じゃない、って思うでしょ。

だから、国会議員も多いほうがいいんですよ。

社民党とか共産党とか公明党とか維新の会が議員1人だったら、
誰も意見なんか聞かないでしょ、たぶん。
(今でも聞いてないかもしれないけど)

日本の国会議員は、諸外国に比べれば少ないんです。
人口当たりの議員数は、日本は欧米の半分程度です。

だから、議員を減らすなんてナンセンス。

ただ、今までの話の中で、引っかかるところはありませんでしたか?

例えば、割合ではなく数で考えるんだって言っておきながら、
日本議員が少ないというのを割合で示しているとか。

それから、議員1人しか選ばないなんて極端だって書いたけど、
いやいや、全然極端ではなくて、日本でもアメリカでもやってるよね。

アメリカは大統領を1人しか選びません。
トランプになってしまったからには、4年間我慢しなければいけません。

日本だって、衆議院は小選挙区制という1人しか選ばないやり方です。
だから、人数が多くたって、多様性は実現できないのです。

はじめに、選挙制度を変えるのが前提だって書いたのはそういうこと。

国会議員のありかた、選び方について、
少しは、今までとは違う見方をするようになったでしょうか?

せひ、もう一度改めて考えてみてください。