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小説 庭園で(2003年)

 彼は空想の贋金製作者たちの機械が心の中に揺らめき立ちのぼっていくのを感じた。彩色された観念の動物園が口をついては飛び去っていく。かすかに甘い、花々の香りをとじこめて、さまざまな色彩の音楽が、風に運ばれ流れきていた。風は自分自身を愛していたので、あらゆる生きとし生けるものたちに自分の酷薄さを教えなければ気がすまなかった。

 古い宮殿の崩れた石柱にもたれて、陶器でできた二足歩行の猫たちが、深い翡翠色の両目を光らせて―しゃぼん玉を吹いていた。その酷薄な―繊細で充分によく制御された酷薄な風に口づけをするように、虹色の透明が昇っていった。それは仰ぎ見た上空で幸福な破裂を繰り返していくのだった。彼らは教えられた酷薄さがその美しさをのこしたままで消えていくのを見ていた。

 彼はいくつもの意味のない想像に悩まされていた。たちのぼって行く過程で出口を失った花々がその色彩を保ったままで鋭いくちばしに変わって歌を歌い、その中に閉じ込められた庭園が、青空という海の嵐になぎ払われていくのを彼は見た。いつでもこの庭園ではその毛並みの一本一本に至るまで緻密で微細な大理石で造形された野兎たちが―血と白昼夢と青い薔薇に付着した朝露の混ざった木苺の味を楽しんでいるのだ―そしてその味は奇妙に甘酸っぱかった。遠いところでは旅人たちの戦争が発生していた。その色はすみれ色から光を浴びた鋼色になって燦々と輝いて、これは抽象概念の透明な頁をたぐるものたちの瞳を楽しませるのに充分なようだった。

 そこではまた無数の苦悩と導き出された愛と海水浴の夏と色あせた子供時代の記念写真とを閉じ込めた球体が宙を漂っていた。今やすっかり貪欲なハツカネズミの姿になった観光客たちが、動物たちがつまったしゃぼん玉売り場に群がっていた。もちろん彼らは後先を考えずにこの風船状の球体に次から次へと噛り付いていくのだ―するとこのしゃぼん玉はよくある普通のシャボン玉のように破裂して、きまってこのハツカネズミの人々は澱んだ空気のなかに四散していくのだった。最終的に透明になったハツカネズミたちの死体は、職人化された陽光の魔法使いたちの力で、あの思い出の風船状しゃぼん玉溶液のなかに閉じ込められていった。

―そして食事をすませた畸形の猫たちが大量のしゃぼん玉を吹いていき、新しい虹色が街を飛び交い、風という風たちは自分たち自身の酷薄さを教え、贋金製作者たちの機械が心の中に立ちのぼっていき、彼は意味のない想像に悩まされ続けて繊細で充分によく制御された破裂を繰り返していくのだった。

(2002年)

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