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満里奈(マリーナ)の法則〜渡辺満里奈で知るEPIC SONY80年代の軌跡。



EPIC SONYというレーベルについてはいつか書かねばとは思っていた。とはいえ(ボクの世代として)その存在はデカすぎてどこからアクセスして書けばいいのやら状態。さてどうすんべと考えあぐねてはや数日。とりあえずなんか書いてみっかと重い腰をあげてようやく着手したのが先週。書き始めたらあまりの薄っぺらさに泣きそうになったので一旦保留。とりあえずボクが好きだったアイドル、渡辺満里奈をきっかけに書いてみようとスタートを切ってみます、はい。

渡辺満里奈の「ちいさなBreakin` my heart」が好きだった。作詞作曲は大江千里。いわゆる3連のウインター・ソング。名曲なんですよ。そして彼女の存在がボクをEPICという蟻地獄へと誘ったわけであり。自社媒体のEZ TVにレコード店をジャックしてのビデコン(ビデオコンサート/MVに力を入れていた当時としてはその点でも先鋭的だった)と田舎の高校生の目からも「先鋭的な」レーベルだったのですよ。

そんなわけでまずは渡辺満里奈の話からしよう。ボクが「夕やけニャンニャン」に出遅れたのは別原稿にも書いた通りで当時住んでいたエリアのオンエアスタートが86年2月。つまりそれはなかじも河合その子も卒業直前タイミング。とんねるずが初の地上波ゴールデン帯ドラマ「お坊っちゃまにはわかるまい」出演直前。そんな中、夕ニャンのオーディションにあらわれた逸材が渡辺満里奈だった。

あっという間に「深呼吸して」でEPIC SONYからソロデビュー。作曲はレーベルメイトのLOOK山本はるきち。月刊明星歌本の新曲批評コーナーで梶本学(よいこの歌謡曲編集長)が「竹内まりやの「不思議なピーチパイ」ですね」と指摘していたのを読み、ボクはRVC時代のまりやを初めて遡って聞くことになる。

デビュー初期の頃から満里奈は所属レーベルの先輩でもある大江千里ファンを公言していた。「Avec」をヘビロアイテムとして紹介し、ボクも千里を聞くようになった。もちろん千里は知ってはいましたよ。GBを買えば見開き2ページのお約束展開の「ロマンス」(小室哲哉とタッグ)、「REAL」リリース時の記事は読み込んでいたし味覚糖CMソング「十人十色」は火曜日19時から放送されていた「サザエさん」(再放送ver)を見ると必ずこのCMが流れていた。火曜日の「サザエさん」は好きだったな。日曜とは違う(何年か前の再放送なので)色味も少々劣化したフィルムでの「サザエさん」は意味なく郷愁を誘う切ないアニメだった。いや、内容は変わらずなんですけどね。アナゴくんはアナゴくんだし、磯野家はなにも変わらない。

あの頃のEPIC SONYは噴火直前の火山のようなレーベルだった気がする。1986年当時すでに佐野元春はブレイクスルー、NYから帰国後発表した衝撃の問題作「Visitors」を経てこの年は再びポップネスに溢れた快作「Café Bohemia」を発表、渡辺美里がティーンのカリスマへと昇りつめるきっかけとなったヒットシングル「My Revolution」もこの年。TMネットワークはまだボクの住んでいた地元密着型情報番組「いきなりバンバンのっテレビ」に(なぜか)月1ゲストペースで煩雑に出演していた頃でブレイク曲となった「Get Wild」のリリースは翌年まで待たねばならならない。86年の彼らはAL「GORILLA」と先行シングル12インチシングル「Come on Let`s Dance」、その前の「Dragon The Festival」のMVは当時福島に住むティーンネイジャーにこれでもかとFANKS理念を刷り込まれるきっかけとなったアイテムだった。ちなみにこの「いきなりバンバンのっテレビ」だがテレビ神奈川が映らない東北エリアにとって邦楽MVを定期的にオンエアする貴重な番組だったんですよ。TMの他にもよくアーティストがゲスト稼働で登場する番組でもあった。いんぐりもんぐりとかストリートスライダーズではなくストリート・ダンサーってバンドはよく出演していた。ヴォーカルの名前が及出泰(おいでやす)。デビュー曲は「サイテー男にご用心」。明石家さんまが出演していたスクーターのCMソングを歌っていたバンドだ。まあどっちもEPICとはまったく関係ないのでエピソードは割愛。

ちなみにボクがこのレーベルのアーティストを語るうえで外せない雑誌、PATi-PATiだった。あの頃毎号勝ち抜きバンド合戦みたいなコーナーがあり、読者投票で1位になると6ページぐらいで特集が組まれるシステム。ストリートスライダーズもここで知ったなァ。バービーボーイズはロック版ヒロシ&キーボーなるキャッチコピーで掲載されておりやけに印象的だったしEPIC勢ではないけれどエコーズ、スパゴー前身バンドのBe-Modernとかもこのコーナーが知るきっかけだった。ちなみに「ベストセラーサマー」でデビューしたTUBEは見事勝ち抜き増ページ枠で取り上げられてた。まだTHE TUBEの頃ですね。

話を戻そう。満里奈に大江千里をリコメンドされボクは「Avec」を聞き、このシンガーソングライターの底知れぬ才能に驚かされた。ジャケも最高なんですよね、実にシックで。「コインローファーはえらばない」、「長距離走者の孤独」、そして渡辺美里とのデュエット「本降りになったら」とハズレなしの名曲揃い。遡って「乳房」では「JANUARY」、「手垢のついたステイショナリー」、今でもそらで歌える。そして87年に発売された「OLYMPIC」ではついにボクは店着日にフラゲをかますことになる。「YOU」のイントロでぶん殴られるほどの衝撃を受けつつ1曲目の「回転違いの夏休み」、「塩屋」で泣いた。ちなみに同じクラスの金澤くんは生徒会長で渡辺美里の大ファン。彼は休み時間になるといつもノートに美里の歌詞を歌いながら書いていた。「聞きなよ」と渡された美里の1stAL「eyes」は家に帰ってカセットテープに落としたけど、やっぱりボクは千里の方に夢中だった。しかも隠れファン。周りは長渕剛と安全地帯のファンが圧倒的多数を占めていた。地元パンクスの巣窟、クラッシックギター部はいわゆるBOØWYでありジャパニーズ・フュージョンでありジャパメタであり。時々遠藤みちろうが爆音で流れる環境の中、さすがにボクは「大江千里が最高」なんて言えなかった。

満里奈は夕ニャンのパワーダウンとは関係なしにクオリティが高い楽曲をリリースし続けていた。3枚目のシングル「マリーナの夏」とかアイドル・ポップとして文句のつけようがない名曲ですよ。4枚目で再びLOOK山本はるきち登板で「夏休みだけのサイドシート」をリリース。これも切なすぎて死ぬ名曲。これ聞いて胸熱にならないひとは信用できないですね。ちなみに満里奈×千里のタッグによるシングル「ちいさなBreakin` my heart」その次のシングルだった。

翌88年も満里奈はシングルをコンスタントにリリースする。そして89年、とんでもないシングルが発売された。そう「大好きなシャツ(1990旅行大作戦)」だ。DOUBLE KNOCKOUT CORPORATION名義のフリッパーズギターによるこの楽曲、聞いた瞬間ボクは死んだ。キュン死である。犬の名前はジョイだから、と歌う満里奈はもはや大江千里のファンを公言していた彼女ではなかった。悲しみなんか蹴飛ばしてホットケーキを狙う彼女の姿に「君と生きたい」(by大江千里)を嬉々としてマイ・フェイバリットにあげてた彼女の姿はどこにもない。

そういえば渡辺美奈代は美奈代で鈴木慶一プロデュースでストレンジ・ポップな作品をリリースしていた時期があったなあ。「ちょっとFall in love」に「抱いてあげる」と60年代サマー・オブ・ラヴなフィーリングが目一杯詰め込まれたこの2曲だけでもポップマニアは買いなアイテム。

ちなみに大江千里の一撃必殺の最強シングル「YOU」で思い出すのは、時は流れて国立代々木競技場第一体育館。2003年の2月だ。LIVE EPIC 25と銘打たれたライブイベント会場にボクはいた。知り合いの事務所から「鈴木さんが見に行ったほうがいいよ」とチケットを入手し会場に向かったら席がアリーナのすっごい前のほうで驚いた。そこでボクは次から次へと繰り出される往年のEpicレコードを支えたレジェンドたちのパフォーマンスの迫力に圧倒されることとなる。

鈴木雅之が桑野信義と「ランナウェイ」と「め組のひと」を歌い、鈴木聖美を交えて「TAXI」、「ロンリーチャップリン」。そして久々に活動休止していた大澤誉志幸が登場。「ガラス越しに消えた夏」、そしてソロステージに移り「CONFUSION」、「暗闇にまかせて」、「そして僕は途方に暮れる」と名曲の連打。小比類巻かほるも出てきて「Hold On Me」をぶちかませばボクの脳裏に浮かぶのは陣内孝則&沢口靖子。原作は新井素子。新井素子といえばもともと星新一が、、とどうでもいい枝葉エピソードが駆け巡りがちになるが気分は一気に80年代後半へ。マツボーこと松岡英明による「以心伝心」でジャストポップアップ!岡村(靖幸)ちゃんとフリッパーズギターの共演回は神回だったよなァ、なんて思いを馳せるうちにスタンディングでピアノを弾きながら登場したのは大江千里ですよ。ここでボクは初「生」千里。1発目に「YOU」。歌いながら泣いてるんですよ。ボクの記憶に間違いがないのであれば。2曲目「REAL」で会場は狂喜乱舞。元GB、Pati Pati読者のハートは暴発寸前で投げ込まれたラストナンバーは「十人十色」。完璧でした。

おそらくあのとき千里は感涙してたんじゃないかな。「YOU」のイントロ弾きながらピアノがステージにあらわれたときの嬉しそうな笑顔。佐野元春が、THE MODSが、大澤誉志幸、ラッツ&スターが先陣を切って基盤を作ったあのレーベルの青春期にデビューを果たした大江青年にとってみれば「あの頃」の仲間たちと一緒にステージに居るってことがどれだけ嬉しかったか。

あまりの熱狂にボクはこの後の記憶が薄い。THE MODSが出てきたりバービーボーイズ、スライダースのHARRY、確かに観ているんだが記憶がない。覚えてるのはTMが登場し木根さんが「こんな時代だからSelf Control」を演ったこと。準トリが渡辺美里でラストはEpic重鎮の佐野元春だった。

もちろんLOOKも渡辺満里奈も出なかった。ただこの日のレーベル25周年記念イベントでボクの心に大江千里の姿だけがやけに突き刺さった。痛いほどに。

「格好悪いふられ方」やドラマ「十年愛」(怪演)出演など、売れまくったイメージが邪魔しているのか真っ当に評価しにくいのかわからないが大江千里はもっと評価されてしかるべきソングライターですよ。彼がいなければKANも槇原敬之も居場所はなかった(はず)。この日本を代表するピアノマンたちの名曲の数々、もうちょっと脚光浴びたってよかね?と思ってしまうわけです。

ちなみに渡辺満里奈はシングルというよりALBUMで聞くべき。「ノーマル」っていう大江千里作詞作曲楽曲。87年末にリリースされたクリスマスアルバムに収録されてるけど名曲。意外に名作なのが91年作品の「MOOD MOONISH」。先行シングルの「幸せの輪郭」(橋本晶子作曲)とか淡々とセンチメンタルなメロディが襲いかかる名曲ですけど最高ですよ。フリッパーズが参加した前作「piece of cakes」と合わせてマストリッスンな名盤。

ふう。と、思いつくままに書いてはみたけど言いたいことの半分も書けてない気がする。大江千里や渡辺美里単体への熱き思いをもっと感じたいひとはボクが敬愛してやまない小説家、樋口毅宏さんの名著「大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた」を読むとまっすぐな愛情を読み取ることができます。未読な昭和40年代生まれの未中年(精神的に)たちは全員必読。「ありったけのコイン」にぎりしめて「激しい雨が」降り注いでこようとも(季節的にね)本屋に駆け込みマストバイですよ。つまりは泣いたままでlisten to me。よろしく。ふう。終わりが苦しいようで!

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