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私的KAN論(仮) 第2章 応援ソングの向こう側

街を歩いていて、あまりに当たり前の光景過ぎて何にも思わなかったことに驚くことってありませんか。たとえば昔に比べて「整体」やマッサージを売りにしたお店が増えたこととか。若い頃はなんとも思わなかったからなんでしょうかね?

PCやスマホの普及による慢性的な肩こりの蔓延も影響しているとは思います。ちょっとSNS開くとうんざりするぐらいの炎上を目の当たりにしたりして肉体的にも精神的にも疲れやすいのが現代社会なのかもしれませんし。かく言う僕も慢性的な肩こりには悩まされているのでよくその手のお店にはお世話になります。一時期自分でお灸や置き鍼を試してみたんですがいまいちしっくりこない。やはり第三者の手に委ねるやり方の方が僕の場合はいいみたいです。

さて、そんな「一億総疲れやすい」時代で僕らは生活していますが、世代に関係なく音楽に励まされることは多いのではないでしょうか。マッサージを受けに行っても謎にアンビエントなインストが流れたりしてますもんね。昔、なんの気なしに入った整体院で施術中ずーっと長渕剛の「昭和」ってアルバムを流し続けてるところがあったんですけどびっくりしましたね。そこの整体師が好きだったんでしょうけどねえ、、長渕ワールド。ベッドサイドにポスター飾ってたもんなあ。だけどやはり癒しを求める環境にそぐわない音楽って世の中にありますから。ちなみにその整体院は数年前に潰れてしまいましたが。「とんぼ」聴きながらだとカラダは緩むどころかファイテングポーズとっちゃいますよ!

僕の整体院での長渕体験は置いといて、偶然コンビニやアーケードを散策中にとか、ネットでふと耳にした楽曲のメロディがなにやらココロの琴線に触れ、ガチガチに固くコリまくった神経をふっと緩めてくれる瞬間って多くの人が体験してると思いますし音楽にはそういう力が間違いなくあるのではないでしょうか。歌詞もわからないような洋楽だろうとアイドル・ソングだろうと無軌道に旋律を繰り返すジャズ・セッションだろうと同様の力がある。僕はそう思ってます。

ではいわゆるセラピー的な「癒し」とは別の形、つまり音楽に「励まされる」とはどういうことでしょうか。例えばですが、もはやイントロの響きだけで理由もなくダウナーな気分から解放され、やる気に満ち溢れることがあると思うんですよね。昭和45年生まれの僕世代だと佐野元春「SOMEDAY」あたりがその代表でしょうか。それはもしかすると大江千里の「YOU」かもしれないし、人によっては松任谷由実「守ってあげたい」、渡辺美里「My Revolution」、さらに尾崎豊の「シェリー」や浜田省吾の「悲しみは雪のように」を挙げるひとも多いんじゃないでしょうか。ちょっと下の世代だとTM NETWORKや安室奈美恵にtrfといった小室サウンド、あるいはミスチルやスピッツ、BUMP OF CHIKENのイントロが始まった瞬間癒される方々も多いでしょう。ああ、BOØWYもそうだ。とにかくギターやピアノ、ストリングスの音色と旋律自体の力がそうさせるのかもしれません。また、その楽曲を聴いてた頃のある種郷愁めいた感情が気持ちをほぐすのでしょう。

思い返すと筆者が10代も半ばを過ぎる頃、つまり80年代も中盤を過ぎる頃あたりからやたら聞き手を「励ます」ような楽曲が増えていったように思えます。僕はそれを「SOMEDAY症候群」と勝手に呼んでいるのですが。いつか、必ず、きっとと現状からの逃避願望と見果てぬ夢をめぐる男女2人の青春模様を歌う曲が増えたのはなぜなんでしょうか。

僕が考えるに佐野元春が80年代初頭に「ガラスのジェネレーション」で歌ったフレーズに惹かれたことは紛れもない事実だと思います。皆んな「つまらない大人になりたくない」と言うキャッチーすぎるフレーズに憧れを抱いたことだけは間違いなくあると思うのです。

まず体制への反抗、反発をスタイリッシュにメッセージ化したのは佐野元春の功績です。そしてそこに大きな影響を受けつつデビュー当初の尾崎豊が「とにかくもう家や学校には帰りたくない」と言う多くの10代の心を鷲掴みにしたキャッチコピーが登場します。もちろん広がっていったのは偏差値に左右される受験戦争が激化していった時代背景的もありました。もちろん体制への反抗と言っても60〜70年代初頭の学生運動とは異なるものです。シティ・ポップリヴァイバルブームで80年代の日本がすべてお洒落でキラキラ輝いてたように誤解している世代もあるかと思いますが、実際キラキラしてたのはほんの1部のエリアです。

当時大半の10代は受験戦争なる言葉に翻弄され、学校生活での体罰もまだ当たり前だったし、もう少し重苦しい空気が蔓延してたような気がします(それゆえシティ・ポップな音楽に憧れを持ちやすかったのではないでしょうか)。僕なんかはグレた経験はまるでなかったですがTBSで放映されていた学園ドラマ「3年B組金八先生」第2シリーズや大映ドラマとして今も多くの人々の心に残っている「スクールウォーズ」初期の校内暴力がはこびる荒廃した光景、空気感はちょうど僕が中学校に入学した1981年にはまだ残っていました。ちなみに僕が入学した中学は1982年の3月、青空卒業式でした。理由は卒業式前夜、体育館が全焼したからです。卒業するうちの何人かによる(詳細は忘れました)学校に対する不平不満への腹いせだったという記憶だけはあります。また、僕の卒業式前夜は盗んだ車で国道を逆走して逮捕された連中もいましたね。でもそういうグレた連中が常にささくれだった態度だったかというとそうではなく、チェッカーズの「星屑のステージ」に涙したり、好きなアイドルの切り抜きを下敷きにしてたりと(河合奈保子や小泉今日子)突発的な行動以外はいわゆる田舎の中学生でしたし、僕も嫌がらせを受けた記憶は全くないんですね。

そんなヤンキーが蔓延しまくった環境の中、グレなかった(その勇気がなかった)僕は僕で当時反抗期を迎えてましたが授業中あまりに暇で先生たちの顔をかなりディフォルメして教科書によく落書きする程度のものでした。結局全教科分の先生の顔を書いてたんじゃないですかね。それが見つかり職員室に呼び出され、落書きの分だけ殴られた記憶があります。まったくもってバカです。「これは本田先生か。よく似てるじゃないか」バシン!とまあこんな感じ。そもそもグレた連中含め当時(中学生だった頃)男子は全員丸坊主という校則です。どんなにイキがろうとも坊主頭です。リーゼントにもチェッカーズ・カットも不可能なんですよ。東京だったら違ったのでしょうけど田舎のヤンキーの悲劇ですよね。

さてそんな日常の中、キャロルやクールスをみんなこぞって聴いてたと書きたいところですが、少なくても僕と同じクラスのヤンキーな方々がヘビロしてたのは横浜銀蝿でした。とはいえ強烈なメッセージ性のあるタイプのロックンロール・バンドではないですよね。「とりあえず銀蝿るっきゃねえな」の名言を残したバンドですから。で、坊主。別な意味で不平不満がたまりやすい環境だったことはたしかです。いわゆるロックンロール歌謡はシティ・ポップな音楽性以上に日本全国のヤンキー、もしくはヤンキー未満のティーンネイジャーの心を掴んだと思います。土足厳禁の内装はピンクのスカイライン。若い頃の所ジョージみたいな薄手のサングラスで愛読書は少年ジャンプとチャンピオン。ヤンキー・スタイルですらファッション化していた時代です。スタイルが消費されていく中で、メッセージ・ソングがファッション化していくのも当然だったと思います。

そのメッセージ・ソングが消費されていった80年代中盤、具体的な例をあげていくとすればカジュアルなメッセージ性という意味で大きな支持を集めたのは尾崎豊であり渡辺美里でしょう。「行儀良く真面目なんて出来やしなかった」「死んでるみたいに生きたくない」というわかりやすいほど強烈なフレーズは当時「銀蠅るっきゃなかった」田舎のヤンキー中学生でも十分刺さったはずです。また尾崎にしろ美里にしろ、わかりやすいほどアイドル的にルックスがよかった。そして佐野元春や浜田省吾だと歌詞を読み解いていくにも文学性がハードルだったはずなんですね。平成〜令和と違って、SNSもネットもない時代に「体制への反抗」は実にわかりやすかったのだなと今にして思います。

またちょうどその時期、テレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」の常連でもあるアイドル・ポップシーンの中でもまたポジティブな応援ソングは増加していきます。ヒットしたものだけでも菊池桃子「Say Yes」本田美奈子「OneWay Generation」薬師丸ひろ子「元気を出して」とすぐに口づさめるものも多いはずです。少々マニアックなところだと中村由真「君の夢に飛びたい」吉田真理子「夢を追いかけて」西村知美「君は流れ星」もその部類に入るのかもしれません。

おそらくですがロック/ニューミュージック側でのヒット曲、それこそ尾崎や美里以外でもハウンドドッグの「フォルテシモ」や中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」といったメッセージ性の強い楽曲がマーケット的に受け入れられたことも少なからず影響はあったと思います。もちろんそれまでもニューミュージック的な扱いとしてのヒット曲はありましたが、どこかアンダーグラウンドの匂いが拭えなかったものがもっとカジュアルに手が届きやすい存在として多くのユーザーに愛されるようになったことは大きいでしょう。ソニーマガジンズが発行していた「GB」や「PATi-PATi」といった雑誌を飾るアーティストは「明星」や「平凡」といったアイドル誌並にビジュアル展開に力を入れており、それまでの音楽雑誌メディアのあり方が変わっていった時代でもありました。いわゆる旧態依然とした芸能界のシステムとロック/ニューミュージックの流れが融和していったことでアイドルはロック/ニューミュージック(あるいはシティ・ポップ)的な要素を求め、逆にバンドやシンガーソングライター側は芸能的展開を求めるといった逆転現象も見られたと思います。純粋に音楽だけを追求というよりは+トークスキルや女性ウケしやすいビジュアルという「芸能」的魅力はこの時代のアーティストにとって必要不可欠だったのではないでしょうか。地道なライブ活動が実を結び1983年に「メリーアン」でブレイクを果たしたTHE ALFEE、まさしくアイドルとロックサイドの狭間を貫いたチェッカーズや吉川晃司といった面々の活躍によりのちのJ-POPにつながる土壌はまさしくこの時期に作られたと思ってます。

話が少々それましたが、両者の融合がメインストリームでのメッセージソングのカジュアル化を産んだのではないかと僕は考えております。いわゆる尾崎豊のような10代特有の反抗/反発ではなく、挫けそうなシチュエンションはより具体化され、大学生や社会人が日常生活の中で普通に出くわしそうなものへと変わっていき、それがのちの「愛は勝つ」が世代を越えて大きく受け入れられた状況へとつながっていったと考えられると思います。

そしてここで思い出して欲しい1曲があります。ZARDが1993年に放ったヒット曲「負けないで」です。応援ソングの定番として幅広く受け入れられたこの楽曲ですが、まずよーく聞いて欲しい。そしてこの曲の主人公が相手を励ますシチュエイションを考えてみて欲しいのです。「愛勝つ」がビリー・ジョエルの「アップタウンガール」ならばこちらはダリル・ホールの「DREAM TIME」を、なんて思惑を想像しつつも(歌詞の中で)励ます側が男が女へと置き換えられているところやアメリカン・ポップなサウンド感など「愛は勝つ」の特大メガヒットの影響下にある楽曲なのではないかと、あくまで個人的推測ですがそう考えながら聞くと面白いですよね。先日「マツコの知らない世界」で昭和歌謡が特集されてましたけど(ゲストはJUJU)「勝手にしやがれ」と「横須賀ストーリー」の関係について語ってましたが両者それぞれ楽曲制作上本当のことろどこまで意識しあってたのかはわかりません(要するに「プレイバックpart2」の主人公(女性)が「勝手にしやがれ」で出ていく女性ではないかということをあくまで推測レベルで語ってましたが信憑性高そうですよね)。ただ先日NHKでもオンエアされたドラマ「アイドル誕生」で描かれた阿久悠とCBSソニーのカリスマプロデューサー、酒井政利とのライバル関係の中でもしかしたらそういう作品制作上でアンサーソング的な作りを意識したのかもしれませんね。

そして「愛は勝つ」や「負けないで」以降「励ましソング」の系譜は脈々と形を変えて日本のポップ・シーンへ根づいていくのですが僕が常々疑問に思っているのは歌詞中で頻繁に登場する「夢」や「希望」は何を持って着地点なのでしょうか。ラブソングならば無事2人が付き合うってことなのでしょうが。90年代末期から2000年代にかけてブレイクした青春パンクと呼ばれた一連のアーティストや2010年代初頭のアイドル戦国時代、「漠然」とした「励まし」ソングは大量に消費されていきました。

ここで思い出したエピソードをひとつ。10年ほど前にとあるロックバンドの横浜アリーナ公演を観に行ったことがあります。ヴォーカルは「夢は頑張れば叶うんだよ」と高らかに叫びながらステージを走り回っていました。残念ながら会場は満杯ではありません。だけどこの場合の「夢」の形は大きな会場で熱狂を共有するということで着地なわけじゃないですか。わかりやすいと言えばわかりやすい。矢沢永吉「成りあがり」にも通じるサクセスです。ただし矢沢永吉には後日譚「アー・ユー・ハッピー?」があります。一般的にブレイクを迎えた後の借金、家庭問題などを綴った書でこれがあることで「成りあがり」の内容はより一層物語として厚みを得た気がします。読んだことがない人は両方読むことをお勧めしますね。

僕はKANが「愛は勝つ」だけではない、いわゆる励ましソングの代表的シンガーソングライターではない、ということを言い続けてきました。本当にそうであればこの楽曲が収録されているアルバム「野球選手が夢だった」は全編に渡って励ましソングのオンパレードですよ。聴けばわかるようにどっちかと言えばビターなラブソングが多いのです。「けやき通りがいろづく頃」「青春国道202」「恋する2人の834km」聞いたことありますか?なければすぐに聞いてください。こんなリアルな恋愛模様を歌ったシンガーソングライター、この時代他にいませんよ。「ずっとずっと君が彼を好きだったようにずっとずっとぼくにも好きな人がいる」なんて神フレーズじゃないですか。思い出してみて欲しいんですね。若かりし頃をあえて「青春」と呼ぶのであれば、あんなにややこしくも甘く切ない日々があっただろうかって。そんなほろ苦い感情を実に見事な表現で楽曲化していったのがKANの素晴らしさなんですよ。たとえば「青春国道202」に出てくる「革ジャンは買ったけど靴が汚れてた」「はずかしい思い出によみがえってくるDaydream」って表現は秀逸すぎますよね。単なる青春回想ソングなのに絵空事になっていないんです。KANの声質のせいだと思いますが耳のそばで、生々しく聞こえてくるんですね。この魅力は大江千里、槇原敬之にはないものじゃないでしょうか。革ジャンは買ってないけど、コートやジャケットは新調して、、だけど靴まで意識は回らなかったって経験ありますよね?僕はあります。


「1989(A Ballade of Bobby & Olivia)」なんて大作バラードですが必聴でしかない名曲です。僕の中では佐野元春の「Heart Beat」と並ぶ邦楽ポップ史に残る名曲と思ってるのですが、内容としては俳優志望の男とそれを応援する女が途中で別れる話です。俳優志望の男は「あの頃」よりちょっとだけ広い部屋で暮らせるようになります。つまりバカみたいなサクセスはしてないんです。そこに別れた彼女が別の男と結婚するってよって噂が舞い込んで、、、当時の想い出を回想しつつも「戻れない」ことはわかってると自覚する歌。ああ、なんてほろ苦い。この曲が素晴らしいのは「今は僕も他に好きな子ができた」と歌いつつも「でもうまくいってない」んですね。「ふりむいてくれない」ことはちゃんと自白してるんです。こんなビターなラブソングをきちんと歌える人を単なる「励ましソング」の代表者みたく扱っちゃダメですよね。とにかく「愛は勝つ」をどんな形にせよ、いい曲だなーと思ってる人はまず「野球選手が夢だった」を聴いてください。個人的にはそれなりの人生経験を経た男性、30中盤過ぎとか40歳代の男女は必聴じゃないですかね。泣きますよ、切なすぎて。


さてこの時代の励ましソングと呼ばれる曲は他にどれだけあったのかをここで振り返ってみたいと思います。以下思いつくまま無造作に羅列してみましたが、、意外と忘れてるものもあったりしますが皆さんも思い出してみてください。


「愛は勝つ」KAN

「ほっとけないよ」楠瀬誠志郎

「どんなときも」槇原敬之

「それが大事」大事MANブラザーズバンド

「君は僕の勇気」東野純直

「約束の橋」佐野元春

「PIECE OF MY WISH」今井美樹

「SAY YES」CHAGE &ASKA

「YAH YAH YAH」CHAGE &ASKA

「歌えなかったラブソング」織田裕二

「サマータイム・ブルース」渡辺美里

「負けないで」ZARD



当時カラオケの定番としては岡村孝子の「夢をあきらめないで」もありましたね(リリースは1987年)。90年代にヒットしたものを前提条件に羅列してみましたが、どれもよく作られておりクオリティが高いポップソングなんですよね。もっと押しつけがましいものが並ぶかと思いきやそうでもなかった。もしかすると無意識下で排除してしまったのかもしれませんが。

とにかくラブソングという体裁をとりながらの「励まし」がやはり多いんですよね。それはカラオケブームや学生によるバンド活動の活発化により、楽曲への接し方がよりカジュアルになっていったことはあるのではないでしょうか。つまり「楽曲の主人公」は受け手、つまりリスナーだったんですよね。ラブソングの体裁がやたら多いのも、この時期に主流となったトレンディ・ドラマの定着もあるでしょう。80年代後半に生まれたこのジャンルは港区や世田谷区のお洒落でキャッチーな生活スタイルに「恋愛」という様式を埋め込みヒットしました。そして90年代に入るとドラマで提唱するライフスタイルは手の届きそうにないものから、よりわかりやすくリアルなものへと変化していきました。京王線や井の頭沿線のちょっと頑張れば住めそうなマンションの一室での恋愛模様が幅広く受け入れられた時代。「恋愛」という行為自体が今の時代よりもユーザーの中でエンタテインメント・ツールの一環として存在したからゆえ、その現実にリンクするかのようにポップ・マーケットでラブソングの体裁をとった「励まし」ソングが大きく受け入れられたのかもしれませんね。松任谷由実や竹内まりやといった先人たちが恋愛模様を巧みな描写で綴り、ポップ・マーケットの中で成功していった手法がよりわかりやすく、ダイレクトな形へと進化していったとも考えられるでしょう。

とはいえ僕の中ではやっぱり「愛は勝つ」は一連の励ましソングの中では極めて異質な楽曲として存在してるんですよね。やはり何度聴いてもそういう風に捉えたくないし王道のJ-POPとひとことで、どうしても片付けられないし、そうしたくない。その理由については次章で触れていきたいと思っております。

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