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大好きだったシャツ〜犬の名前はジョイなのか!

花粉症がつらい。とにかくつらいんだ。

ちょっとツライんだどころの話じゃないよ。


 かゆい。眠い。くしゃみがつらい。くしゃみするのが面倒くさい。つーわけで、いよいよ春が動き出した。「夏っつーと こうモーローと 翻弄されちゃうよどーも」とスチャダラパーは歌ってるけど、ボクにとってそれは圧倒的に春だ、春なのだ。ちなみに「まずは本屋 で帰りにソバ ザルかせいろだ」の本屋は同意かな。格好よくハードボイルドにせいろとビールで決めときたいんだけど天ぷらとか余計なオプション今でもつけたくなるんだな。蕎麦屋マジックあるあるですね。


 さて花粉症の話だよ。ボクの場合、なぜか左目にくる。かゆさが爆発するアムールって具合でそれわかってる?と心のドアをノックされる。これが始まるとスプリング・ハズ・カム。ゴーゴー、ゴーズオン。渡辺満里奈の「大好きなシャツ」はやっぱり名曲。1990年7月1日発売だったんですね。30年前の曲なんだなァ。犬の名前はジョイだからなー。うちは猫派なんですけどね。


 この季節になるとCorneliusを思い出す。それも1994年2月24日に発売された「THE FIRST QUESTION AWARD」だ。HMV仙台店にて購入したんだが、すでに初回限定盤は売り切れ。当時のこの店舗の売りはWEEKLYで更新されるHMV渋谷のチャートだ。おそらく在仙台の渋谷系ファンが押し寄せたのか、そもそも初回イニシャルが少なかったのかは不明だが、なんとかアルバムを手に入れたボクは「ここから世界は変わる(笑)」と信じていた。何が変わるとかは置いといて、とんでもない時代が到来すると思っていた節がある。当たってたけどなー。30年経過した今、確かに当時思いもよらない世界になってしまった。しかし仙台でHMV渋谷チャートを推すってすげえ話だ。Sporal Life「GAME OVER 」が妙にリコメンドされてた記憶がある。てか、「THE FIRST QUESTION AWARD」と一緒に買ったんじゃなかったかな。翌月に発刊された村上龍の「5分後の世界」とともに当時ボンクラ学生だったボクの心の友だったことは間違いない。大学も6年目で「今年は卒業しねえとヤバい」グルーヴ満載の日々。オイラはどうしたいのか。どうなってしまうのか。漠然とした不安感をかき消すように音楽を聴き、本をむさぼり読んだ。また小沢健二の「天気読み」がブルーでグレーな日々によく似合うんだな。まいっちんぐ。オザケンが、♫プラダの靴が欲しいのと歌い出すまであと1年。


 Corneliusのデビューe.p「HOLIDAYS IN THE SUN E.P」は渋谷HMVで買った。発売前から試聴機には行列ができていた記憶がある。個人的に「DIAMOND BOSSA」が好きでしたね。12インチアナログでリリースされたダンス・チューン「RAISE YOUR HAND TOGETHER」、こないだ自宅のレコード棚に眠ってたな。とにもかくにもボクはこのアルバムを聴きまくった。ツアーの大阪公演も行きました。大阪厚生年金会館だったかな。小山田君が持ってたフライングVはやたら印象に残ってて、アシッド・ジャズチューンの「(YOU CAN`T ALWAYS GET )WHAT YOU WANT」のギターリフ、無茶苦茶嬉しそうに弾いてたんだな。すでに次作「69/96」への萌芽はあったのかもしれない。だが、当時のボクにとってそんなことよりも重要なことがあった。


 シャツである。大好きなシャツ。フェイバリット•シャツ。ヘアカット100。ニック•ヘイワード。えーい、もうはっきり言っちゃおう。シャツが欲しかったのだ。「THE FIRST QUESTION AWARD」のレコジャケで小山田選手が着ていたアレ。ボクの目には最高にクールに見えたあのシャツ。どうしても欲しかったが当時調べる手段もない。似た(ように見えなくもない)シャツを京都の古着屋で見つけてそればっか着ていた。今考えると全く違うんですけどね、まず柄が違う。遠く遠く(by槙原敬之)的遠方にかすれて見えまっせぐらいの距離感だったら同じに見えなくもないレベル。ニットキャップはそもそも似合わないので買わなかったな。ニットキャップはある意味「渋谷系」の象徴的アイテムだったんじゃないでしょうか。アニエス・ベーやSAINT JAMESといったフレンチカジュアルなスタイリング。あとベレー帽か。ダニー・ハザウェイ的なキャスケットも多かった気がする。もちろんボクは帽子全般似合わないのでスルー。ボクは90年代中盤まで関西在住だったので東京で何が起こってたかは主に雑誌で知るしかなかった。もしあの日あの時東京にいたら、とまるで安藤サクラ+バカリズムによるドラマ「ブラッシュアップライフ」みたいな話だが、そんなifを今でも思わないことはない。駒沢あたりのワンルームに住みながら下北沢SLITSとか通うナイトライフ。お腹が空いたら恵比寿あたりまで足を伸ばしてらーめん山頭火、環七沿いのなんでんかんでんでも悪くない。そんなトーキョー・とんこつラーメンライフを過ごしていたかもしれない、ボクのもう一つの人生。まあ、98年上京時にさっそく真夜中この2店には繰り出してるんですけど!


 大阪は金龍ラーメンだったかな。90年代中盤過ぎはかむくら。京都だと横綱かなあ、、天下一品、第一旭や新福菜館はどっちかといえば常食扱いだったのでYOASOBIのお供ってイメージないんですよね。だいたいラーメン(上記のどっか)→カレー(CoCo壱)→ラーメン→牛丼→ラーメンなまるで泉昌之の「新さん」みたいな食生活。そこに時々王将が加わる。あとよく行ってたのが右京区にある大力食堂。ここの唐揚げ定食には悩まされた。学生向けだったのか盛りがやたら強気なんですけど、唐揚げの下味が薄味なんですよ。ギリギリ味があるかどうかのボーダーライン。一回、醤油をじゃぶじゃぶかけたら店の親父に怒られた。まあオリジナル・トラックを勝手にREMIXするんじゃねえよってことです。何事にも許諾は必要。ちなみにまだこの食堂は営業が続いている。男気あふれる唐揚げ体験をしたい人はぜひ一度行ってみて欲しい。


 かゆい目をこすりながら、鼻水をこらえてくしゃみを連発。大力食堂の唐揚げ定食、王将帷子ノ辻店、花園店。第一旭三条河原町店、新福菜館二条店。そんなマイ常食に囲まれ、似非Corneliusシャツを羽織り、Clarksのワラビー(これだけ正規品)を引っ掛けて何のアテもなく自転車で街を彷徨っていた1994年。ちなみにこの年の暮れに自転車は盗まれ、翌年ボクはボンクラなりになんとか社会人デビューを果たすこととなる。ちなみに似非シャツは98年東京へ引っ越しする際に行方不明になったまんまだ。あ、似非はシャツだけじゃなかった。一応リーバイス的なデニムジャケットもあったわ。忘れてた。


 ちなみにフリッパーズギターが岡村靖幸と共演したNHK「ジャストポップアップ」で小沢健二選手が演奏時に着ていた薄いイエローのシャツ(たぶんラルフローレン)は東京来てほぼすぐに下北沢の古着屋で見つけた。だけどやっぱり似合わなかった。


 あれから30年経とうとしてるけど、「コレだよコレ!」というシャツは見つけられないまんまだ。たぶんきっとずっとこのまま探し続けんだろ。さて今夜は久々に「SHOP自分」でも読もうかな。

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