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渋谷系を語る前に「JUST POP UP」を思い出そう。

 昨夜のことだ。ふと「JUST POP UP」って番組を思い出した。知らないひとは勉強すりゃわかるよ、と岡村靖幸が歌ってるのでWikipediaで調べてみて。


 松岡英明が司会のNHKで1988年4月から1年ほど放送されていた音楽番組。渋谷系以前、バンドブーム真っ盛りの中放送されていたこの番組、90年代J-POPの狂騒が始まる直前の記録としてかなり貴重な存在だったんじゃないかなあとふと思ったのでつらつら思い出しながら書いてみようとと思います。


 先日復活が発表されたTHE STREET SLIDERS、ダイアモンド⭐︎ユカイとシャケの2トップによるルーズでヒップなロックンロール・バンド、RED WARRIERSにTHE PRIVATES(シングル「LUCKY MAN」と「気まぐれロメオ」は必聴、ヴォーカルの延原さんはOKAMOTO`Sのドラマー、レイジのパパ)、BUCK-TICKやUP-BEAT(デビュー曲「Kiss、、、いきなり天国」はマジで名曲)など当時のアフターボウイを狙うバンドたちから、のちに大量に渋谷系ムーヴメントへ身を投じることとなるEPIC信者たち。あと2年ぐらいすると「Olive」を愛読し始め、フリッパーズギターを愛聴、カフェに通って雑貨屋で買い物三昧となる彼女たちもまだ読んでる雑誌は「GB」であり「PATi-PATi」なわけで、黄色のサマーニットを肩からかけ眩しそうに空を見上げる大江千里のグラビア(小室哲哉とコラボしたシングル「ロマンス」時)を眺めてはため息をつき、渡辺美里の「センチメンタルカンガルー」の歌詞を写経のように書き写した日々を送ってたはずである。TM NETWORKの小室哲哉がアルバム「」をリリース時、「ビートルズの「ホワイトアルバム」を意識した」とインタビューで答えたのを読み、必死に両アルバムを聴いて解読すべく煮詰まったり、、ってそれはボクな。正直今でもその真意はわからないけどそういうこともありますわな。


 今じゃ信じられないかもしれないが、当時「ROCKIN `ON JAPAN」はまだまだソニーマガジンズの「GB」「PATi-PATi」、角川書店の「月刊カドカワ」の影響力には勝つことができなかった、というかボクは完全にロキノン影響下にいたのだが、女子ウケする誌面ではなかったしな、、。それでも80年代のEPIC勢の存在ってかなり大きかったと思うんですよ。おそらく1970〜75年生まれの世代にとっては初めて自分たちの音楽があらわれたぐらいのインパクトはあったと思いますよ。「宝島」文化もちょい世代上のものって認識あったし。どっか背伸びして触れてた気がするんです。東京住んでたら印象また違ってたかもしれないけど。


 岡村靖幸、バービーボーイズ、LOOK、遊佐未森、次から次へとリリースされるEPICアイテムは好き嫌いは置いてまずはチェックしなきゃな時代の後押し感がすごかった。いきなりデビュー曲からブレイクしてしまったLOOK、いい曲多いんですよ。「少年の瞳」とか「冬のステーション」とか。エレファントカシマシ、BO GUMBOS、FENCE OF DEFENCEにBe Modernあたりは当時の「ROCKIN `ON JAPAN」激推しアーティストたち。深夜にオンエアされてたビデオクリップ番組「ez」で必死にチェックしてたな。ああ懐かしい。

 ボクの中でひとつの法則があって、のちにフリッパーズギターをはじめとする「渋谷系」にハマる女子は大江千里、松岡英明を通過するという大宇宙の法則(途中、岡村靖幸を同時並行というパターンもあり)。松岡英明といえば「VISIONS OF THE BOYS」「以心伝心」といったダンス•ポップ。泥臭さを微塵も感じさせない端正なルックスとキレのいいステージ・パフォーマンスは女子ウケして当然。とはいえ、バンドブーム全盛の音楽シーンの中では浮いていたし、正直ボク自身は彼をどう受け止めたらいいのか戸惑っていたのが本音だ。ちなみに「JUST POP UP」元年(1988年)の秋、高野寛が「See You Again」でデビュー。東京アンダーグラウンドではネオGSムーヴメントから少しづつバンドがメジャー•フィールドにフックアップされていき、ファントムギフトやザ・コレクターズ、ザ・ストライクスといったバンドたちが88年から89年にかけてデビューを飾っていく。


 そんな地殻変動時にマツボーこと松岡英明はNHKという日本中どこでもオンエアされている音楽番組で毎週MCを務め、そのキレのいいダンスを披露していた。あのキレと空中体感力はボクの目から見ると全盛期の少年隊、錦織一清と並ぶ華やかさがあり、手足をグッと伸ばしたときのしなやかさはチェッカーズの藤井フミヤを彷彿とさせる魅力があったと思う(あくまで主観)。岡村靖幸のようなアクが少しでも楽曲にあればブレイクスルーする可能性は十分あったと思うんだけどな。たとえば大江千里の場合、細やかな心理情景描写とあの声が絶妙なコクを生み出してたわけです。「コインローファーは選ばない」、「おねがい天国」、「ありがとう」どれもこれも千里ちゃんの声なしではありえない名曲だ。「YOU」のパワー・ポップぶりとか再評価されるべきなんですよ。ちなみにボクはカジヒデキの「ラ・ブーム」を聞いた瞬間、彼のポップソングの中に無意識に埋め込まれている「千里ちゃん」DNAを感じとりました。おそらくそんなアンテナ張ってたのは間違いなくボクだけだが(笑)。ああ、「YOU」キタわと思った90年代中盤。EPICブームからは10年近く過ぎた頃のことでした。


 ドリカムがデビューした頃にはあまりEPICだからチェックする意識は薄れていった。89年の夏以降は「海に行くつもりじゃなかった」ショックが個人的には大きすぎた。「フレンズアゲイン」の短冊シングルは発売日に京都詩の小路にあったユリナレコードで購入したんじゃなかったかな。京都にライブきた時ももちろん行ったし(WOOPIES)「恋とマシンガン」をはじめとする「カメラトーク」ってアルバムに関しては冷静な批評を書くのは今でも無理なほどハマった。もうこの頃になると「JUST POP UP」のMCは変わってたし、松岡英明のダンスを見る機会もなくなった。岡村靖幸とフリッパーズが共演した時のMCは野沢直子と田中美奈子。バブル真っ盛りの90年代初頭、ボクが田舎でマツボーのダンスを毎週見ていた頃とは確実に時代は様変わりしていた。


 そんなマツボーのライブをひょんなことから見る機会があったのはそれからずいぶん後の2003年2月に国立代々木競技場で行われたEPICの25周年記念のイベントだ。チケットは争奪戦だったんじゃないかな。往年の80年代EPICを支えたアーティストが一挙に集まるライブイベント。この日限りのバービー再結成、TM NETWORKといったレアなライブから佐野元春、小比類巻かほる、大沢誉志幸に鈴木雅之、THE MODSにTHE STREET SLIDERSのHARRYという豪華すぎるラインナップ。もちろん大江千里、渡辺美里もいた。千里ちゃん、ボクはだいぶ前の席で見ていたから気づいたけど泣きながら「YOU」を熱唱してたんだっけ。今考えても胸熱なメンツですよね。最初から最後まで気を許せなかったよ。

 そんな中にマツボーがいたのだ。いや松BOWと表記すべきなのだろう。とにかく松岡英明がいたのだ。「あるアーティストが都合により出演できなくなり代わりにボクがここにいます」といった旨の短いMCのあと披露されたのは「以心伝心」。彼がステージで披露したパフォーマンスは素晴らしかったし、間違いなく会場にいた全ての人々に届いてたし、少なくてもボクの胸のドラムがヘビメタを熱演してた。それがボクの最初で最後の松岡英明体験。


さっき「JUST POP UP」のクリスマス特番がYouTubeに転がっていたので見たんだけど、チェッカーズ、ユニコーン、プリンセスプリンセス、スライダーズに米米クラブ、レアなとこだとTHE HEARTなんてバンドも出演していた。なんてゆうか、80年代から続く音楽シーンとまもなく始まる90年代J-POPの端境期って感じがしてごった煮感が妙に心地よかったし、こんな時期に強者相手にMCを務めた松岡英明のハートの強さにあらためて感服した次第!何事も変わり目ってのは面白い。そんな話でした。ジャンジャン!

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