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1984年のハマショーくん。


真剣に確定申告に取り組んでるんですけど、なかなかトラップというか自分の理解度を超えるスキーム連発でなかなかどうして遅々と牛歩グルーヴに巻き込まれかけてたんですがおそらく書類上は終了。E-taxというやつ?スマホ完結目指して準備してたのは水の泡になったっぽい。よくわからんけど直接ハマショーくん(浜田省吾)のごとく「叩きつけてやる」か郵送か。ちなみにハマショーくんが「昨夜眠れず」にMONEYを「叩きつけた」のは1984年と記憶している。「MONEY」収録AL「DOWN BY THE MAINSTREET」はこの年秋にリリース。そう、常々ボクが主張しようとしているのが「1984年がやばい」って話だ。やはりこの年はなにかあるんですよ。ちなみにハマショーくんという言い方、江口寿史センセの傑作「キャラ者」よりと記しておきます。「キャラ者」復活しねえかなー。新聞とかダメなのか。向いてると思うんですけどね。

いきなりそんなこと言われてもピンとこないんじゃないかと思いますが、とりあえずみなさん記憶の鍵を開けてみて。ほらほら聞こえてくるでしょうよ。前略、道の上より威勢のいい掛け声が。そう、昭和を代表するメンズ・パフォーマンス集団、一世風靡セピアのメジャーデビューもこの年。横浜銀蝿が前年末で解散、現在EXILEまで続くヤンキー男気系メンズグループを語る上でも84年は重要なんですよね。シンプルに言えば一世風靡の後に幕末塾を経て野猿〜EXILEというのが正統な流れかと。

唐突に一世風靡の話に触れてしまったが、まず年明け早々のビッグバンがチェッカーズのブレイクだろうな。前年83年デビュー組が歴史的不作(ちなみにチェッカーズも83年デビュー)でトップ10ヒットを飛ばしたのは欽ちゃんファミリーの風見慎吾「僕、笑っちゃいます」(作曲は吉田拓郎)と野村義男と曽我泰久のジャニーズ2トップを擁するThe Good-Bye、ああ銀蝿一家の岩井小百合もいたわ。後年バラエティでブレイクする松本明子、森尾由美といった逸材がいたにもかかわらず、どうもモノクロームな印象があったのは前年の82年デビュー組があまりに眩しすぎたってことはあるよなァ。堀ちえみ、早見優、石川秀美に松本伊代、そこに中森明菜と小泉今日子。これが同年デビューってんだから翌年が地味に思えるのも仕方ないじゃないわな。ちなみに84年デビューを振り返ると吉川晃司、岡田有希子、菊池桃子、荻野目洋子、SALLY(86年解散)、ああそういえば何億円デビューなんてのもこの年だった。そのハイクオリティな楽曲センスはもうちょい語られてもおかしくない少女隊(「君の瞳に恋してる」のカヴァーの秀逸さはまじで必聴)、セイントフォー、それとフジテレビの深夜番組だ。「オールナイトフジ」からデビューしたおかわりシスターズはブレイクスルーこそしなかったが翌年以降全国を席巻するおニャン子クラブの試運転みたいなものじゃないですか。正統派もいれば音楽的な視点重視でプロモートされていったもの、異端なものとわやくちゃなラインナップも芸能っぽいといえばそれまでなんですが、この年からどんどんそのめちゃくちゃさがなくなっていくように思ってます。短冊形のCDシングルが発売され始めた頃にはいい意味で猥雑な匂いがなくなっていったような。気のせいかもしれませんが。

ちなみにボクが住んでいた福島県エリアの場合、チェッカーズのブレイクによる影響はもちろん大きかった。だが悲劇も起きる。いや、喜劇だな。理由は簡単、キスより簡単by石阪啓。坊主でしたからね、中学生全員。つまりブーム到来であの前髪垂らしのチェッカーズカットが不可能、これはデビュー時に自慢のリーゼントをごっそり刈り上げられた高杢以上に悲劇、いや喜劇的ですよ。あのオーバーサイズのチェックの衣装的ファッションは田舎でも手に入れられたが坊主。「哀しくてジェラシー」のサビ箇所での振り付けをどんなに完コピしようも坊主。愛読書があだち充の「タッチ」と「みゆき」でも坊主。前年末に解散した2大グループ、YMOとTCR横浜銀蝿RSのコアファンだろうと坊主。そんな坊主が夢中だった少年ジャンプもまたこの年地殻変動を迎えていた。

あえて「きまぐれオレンジロード」の連載開始と「北斗の拳」 大ブレイクの2つは触れておきたい。たいてい「北斗の拳」をあげながら「DRAGON BALL」へ語りがちなんですけど読み方が甘いんだよな。 そもそも84年の少年ジャンプを振り返るだけでも大きな時代のうねりを感じるわけです(ここ重要)」。前年にアニメ化され小学生を中心に大きな人気を得たゆでたまご「キン肉マン」平松伸二の「ブラックエンジェルス」はこの時期すでに人気は安定、とはいえ本宮ひろ志「天地を喰らう」や鳥山明の「Drスランプ」はこの年で連載終了、北条司「キャッツアイ」もこの頃になると少々マンネリズムなタイミング。そんな中、ジャンプはSFラブコメと近未来サイバーアクション巨編によってジャンプは息を吹き返す。そして翌年には鳥山明の「DRAGON BALL」登場で栄光の90`sへと駆け上がる。その土台と作ったのがオレンジロードと北斗の拳だ。ちなみにジャンプ+で最近始まった「BEAT &MOTION」は長年きまオレ越えをしていない(できてない)ジャンプがついにその牙城を崩す作品をドロップしたとあくまで個人的に注目しているマンガだ。え?きまオレ越えしてるマンガはいくらでもあるだろうって?ないよ。桂正和の一連の作品も「いちごなんとか」(絵でダメ)も足元にも及ばない。桂正和は本質的には「ZETMAN」じゃないかなと思いつつ、きまオレの素晴らしさをジャンプ編集部はもっとリスペクトをアピールして欲しいですね。84年にきまオレ連載なくて北斗だけだったら続いてないよ!おそらくこの両極端なジャンルの2作品があってこそ、のちのジャンプ快進撃神話は生まれたと思ってるのはボクだけなんでしょうが、そういう見方もあるって話です。今考えると両作品の根底に流れるのはSFってキーワードなんですよ。ラブコメ要素(もしくは大林宣彦、倉本聰要素)かバイオレンスアクションかって解釈の違いだけ。でもこの2作品があってこそ90年代以降のマンガ史は変わりました。そのSF的嗜好が正しく継承されたかどうかはさておき、きまオレで作者まつもと泉が描いたアニメ的手法、また「ベルセルク」や「進撃の巨人」といったディストピアものがメガヒットを飛ばす基盤は「北斗の拳」なくしてあり得なかったわけですよ!

さて、そろそろ音楽の話に戻ります。チェッカーズのブレイクは80年代初頭に田原俊彦〜近藤真彦〜野村義男のたのきんトリオで掴んだボーイズアイドル金脈をシブがき隊でつなぎかけてたジャニーズ事務所にとっても相当脅威だったはずなんですよね。85年末に少年隊を本格的にデビューさせますがチェッカーズ、吉川晃司といった音楽、ファッションも含めたセルフプロデュースが可能な連中へのアンチテーゼを意識してないわけがないんですよね。ちなみにボクが少年隊を意識したのは83年末に公開された映画「あいつとララバイ」。同タイトルの主題歌もけっこうキャッチーだったしそのままデビューすると思ってたのを1年伸ばしたのは状況を見据えていたんだろうなと推測してましたが先日上梓された錦織一清自伝「少年タイムカプセル」でもその辺触れられてますね。この本はまじで面白いし当時のカルチャーを知る上でも必読の書ですね。個人的には「封印LOVE」シングルリリースのあたりも触れて欲しかった。あれを青春歌謡を軽々しく書く某ウェブメディアあったけど曲聞いてないのバレバレだよな。あの曲はれっきとした当時の最先端のダンスミュージック歌謡でありせめてPWL歌謡とか言い方考えてほしかった。

この1年ほど粛々と進めてきた本もそろそろ最後の詰めに入ろうと思ってます。ボクの中では84年がビッグバンなんです。その予兆は83年にはすでにあり、70年代からの様々な動きがもちろん影響してます。90年代初頭のJ-POPバブルはいろんな角度から検証できるものではあります。ボクの視点では最重要地点は1984年。別にまだ出来上がってもない本をここでアピールするのも微妙なんですがカジュアルな視点で「なるほどね」なんて思っていただける内容になれば幸い。映画に関してもポップでアメリカンな「ゴーストバスターズ」に「インディージョーンズ」「グレムリン」、邦画は角川絶好調で原田知世の「天国に一番近い島」公開もこの年。ああ伊丹十三の「お葬式」もこの年だよ!アニメは「ビューティフルドリーマー」(同時上映が吉川晃司の「すかんぴんウォーク」)に「超時空要塞マクロス/愛おぼえていますか」だ。あー「ランブルフィッシュ」もこの年なのかって公開当時、田舎の中学生にはその情報未着でした(認識不足)。

なんだかんだで記憶の中の情報過多の海で溺れまくるのも一興。そんなときがいちばん楽しいんですよ。情報過多万歳。だって結局忘れられちゃうものだもんな。

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