見出し画像

オレの偏愛「編集王」。

奇妙な縁の連鎖がまた新しい縁を生む、、てところで
割とそういう偶然が呼ぶ「必然」みたいなものはひとより多いほうだと思ってるがここ数ヶ月そんな「縁」の連鎖が実に多い。悪い話じゃないんですけどね。

たとえば昨日夜に電話がかかってきた。韓国からだったけど(仕事関係の知人が渡韓中)その横にいたのは15年ほど前、韓国によく行ってたときにとてもお世話になったひとだった。ソウルでカフェを運営してる彼とは今月下旬には日本にくるらしく再会できそうなことを知り楽しみだったりする。こういうのって必然だと思うんですよ。良縁ロマンティック。最高。

もちろんいいことばかり連鎖するわけじゃない。中には「勘弁して笑」的なバッドグルーヴもある。いちいちめくじら立てるのもバカバカしいし、そんなときは「逃げるが勝ち」理論に乗っちゃうのがいい。バッドグルーヴはおそろしいよ。あっという間に「良縁」が生み出す、素晴らしくてNICE CHOICEな瞬間をなきものにする。つまり負の連鎖は「凶」しか生まない。駆逐するヒマがあれば「吉」を呼びそうな方角へ一目散に走るだけ。それでいい、それがいいんだ。

土田世紀の「編集王」はとても好きなマンガで単行本も全部揃えているのでいまでもときどき読み返す。マンボ好塚の章、明治一郎の章、どれも味わい深いし大好きだ。五日市さんの章、文芸が売れない状況と当時の本屋問題まで切り込んでいて最高。いまなら電子なんだろう。このへんのスピリットは「重版出来!」が受け継いでるんでしょうね。韓流ドラマになったのは驚いたけど(しかもなかなかいい出来)。ちなみに「編集王」は読み間違えちゃいけない。シンプルな「魂」のドラマよ。編集者を守る物語じゃないし才能を讃美するマンガじゃない。そこにあるのは「熱狂」に踊るひとたちの「魂」の話。ここは大声で叫んでおきたいし読み間違えちゃいけないポイントだよ。

しかし本は高くなった。昨日買った2冊はどちらも2000円台。今自分が粛々と書いて進めている本のことを考えると唸ってしまう。かつて1600〜1800円、下手すりゃ1200〜300円とかだったものは2000円オーバー当たり前。文庫だって800〜900円はもはや珍しくもなんともない。3000円、いや5000円の書籍などレアケースじゃない世の中なんだろうな。そのうち10000円で新書判書き下ろし小説特殊装丁とか出てくるでしょうね。装丁こだわりない方は電子でお買い求めください、値段三分の一ですなんてこと、多発するな。15000円だと初版限定でTシャツつきますよなんて。トートバッグとアイロンもついてますとか。あるなあ、絶対。電子は利用してるし便利だと思うけどソレはソレかな。レコードと同じでパッケージも含めての作品性、世界観ってあるもん。逆に便利さに溺れてるティーン世代が紙の本、魅力に気がつけばもっと面白くなると思うんですよ。

そういえば近所に深夜1時までやってるカフェを見つけた。ただ前を通過しただけだが、まわりのお店が軒並み営業終了で閉店してる中、薄暗い小さな商店街でひっそりあたたかな光を発してる看板は砂漠の中のオアシスみたいで近日中に試してみたいと思ってるがディナープレートとパスタなイメージがちょいとだけ気になってる。昨日店の前を通ったのが23時半ぐらい。阿川左和子を25歳ぐらい若くしたような女性客がたったひとりでカレーを食べていた。ちなみにボクは近眼だし視力にはかなり自信がない。

ほんとはもっとがっちりした町中華とか深夜営業本格化して欲しいんですよね。一部をのぞいてまだまだそんな日は遠そうだ。終電越えても街の喧騒は変わらないってグルーヴは戻ってこないのか。いや、深夜までダラダラ呑んでいたいって話じゃないよ。深夜夕食難民になるのがツラいってこと。23時以降でもサクッと旨いメシが食える世の中であるべきじゃないですか。なんとなく「不自由」っていちばんよくない。

「編集王」って描かれた時代背景的にも肥大化したマンガをめぐるビジネスがゲームに侵食されて「なんとなく」部数も落ちてきて、、って時代。この数年後に羽海野チカや浅野いにおが出てきてヴィレバンが元気な時代がやってくる。少年〜青年誌による「巨艦大砲」主義とは違う角度でのマンガが台頭してくる。矢沢あいの「NANA」、二ノ宮知子の「のだめカンタビーレ」、ハロルド作石の「BECK」、製作委員会方式による深夜アニメと音楽版権ビジネスがリンクしてマンガというビジネスは2000年代をサヴァイヴしていく。ケータイコミックも同様。そして広がり過ぎた青年誌や少女誌のリニューアルや休刊をへて電子書籍真っ盛りの現状。まさかアプリからメガヒットが飛び出すなんて90年代には考えもしなかった。

「編集王」って主人公桃井カンパチを中心に繰り広げられる群像劇なんですよね。マンガが中心にあるにはあるけど文芸誌をめぐる実情、男性社会で働く女性編集者のつらさ(いまはだいぶ違うと思いますが)、ゲームやエロ表現、ベテラン漫画家の悲哀などドラマは多岐に渡って描かれます。それゆえに散漫に感じる読者もいたのかもしれない。だけどボクは当時のスピリッツで連載されてる中で大好きな作品でした。持ち込んできた漫画家志望の女の子に恋する本占地の切なさ、エロに徹してヒットを飛ばす明治一郎編なんて成長物語としてもじゅうぶん読めるしマンガに殉じたマンボ好塚編は何度読んでも泣ける。

いま、電子で気軽に過去作品も現行連載されてる最新ヒットも読めちゃう時代です。便利なのはいい。実際真夜中に昔読んでたあのマンガを、、、なんて瞬時に読めるのはサイコー。だけどすべてが便利で効率化されるのはイイとは思わないし思いたくもない。妙なコンプライアンスもどうかと思うし。

今後、マンガの主要メディアはウェブというかアプリになる、というかなってる。マンガじゃなくてウェブトゥーンなんて呼び名に変わっちゃうかもしれない。

とはいえ「マンガ」が「ウェブトゥーン」という形に進化していこうとも作品を生み出す熱量は変わらない。いや、変わらないでいて欲しいし、いい作品を生み出すべく七転八倒、カリカリしながら机に向かって編集者と「魂」をぶつけ合う物語はなくならないで欲しい。マンガは「魂」が呼び寄せる物語だ。「編集王」ってマンガはそういう意味でも世代をこえて多くの人々に読み継がれていって欲しいと思います。

ちなみにこの作品、当時地上波でドラマ化されてはいますが、Netflixあたりでがっちり実写化してくれないかなー。「重版出来!」とはまた違う面白い作品になると思うんだけどなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?