日記 : 恵比寿映像祭

恵比寿映像祭に行く。恵比寿映像祭は何となく毎年行っているアートフェスで、その名の通り映像が主たる展示なのだが、会場である写真美術館所蔵の写真同時に多く展示されており、キュレーションがセンス良いな、と思う。センス良いな、と思うものを眺めるのは楽しいし、普段は写真の展示を見に行かないから、良い感じに日常のノイズになって良い。

写真美術館は割と恵比寿駅から直結みたいな導線でたどり着けるのだけど、何万回ここに来ても写真美術館へ向かう通路を選び損ねる、というジンクスがある。毎回改札を抜けて通路の形と朧げな記憶だけで何となく歩き始める自分が悪いんだけど、今回も当然間違える。しばらく歩いても長い動く歩道が出てこない辺りで気づく、ということをずっと繰り返している。

恵比寿ガーデンプレイスは煌びやかな都会で、ザ・東京、って感じがする。ザ・東京って感じの場所は他にも渋谷とか六本木とか色々あって、どれも空気が違う。そういった多様性がどうのこうの、という話をしたくなる程度に東京に馴染んでいる、ということはまったくないのだけど。ともかく、写真美術館に至る導線の茶色いブロックと広場への並木はとりあえず嫌いではないのだった。

今回の展示では、広場にバカでかいLEDディスプレイが置いてあって、Poems in Codeというタイトルで、ジェネラティブアートのグループ展示が行われていた。並木とガーデンプレイスのスロープの奥に、発光するLEDディスプレイがあるのはかっこいい。以下にも展覧会やってますよ、って感じで導入部分としてグッと来るものがある。

少し肌寒いがそれが良い、という気温の中でベンチに座ってしばらくLEDディスプレイを見つめる。何人かの作家は知り合いだったりするので、こういうのも作ったりするんすねー、とか思いながら見る。有名どころ以外の作家も参加していて、作品のクオリティは良くも悪くもバラバラだなと思ったのだけど、恐らく、個人個人の作家やプログラマが、日々習作をコードを用いて世界のどこかで作っている、という事実の提示がこの展示の一番のテーマなんだろうな、とか勝手に解釈する。恵比寿映像祭には、「月に行くための30の方法」というタイトルがついている。アーティスト各々が目指している/目指したいと思っている、場所や環境や状況にたどり着けるかもしれない方法論へのアプローチ、ということなのであろうと思う。

そういうわけでしばらくは広場で過ごすが、全部の作品は見切れないので写真美術館の中に入る。展示自体は無料なのだが、エントランスでチケット貰うために受付っぽいことをする。僕としては何かアガるので、嫌いではないけれど、人件費的な話で言うとここは省いた方が良くないかね、とも思う。でも来場者の人数把握したりとか、そういう行政的な事情もあるんだろう。何人見に来たかよくわからねーっす、だと来年の予算がきっと降りないし。

2階、3階、地下、という順番で見よ、ということなので、その順番で回る。2階では休日であることもあって、ライブパフォーマンスが行われている。いくつかの映像作品やプリント作品を見る。好きな作品もあれば嫌いな作品もあるので、作家の名前をメモしたりしつつ見る。

2階から3階、地下に移動するのに階段を使ったのだけど、階段は人もまばらで静かである。そこでポコッ、という感じで頭に降りてきたことの一つとして、僕はこういう静かな美術館が好きで、恵比寿映像祭は人がごった返すこともなく静かに見れるのが好きなんだよな、と再確認した。静かで、非日常的で、しかし自分の好奇心も満たしてくれるところに出かける、というのは楽しい。映画館もそういう性質を持っているから好きだ。社会からちょっと距離を置ける空間というのは自分にとって貴重である。

展覧会の感想を簡単に書くと、神秘主義だったり、資本主義だったり、身体性だったり、空間だったり、生き方だったり、と、アーティストごとに違った「月」と、そこへ行けるかもしれない方法が提示されていた。まあ、これはアーティストの世界の捉え方の話なので、そんなもん作品の展示において当たり前やないかい、と突っ込まれるであろう薄い感想である。

しかしあれだな、わざわざ頑張って目指そうとする「月」が良きところかどうか、は誰にもわからないな。アーティストにとっても周囲の人間にとっても。

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