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それぞれの基準がある

約2年ぶりに祖母の家に行った。
すると、机にガラケーではなくスマホが置いてあった。壊れたので最近スマホに変えたとのこと。

以前、祖母にガラケーの写真の撮り方やアルバムの見方を何度も伝え、ようやく使いこなせた方なので、まさかスマホに変えるとは思ってもみなかった😳
(今時ガラケーはほぼ販売されていないので、スマホにせざるを得なかったのだか…😅)

早速、祖母からスマホの写真の撮り方を聞かれたので伝えた。
カメラアプリをタッチし、カメラマークをポチッと押すだけだが、80歳を超えた祖母からすると、この流れすら体得することは一苦労だった。
そして、祖母のタッチする指をみると、軽くタッチすればいいのだが、強く押そうとしてドラッグのような動きになっていた。ちょっとした指の動かし方も難しいのだろう…🤔

祖母:スマホって難しいね〜
僕:何回もやれば慣れるよ👍
  それにスマホは、電卓や目覚まし時計・地図
  など何でも使えるから良いよ!
祖母:なんかね〜。これからどうなっていくんだ
   ろうね…😔

祖母にとってスマホという存在は素直に喜ばしい物ではなかった。これまで長い人生の中で経験がないことをしているので、戸惑いがあるのがよく伝わった。

誰にでも新しいこと、知らないこと、自分にとって非常識なことは、ネガティブに捉えがち。かと言って、すぐに調べたり、使いこなそうと努力したりするにはエネルギーが必要。年齢を重ねるとその傾向が高くなるのだろうと想像する🤔

スマホを使いこなせるようになれば便利だけでなく、人生の自由の幅が広がると思う。
しかしながら、それはあくまで僕の考えであり、祖母からすれば無理して色んなことを覚えて苦労するより、何気ない毎日の時間の方が心地よく大切なことなのだと思う。

それぞれの生き方が違うからこそ、自分と相手の価値は分けて考えるように心構える。



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