Twitterを辞めました

かれこれ14年近くTwitterを続けていました。
最初はオタクとして、人とのつながり・イベント時の連絡手段(DM)、そして情報収集がメイン。昔のTwitterは「少し斜に構えつつも面白おかしく生きるオタクなど」が多くて、トレンドを見るだけでもずいぶん楽しかったです。
それから時が経ち、オタクだけのものじゃなくなってくると多種多様な人の主張や日常が見れるようになってきました。それはそれで楽しかったのですが、段々と主張が強い人が目立ってきました。
SNSが承認欲求を満たすものとして広く浸透してきたんですよね。
そして、少なくとも日本社会はコロナがなくてもどんどん暗くなっていたので、Twitterにもその影は色濃く落ちてきており、趣味(アニメ・ゲーム・女性アイドル)の情報とちょっと面白おかしい人たちの姿さえ見れればよかったのに、目に触れるだけで心がざわつく言葉が目立ってきました。
そこで10年以上使っていたアカウントを消して、新しいアカウントを作りました。そこでのフォローは、癒しの動物アカウントをメインに、あとは元のアカウントでフォローしていた数名のみ。
元アカウントでは最初は面白おかしい投稿ばかりだったのに主張が強くなっていく人もいたのですが、アカウントを新しくしてタイムライン上ではすごく平和になりました。

ただ、やはり世の中が暗いのでトレンドが重い。
とはいえ、たまには楽しいトレンドワードもあるので見たくはなる。
でも実際に見に行くと、暗くなる話題のほうが多い。

Twitterへの愛着と依存によって悩みましたが、結局完全にTwitterを辞めました。

辞めてから3週間になりますが、特に何も問題ありません。
14年も使っていたのに喪失感もなかったです。
むしろ「スマホを開いてTwitterを見なくては」みたいな焦燥感がなくなって、仕事の集中力が上がりましたし、スキマ時間は大体フィットボクシングで埋められて有意義になりました。
仕事とフィットボクシング、そしてパートナーとの時間を作りながら「ゲームしたい」「アニメ見たい」「動画見たい」という欲求がある中で、こまごまとTwitterに奪われていた時間とエネルギーが思ったよりも多かったことに気づかされました。
ネガティブ要因がなくなり時間も奪われないので、心持ちに余裕があります。

TwitterなどのSNSを必要とする人もいると思います。「昔の私」には必要なものだったと思うので、辞めた今でも無駄だったとは思いません。
Twitterを始める前、自我を守って生きることが苦しかった頃はブログを毎日投稿していた経験もあるので、自分の考えをまとめるのに言語化はとても有効だということもわかります。
ですが、少なくとも「今の私」にはもう必要のないものでした。

ですが、このnoteはまだ続けると思います。
引き続き活発になることもないと思いますが、こうして自分の思い・考え・目標などを言葉にする楽しさはなくせません。
SNSほどつながりを重視するものではないので、人疲れすることもないのが心地がいいですね。
いまは断捨離など、ここまでの人生で拾いすぎたものを取捨選択するフェーズなのだと思います。「今必要なもの」を見つけるヒントをnoteからも得られたらいいなと思っています。

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