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タイパの末路

こんばんは、KGです。

TikTokなどのショート動画を好む傾向にある界隈?からよく聞くタイムパフォーマンス。

時間あたりの価値に意識を向けた考え方だが、この考え方にはある悲惨な末路があると思っている。

まず、タイパが重要視される背景にはコンテンツそのものではなく、コンテンツを消費したという結果を得るためであって、タイパによって得られるものが空虚なものである点。

自分がやりたいことより、世の中で求められているものや承認を得続けるためには常にタイパを意識して、大量の情報を消費することになる。

あくまで消費なので、満足することなく求めることになる。

だから24時間という限られた時間の中でいかに多く消費するかというところからタイパが重要視されたのではないか。

1番危惧しているのはタイパを求めすぎると結果や正解にしか価値を感じられなくなるのではないかということ。

世の中に散らばっている結果や正解は誰かのものであって、自分にも当てはまるとは限らない。

自分にとって何が正解かというのは実体験というプロセス経ることなしには見えてこない。

ショート動画やまとめ記事などはそのプロセスが削ぎ落とされているので、自分の頭で考えてなにかしらを自分にとっての正解にする経験ができない。

そうすると正解を簡単に得られないことにストレスを感じるようになるので、いつまで経っても誰かの正解を追い続けるしかない。

そんな末路になってしまうのではないか。

今日はそんなことをお話ししてみました。

また明日
バイバイ👋

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