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あなたはなんでスポーツをするの?

『すみません。あなたはなんでスポーツしてるんですか?』

「え?んー難しいこと聞くね。ちょっと待ってね。」
ほとんどのフィンランド人はすごく丁寧に答えてくれた。
突然話しかけてきたきりんみたいなアジア人の素っ頓狂な質問に。

彼らのスポーツは日常生活にとても綺麗に浸透していた。そのくらい「当たり前」にスポーツをする時間があり、しかも多種多様な種目、レベル、入るグループとたくさんの道がある。自分に適した、自分が求める環境を自分で選べる力が備わっていた。これは大人だから、ではない。ぼくが見た限りでも小学校低学年の子でも自から選んでいた。

ぼくが留学していた当時、フィンランドのスポーツ実施率は世界一だった。定期的に運動を実践(週に一度のスポーツ)している人の割合が全体の91%と、当時の日本の約2倍の結果を出していた。余暇活動の中で最も人気があるのもスポーツという結果が出ており、その数はただただ衝撃的だった。

冬は暗いがジムに行って汗を流し、リフレッシュしながら友人と談笑。
夏は白夜の期間に入るため一日中明るい。上の写真は夜の9時頃、住んでいたアパートの近くにあった湖でランニングしながら撮ったものだが、このくらい明るさがあればいつでも外で安全に運動することが出来る。

大人も子どももみんなスポーツに親しんでいるが、驚きだったのは「部活」がなかったこと。さらに全ての学校に「グラウンド」と「体育館」が設備されているわけではないということ。そういう意味でいうと、日本ほど環境が整備された国はとっても珍しい。整備はされていないが実践者が多い国、整備はされているが実践者が伸びない国、この違いはスポーツに対する意識にあると考えた。

『ツールとしてのスポーツ』

日本は「競技スポーツ」で「単一型」に偏っていると言える。
スポーツに少しでも触れてきた人は思い出して欲しい。
スポ少、中高の部活動、大学の体育会、社会人チーム。
なぜか目標が「地区大会優勝」「インターハイ出場」と掲げられていたことはないでしょうか。知らぬ間にぼくらは「競うこと」がスポーツだと言わんばかりの環境に身を置いてきていた。
その中で副産物として出てくる「忍耐力」「友情」「やり遂げる力」みたいなのはおまけ程度として認識されている。合っているようでどこか本質的ではない。一体どれだけの人間が本気で勝つためのスポーツをしているか。皆が皆プロを目指しているのか、そうではないだろう。しかしそれに気付くにはかなりの時間を要することもある。

フィンランドが何をしていたかというと、そもそもの発端は「健康のための政策」としてのスポーツ活動の実施だった。高齢化が進む現状を打破すべく、健康な体を維持するための生涯スポーツに国が力を注ぎ、民間レベル、住民主体の団体やサークルが次々を生まれ、多種目に適応した施設やグラウンドを安価で利用できるよう整備し、今の状態が作られた。
競技スポーツがないわけではないが、ヘルシンキオリンピックを境に方針をガラッと変え、メダルの数よりも国民の健康を優先したのだ(皮肉のつもりはない)

競技スポーツも生涯スポーツも選べる、自分に適した場所を見つけることが出来る、様々なスポーツの環境が整備されている。
そして何より、個人の選択や生き方に対し過干渉しない風土が選択の自由を支えていた。

地域のため、家族の時間のため、健康のため、リフレッシュのため、競わないスポーツは人々にとってとても柔軟な「ツール」としてより良い暮らしを支えていた。

『スポーツの力』

フィンランド人の生活の中で、幸福を感じる、日々を豊かにするツールとして機能していたスポーツ。どんなレベルでも、どんな場所でも、どんな環境でも、形を変えて人々に寄り添うその樣に、スポーツが持つ本質的な価値をより探求したくなった。

より良く生きるために、スポーツはどんなツールになるのか。
スポーツの中で得られる幸福はどんな色をしているのか。
きっと、ぼくの中にある答えだけが正解じゃない。
もっともっとたくさんの答えが知りたい。

スポーツが持つ力をたくさんの人と見つけ、育てて行きたい。

ぼくがフィンランドで過ごし、出会ったのはそういう生活に根付いたスポーツだった。自らの人生を彩るためにスポーツをする。本質的な価値を見出し他者と、時に一人でスポーツに取組む。難しく考えない。シンプルな生き方がそこにはあった。

では、フィンランドのように生涯スポーツが生活と住民の意識の中に浸透するにはどうしたらいいだろう。生活に浸透する、とは誰の生活を指すのか、レベルの差をどう解決するのか、そこに幸福はあるのか。

難しいことだけど、だからこそシンプルに。
まずは自分で体現してみることからはじめてみよう。

スポーツは、楽しい。
とてもシンプルなことの中にたくさんの、未知の幸せが眠っている。

彼らのように、自分と向き合い、環境を探す、ないなら作る。
流れに身を任せるように、心が求める幸せを探す生き方をしてみたい。


フィンランドで過ごした1年間は、今でも鮮明に覚えている。
二度と味わいたくのない悔しさも、何度でも見にいきたい景色も全て。
留学するって大事だよね!ということではなく、その時その瞬間に、心が動いた方に動けたか、が重要なのだと気付かされた。

フィンランドでの留学内容をこれで一旦終わり。
これから書きたいなと思っているのは
・フィンランドでの暮らし編
 サウナ、サルミアッキ、オーロラ、メジャーなものに触れる中で激推ししたい「ここが素敵だよフィンランド!!!」愛に溢れたぼくの叫びを書き殴りたい。

・地域スポーツ実践レポ
 帰国後から今も続けている、生涯スポーツサークルあくてぃぶ!の活動レポート。普段の活動の様子とぼくの中での変化、参加者の声などを書いてみたい。

これら2つが熱を持って書けそう。

noteをはじめてみて思ったのは、こういう文章を書くのが案外好きだということと、しっかり文字にしてだれかに読んでもらうことが嬉しいと感じること。

また細々と、気持ちが動いた時に書いていきたいと思います。
えんつこまんま。


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