純粋(ピュア)とは無知なのか、無知とは無垢なのか

友人たちと話していた時に
「Aちゃんはピュアで可愛いよね、なにも知らない感じであのままでいてほしいよね」
という会話になった
周りの友人らはみな概ね同意していたが、私は全く同意できなかった
なぜなら私はAのことを「なにもものを知らないバカ」だと思っていたからだ
微塵も「可愛い」などという評価をしたことがなかったし、今でもそう思っている
周りの人の話をきくに
「純粋である」「社会に汚れていない」「まだなにも知らなくていいよね」等言っていて、はたして「純粋である」とはなんなのかと考えだしてしまった
ちなみにネットで「純粋 とは」で調べるとこんな感じ

邪念がない人間などいるのだろうか
私なんかは邪念か邪念ではないかを比べたら10割邪念でできているようなものなので純粋な邪念である。
100%の邪念は純粋と言えるのだろうか、純粋であるにはまじりけのないことが必要だが、まじりけのない邪念は邪念を含むので純粋ではないがまじりけがないから純粋……????

話を戻して
友人らの言う純粋は社会に毒されていない、という意味を含んでいるようだったが、では知識を持つと純粋ではなくなるのか
東大卒の人間に純粋な人間はいないのか
知識を持つことと純粋であることは相容れないのだろうか
私にはどうしても常識を知らない、効率の悪い人間であるAがそんな純粋な人間とは思えないが、人によってはそれを無垢で綺麗なものと評価している
無知であることは確かに純粋であるのかもしれない、産まれたばかりでなにも知らないわからない赤ん坊は確かに純粋であるだろうし、それを否定する人はおそらくかなり少ないだろう
しかし、何年も生きて、自分一人で生活できるほどの知識があり、自立をして仕事をするような年齢の人間に対して「なにも知らなくて純粋で可愛い」と評することの違和感をとても気持ち悪く思ってしまう
それは純粋ではなくその人間が普段生活をしていく中で知る努力をしなかった結果のただの無知ではないだろうかと思う
純粋の評価を最初に聞いた時は、お世辞や身内のノリ一種だと思っていたので、気にしていなかったが、複数回Aに対して同じ内容のことを言っている場面を見て、これはお世辞ではなく本心から「Aは純粋だ」と思っているのではないかと思ったのが、この文章を書こうと思ったきっかけでもある
誰に対して、どんな評価、感情を持つかはその人の自由だから正解はないとは思うが、吐き出すぐらいは許してほしい、いや別に許されなくてもいいや
ただただ言いたいことを言うだけの文章だけど、これを読んだ人はどう思うのだろうか、ただの無知だと思うことは情の無いことなのか、純粋と評価することは間違っているのか、別にしっくりくる最適な表現があるのか、その謎を解くために我々はアマゾン奥地へと向かわねばならないのか

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