【えいごコラムBN(26)】優しい「誤訳」
「ナルニア国ものがたり」の邦訳は児童文学作家・研究者の瀬田貞二先生によるもので、名訳として知られています。
ただときどき、奇妙に原文と違っているところがあります。
たとえば第2巻『カスピアン王子のつのぶえ』(Prince Caspian, 1951)で、ナルニアを再訪したピーターたち4人は、小人のトランプキンとともに、カスピアン王子に合流しようとして森を進んでいます。
道順について意見が分かれたとき、エドマンドとルーシィが次のようなやりとりをします。
このルーシィのセリフ、可愛らしいですよね。しかしこれは原文では次のようになっています。
この “something” は、頭の中に本来あるべきもの、すなわち「脳みそ」を意味していると考えられます。
つまりルーシィは、「男の子は頭の中に脳みそがないから地図が入れられるんでしょ」と言い返しているのです。
キツいですね~。
私は、瀬田先生が “something” を「すてきなもの」と訳したのは、この「キツさ」を和らげるためにあえてしたことじゃないか、という気がするのです。
もうひとつ、第5巻『馬と少年』(The Horse and His Boy, 1954)で、カロールメン出身の貧しい少年シャスタと、貴族の娘アラビスは、ものいう馬のブレーとフインに乗って、カロールメンとナルニアの間にある砂漠を越えようとしています。
日が昇るにつれて砂は焼けつくようになり、靴をはいていないシャスタは馬から降りて歩くことができなくなります。
その場面を、まず原文から引用します。
この最後の部分、つまりシャスタが「君は大丈夫だよね、靴をはいてるから」と声をかけたときのアラビスの態度を描くところは、邦訳では次のようになっています。
しかしこれは明らかに原文と違います。
原文の “Let’s hope she didn’t mean to, but she did.” は、「彼女がわざとそうした(無視した)のではないことを願いましょう。でも本当はわざとだったのです」ということだからです。
こんなことに瀬田先生が気づかなかったはずはありません。
ここでもやはり、アラビスがわざとシャスタの言葉を無視した、ということにしたくなくて、いわば登場人物への「優しさ」ゆえにこのように訳したのではないでしょうか。
私の手元にある邦訳は1966年発行の初版ですが、先生の没後に発行された1986年の「改版」では、上の部分は次のように、より原文に忠実な訳になっています。
でも、この2つの訳を読み比べてみて下さい。
アラビスの性格や心情、さらには同じ状況がいつまでも続く砂漠の旅の物憂さを自然に感じとれるのは、いったいどちらでしょうか。
もちろん原文の意味を正確に再現するのは翻訳においてきわめて大切なことです。
しかし英語の文学作品を翻訳するということは、日本語で1つの作品を創作することでもあります。
翻訳者が、たとえ原文と異なっていても、日本の読者にとってより自然に受け入れられる表現を選択する場合もあり得るのです。
瀬田先生の訳を読むたびに、「翻訳する」という行為の重さを感じます。
(N. Hishida)
【引用文献】
Lewis, C. S. Prince Caspian. 1951. London: Collins, 2001.
----. The Horse and His Boy. 1954. London: Collins, 2001.
ルイス、C・S、『カスピアン王子のつのぶえ』、瀬田貞二訳、岩波書店、1966年
――、『馬と少年』、瀬田貞二訳、岩波書店、1966年
――、『馬と少年』(改版)、瀬田貞二訳、岩波書店、1986年
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2013年5月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)