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田中康夫氏と議員予算提案枠制度

 昨日の横浜市長選挙に関して、田中康夫候補に対する立候補してくれてありがとう、唯一公約がはっきりしていたという声がネットに溢れているが、「市議会議員予算提案枠を創設」のうち「全国初の議員提案予算枠を実現」としているのは誤りで、全国初の議員予算提案枠はすでに湖南市で実現している。

 この公約に気がついたのが投票日当日の午前0時頃で、すでに選挙活動ができない時間帯に入っていたため黙っていたが、公約に嘘はいけないでしょうということと、あの田中康夫がやろうとした公約を15年も前に、しかも全国で唯一実施していた湖南市についてはここで触れておく必要があると思う。

 あのときはあまりにも時代を先取りしすぎていたのと、今の市政につながるように政局ばかりで市民のことを考えない議員も多かったため、半分の議員が反対に回り1票差で当初予算議決という結果となり、お尻の穴の小さい議長から「市長、もうやらんといてくれ」と懇願されて1回きりとなったものだ。

 わが国においては予算調製権と予算編成権は首長にあり、予算審議権と予算議決権は議会にあり、それらが牽制し合いながら二元代表制を構成しているが、議員は予算要望というかたちで実質的に予算提案もしているだけでなく、議会は修正議決もできるのであり、議員が予算に無関係というわけではない。

 むしろ、予算案を調製し編成する行政当局にまで届かない市民の切実かつ個別具体的な懸案事項については、真面目にやっていれば議員活動のほうがアクセスしやすかったりするので、直接予算編成にビルトインしたほうが、後工程でのコンフリクト回避にもつながり政治的コストも減少させることになる。

 この議員予算提案枠制度の発想は、小泉政権の三位一体改革で財政が厳しいなか、さまざまな要望に応えられない議員の厳しい実情を見たためで、政治中立的に一人あたりの枠を示し、それぞれの支持者からの懸案解決に貢献できるよう、市長は査定しないので職員と相談して具体化してほしいとしたものだ。

 それを、政局ばかりで市民のことを顧みない勢力は、「予算編成権は市長に専属しており、議員に提案枠を与えるのは地方自治法違反だ」などという謎の論理を振り回して反対を展開し、総務省に電話をかけてまで邪魔をしようとしたものの、逆に「違法ではありません」という答えを引き出してしまった。

 これは至極当たり前の話で、市長の権限を議員提案で縛ることは市長の予算編成権を犯すので違法という主張に対して、市長の権限にあるものを市長がどう使おうが勝手な裁量的行為であり、市長の権限を犯すわけではないのは明白で、逆に反対派の動きは総務省のお墨付きまでもらってくれたことになった。

 議員の本来責務は週刊誌的な首長の監視ではなく、自治体の意思を決定することであり、予算や条例をどのように実現して市民生活を支えるかというべきところ、勘違いして政局優先となり、首長を批判することが正義だと熱を上げ、結果として自分たちの議決責任を軽んじてしまうことは至極不思議である。

 これは議員研修にも原因があり、議員の仕事は首長の監視であり、議会での一般質問こそ議員活動の華だと訳知り顔に講釈を垂れる研修講師が過去に多くいたためで、それが議員の間で口伝としてひとつの空気を創り出し、首長批判も質問もしない議員は議員でないという不文律に成長してしまったのである。

 考えてもみればわかるように、議員は有権者が直接選んでいる代議者であり、その職責は議会において議決を行うことが最重点であるのに対し、議会質問は有権者から預かった議決権を行使するためのひとつの判断材料に過ぎず、さらに首長が嫌いだからとゴネるなどというのは有権者と関係ない話である。

 自治体のより良き意思決定が議会の目的であるなら、最終的には政治的な譲歩を重ね合わせながらひとつの合意点に落着させて市民生活を安定させることが議会の役割であり、議員が手続や事実確認だけの中身のない質問で満足していたり、市政を混乱させる目的だけで政局を仕掛けるなどは言語道断なのだ。

 そうではなく、幅広い市民生活の課題を解決するための手段である予算に、漏れなく解決方策を盛り込む努力をするのが議会の責任であるとすれば、予算が不十分だから反対したので自分は免責だなどという恥ずかしいことは言えず、最後までそこに主張を盛り込ませる努力をしなければならないはずである。

 そのための議員予算提案枠制度であり、議会が首長提案を待って賛成しさえすればよい、逆に首長提案に反対することこそが議員活動だという誤解が蔓延しているのであれば、代議を期待して選出した有権者に対して失礼であるだけでなく重大な裏切りでもあり、議会としての存在意義を失わせるであろう。

 議会は追認機関でも反対機関でもなく議決機関であり、首長の原案策定に関与しながら、最終的には執行機関である首長が課題解決に取り組まざるを得ないところに追い込むのが議会の役割で、そのための予算議決であると考えれば、むしろ予算編成過程に積極的に議会をビルトインしたほうがスッキリする。

 その方が議員にとってもより政策実現にコミットしやすくなるのであり、選挙を通じて表出される有権者の意思を実現しやすくなり、有権者の市政に対する理解や満足度も高まるのであり、有権者は選挙を通じた自治体の統制に関与の幅が広がるのであり、住民自治を団体自治に直結する近道になるのである。

 ただし、現代行政は複雑多岐となり全体のバランスを調整することに多大のエネルギーを必要とすることと、世代間負担の問題もあることから後年度の負担を伴うものをドンドンと気軽に新設するわけには行かないので、提案といえどもフリーではなく、できれば単年度で収まる事業に抑えなければならない。

 財政配分の大きな変更が必要だったり、将来にわたって義務的に支出させられることで財政が硬直化することを避けるためそうしたルール化は一定必要だが、議員が予算編成にコミットできることは、原案策定権がとても強い権限であることを考えると、議会にとってはコペルニクス的展開となるのである。

 全国で初めてそうした議員予算提案枠制度を導入した湖南市がそれを継続できなかったのは議員がそこまで理解していなかったためであり、続けていれば今頃さらに素晴らしく先進的な施策を展開し、移住者も増えていたかもしれないが、今回、あの田中康夫が公約に取り上げて再注目されることになった。

 ただし「全国初の」という部分だけは虚偽公約なので、撤回することが田中康夫候補の名誉のためには大切ではないかと思いこの駄文を長々と書き連ねたのであるが、その過程でわが国の現行民主制度が硬直化して民意の「しなやかな」表出を阻害しているということに気づいてもらえれば嬉しい限りである。

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