見出し画像

日記「虹色の靴の人」

 今回は読書感想文ではなく今日あったことについてである。今新たに読んでいる本の影響で、これからこういうことも書いていこうと思う。

 今日地下鉄に乗っていると、向かい合った席に座っている人が目についた。正確にはその人にではなく、その人の履いている靴が目についた。それはスニーカーなのだが色が極彩色の虹色なのである。綺麗な縞の虹色ではなく絵の具をでたらめに垂らしたような、油がでろーっと流れ出た時に見えるような虹色だった。この時点ではその人の足しか見えていない。こんな派手な靴を履いているのはどんな人だろう?僕は髪にメッシュを入れピアスをいくつも開けた派手な人を想像した。あるいは芸術家風の変わり者っぽい人かも、とも思った。さて答え合わせだ、目線を顔に上げてみると、ものすごくガタイの大きい男性だった。両隣の人より横幅も背丈も一回りぐらい大きい。少し怖いと思うぐらいだ。服装は黒いジャージのズボンにモスグリーンのもこもこのパーカーを着て、パーカーのフードを目深に被っている。そのフードからわずかに覗く髪は予想に反して地味な黒髪だった。固そうでトゲトゲとした黒髪は無造作に伸びて、セットをしているようにも見えない。

 え!?こんな人がこの虹色を履いてるの!?服装、髪型の地味さと靴の派手さが明らかにマッチしていない。髪や顔は目立つどころか隠そうとすらしている。それも優しげな緑のもこもこで。目立ちたいのか隠れたいのかどっちだよ!

 しかしそこで以前どこかで聞いたある言葉を思い出した。それは

「身だしなみは人のためのもの、お洒落は自分のためのもの」。

 そう、彼は人に見せるために虹色を履いているのではない。自分が見るために履いているのだ。そうなると話は変わってくる。まず虹とはなんだ?綺麗なもの。ファンタジックなもの。見れたらラッキー。では彼は?ちょっと怖そうな大男。なるほど、彼の体格は私がそうであったように一目見て怖がられてしまうことが少なくないだろう。そんな経験から人の目を避けようと地味な服装とフードで我が身を覆い隠す。自然と視線も伏し目がちになる。しかしそんな悲しみの中でも、この靴があれば視界には常に虹があるのだ。辛い日だって、土砂降りの日だって、自分だけはこの虹が見られる。そして思い出すのは幼い頃、母と歩いた帰り道のあの夏の日の夕虹。そう、彼は自分の心を励ますために虹色の靴を履いているのだ。そう考えると怖そうな彼もなんだか可愛らしく思えてくる。

 そんなことを考えていると虹色の彼が先に電車を降りた。降りる時に彼のリュックの紐が僕の膝にパチンと当たった。なんやこいつと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?